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ギャンブルは「最低限度の文化的生活」に必要か?

木曽崇国際カジノ研究所・所長
(写真:アフロ)

さて、我が国におけるギャンブル論議を考えるにあたって、非常によい題材を別府市が提供してくれましたよ。以下、産経新聞より転載。

別府市、生活保護の実態調査強化 受給者の遊技施設出入りなど 大分

http://www.sankei.com/region/news/160123/rgn1601230037-n1.html

大分県別府市の長野恭紘(やすひろ)市長は22日、生活保護法に基づく受給者への調査や指導を強化する方針を明らかにした。対象とするのは、市内のパチンコ店や市営競輪場などを訪れている受給者で、3月までに本年度2回目の実態調査を行う。平成28年度に担当ケースワーカーを増員し、体制を強化することも検討している。

[…]調査強化の背景にあるのは別府市の生活保護受給率の高さだ。人口約12万人に対し、生活保護受給者は約4千人に上る。市民1千人当たり約32人で、県平均(約17人)の2倍近くとなっている。長野氏は調査強化の理由について「ギャンブルは最低限度の文化的生活を送るために必要なのだろうか。市民感情、国民感情に照らし合わせても、理解を得られない」と語った。

実は、これに類する施策を持っている自治体として、2013年に「生活保護受給者見守り条例」を制定した兵庫県小野市がありまして、この条例が議会で論議になった時には、これまた生活保護受給者とギャンブルを巡る論議が全国的に行われました。

以下、当時の私自身のエントリからの転載。

あえてもう一度問おう、生活保護受給者がギャンブルをする是非

http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/7752814.html

発端となったのは兵庫県小野市が、生活保護受給者に対する公的監視制度の条例案を上程するというニュース。小野市によれば、生活保護の不正受給はもとより、それをギャンブルで浪費したりする受給者の情報提供を市民に求める制度を設立するというものであります。この条例には、公的な「密告制度」と表現して差し支えない制度に対する「そもそも論」としての是非論はもとより、一方で生活保護受給者に保障された「健康で文化的な最低限度の生活」の中にギャンブル、もしくはそれに類するもの(遊技)が含まれるかどうかという別方面の論議を含んでおるワケです。

これら制度を支持する側に凡そ共通する主張は、「国民の理解を得られない」そして「ギャンブルは憲法の保証する『健康で文化的な最低限度の生活』に必要なのか?」という問いかけであります。

一方、当然ながらこのような主張に対して異論を唱える主体もおりまして、その代表が日本共産党の面々であります。2013年の小野市の条例制定時には、日本共産党の地元市議および、国会議員がそれぞれの議会において以下のような反対質疑を行っています。

■小野市議会における共産党議員による質疑

この日の本会議では、反対の共産議員が「受給者からささやかな楽しみを奪い、弱者への差別を助長する危険性もある」と指摘。賛成の議員は「市民の大多数が賛成している。条例で市民同士のつながりを深めたい」と述べた。

■衆院厚生労働委員会における共産党議員による質疑

○高橋(千)委員

基本的には保護費を何に使うかというのは自由だということでよろしいですよね。やはりそれは、アルコール依存症ですとか、買い物依存症ですとか、病的に何か支援をやらなければならないということに対して支援をするというのはいろいろな仕組みをつくる必要があると思うんですけれども、何かそれが、本当にわずかな保護費の中でのささやかな楽しみまで全部管理をされるのかということがあってはならないわけです。

しかし、現実にそれが条例になったのが、兵庫県の小野市の条例でありますけれども、ここは私は三つ問題があると思っています。それは、生活保護費だけではなくて、児童扶養手当とかその他福祉制度についての金銭給付についても対象になっている。もう一つは、パチンコ、競輪、競馬その他ということで、何か、範囲がどこまで広がるんだろうということ。そして三つ目が、市民に通報の責務を与えている。こうなるとさすがに、ささやかな楽しみどころか、パチンコをやる人は皆通報しなさいではないですけれども、そういう極端なことになってはならない。

(出所:http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/8088651.html

と、日本共産党は生活保護受給者によるギャンブル行為は「わずかな保護費の中でのささやかな楽しみ」であるというスタンスを崩しません。当時の議会質疑では小野市の条例制定時の論議では共産党系の弁護士集団である自由法曹団が、「当該条例は憲法に抵触する」などとして憲法訴訟まで示唆していたハズなのですが、あれは一体どうなったのでしょうか?

一方で父権主義に立つ方々の中には「そもそもギャンブルに金を使う行為自体が社会的、道徳的観点から見て愚かしいものであり、賭博自体を社会から撲滅すべきだ」という強烈な主張をする方々もいるワケで、この論議は単純なギャンブルの話に留まらず、この社会はどのように構成されるべきかという社会哲学的なものにまで発展せざるを得ない。是非、皆さんにもいま一度、自分なりのスタンスを考えて欲しいテーマであります。

国際カジノ研究所・所長

日本で数少ないカジノの専門研究者。ネバダ大学ラスベガス校ホテル経営学部卒(カジノ経営学専攻)。米国大手カジノ事業者グループでの内部監査職を経て、帰国。2004年、エンタテインメントビジネス総合研究所へ入社し、翌2005年には早稲田大学アミューズメント総合研究所へ一部出向。2011年に国際カジノ研究所を設立し、所長へ就任。9月26日に新刊「日本版カジノのすべて」を発売。

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