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「あいつのおかげで燃え尽きることができました」愛媛・小林憲幸と伊藤和明トレーナー、最後のシーズン

高田博史スポーツライター
独立リーグ日本一の記念撮影に収まる小林憲幸(右)と伊藤和明トレーナー(左)

4月2日、四国アイランドリーグplus は12年目の開幕の日を迎える。だが、今年は球場に、これまで愛媛マンダリンパイレーツを支えてきたエース・小林憲幸(元千葉ロッテ)の姿がない。昨年9勝を挙げ、自身初となる最多勝タイトルを獲得した。通算11年間、四国リーグで9年間のプロ生活で、リーグの投手タイトルすべてにその名を刻んだあと、現役引退を決めた。

11年間を振り返ると、辛いことのほうが多かった。

「いやあ、キツかったスね。ほんとキツくてキツくて。練習もキツいし、試合も投げてて辛いし。でも、そのなかでちょっとでもすごい喜びとか、うれしいことってあるじゃないですか。野球に関してはキツかった。苦しかったですね。常に。1年中というか1シーズン、体のこと気にしないといけないし、ムチャできないなっていう場面もあったし」

こんなエピソードがある。埼玉から両親が応援に訪れていたとき、家族で焼肉を食べに行ったが、あすの先発登板のことを考えて、最初のタン数枚しか箸をつけなかった。そんな繊細な内面をコントロールしながらマウンドに登っていた。

最後までNPB復帰への方法を模索し続けていたことは間違いない。キャリアハイとも言える2年連続の最優秀防御率、シーズン最多投球回などを記録した2012、13年を終えたとき、NPBからの誘いがなかった。翌14年に13勝を挙げたが、防御率は前年の1.59から2.68まで上がってしまっている。モチベーションが揺らいでいた。

支えた男がいる。この年、BCリーグ・群馬からトレーナーとして入団した伊藤和明だ。小林が言う。

「伊藤じゃなかったら、もう2年前とかに引退してるんですよ。辞めるタイミングがそこだったんですよね、自分のなかで。防御率も良くなかったけど、ここ(14年)がもう、疲れのピークっていうか。体は一番しんどかったけど、そこをなんとか持ちこたえさせてくれた」

2人でつかんだ最多勝タイトル

30歳となって臨んだ15年シーズン、2年目を迎えた小林と伊藤とのコンビは、さらに盤石なものになっていた。伊藤も前年の経験を元に小林の体、性格などを加味した多くのデータを蓄積している。

「ノリさん、ちょっと特殊だったんで。特殊というか、結構ルーティーンというかメニューを大事にする人で。なので、基本的な中5日だったり、中4日のメニューは決まってるんですけど。例えば勝ったときのメニューとか、負けたとき、調子が良かったとき、悪かったときのメニューを結構、気にするんですよ。おととし1年やったので、そのときのデータが僕のなかに残ってる。それをノリさんが、調子良ければ『それやって』って。2試合うまくいかなかったら、ノリさんに言われるんですよ」

「去年、良かったとき何してたっけ?」「これやってましたよ」「そやな。今度、これやってみよう」そんな会話が交わされていた。

実力は申し分ない。お互いが「どうすれば良い投球ができるか」と試行錯誤を続けるなかで、伊藤は「コンディショニングさえ整えられれば、結果は自然と出る」と思っていた。

「ノリさんの体調を見ながら、トレーニングも内容の強弱は相談して……。相談ができたので。若い選手だと分かんないんですよね。自分の体を分かってないので、相談できないんですよ。ノリさんとは『僕、こう考えてますけど、どうですか?』『いや、ちょっとしんどいからこうしよう』とか。『ちょっと(登板間隔が)空くから強めにやっとこう』。そういう会話ができたので。その面でうまくコンディショニングがはまった。おととしの経験が生きたかなと思います」

マウンドに登る直前のストレッチ中、2人はいつも、ほとんどしゃべらなかった。すでに緊張感に包まれている小林には何も声をかけず、小林も一言も発しない。だが昨年、総合優勝に挑んだチャンピオンシップ第5戦、独立リーグ日本一に挑んだグランドチャンピオンシップ第5戦。この2試合だけは、これまでとまったく様子が違っていた。

「いい意味で開き直ってるのが分かった。すごいリラックスしてて。『きょう、オレいけるかもしれん』『なんか違う』みたいな。ノリさんも自分で言ってましたしね。いつもはこっちも『(……ヤバい、ヤバい)』みたいな人なんですけど、そのときはもう顔が。いい意味でリラックスしてて。『よっしゃ! 行って来るわ!』みたいな。もう大丈夫だなっていう確信はありました。そういう雰囲気が」

2016年、それぞれの道を歩む

いま思い返せば、決戦を終えたあとの集合写真には、いつも2人がそろって肩を組んで並んでいた。小林が言う。

「そうですよ。常にあいつと一緒にいましたから。常に。なんて言うんですかね。常に一緒にモチベーション上げてったというか。迷ってる時期に入って来て、常に僕のモチベーションを上げててくれてたんです、伊藤が。トレーナーとしての仕事だから当然なんですけど、何から何まで全部やってくれるんですよ。人が多いから、そんなねえ。全員を見切れないなかで、僕のわがままも全部聞いてくれたし。困ってるときにすごい力になってくれてたし。一週間のコンディションとかも、全部あいつが管理してるとこもあったし」

この2年間、ずっと二人三脚でやってきた。「伊藤じゃなかったら2年前に辞めている」と言った理由がそこにある。

オリックスの球団スタッフとして新たな道を歩む。ほっともっとフィールド神戸で
オリックスの球団スタッフとして新たな道を歩む。ほっともっとフィールド神戸で

小林は今季から、オリックスで打撃投手兼スコアラーを務める。取材の最後にこう付け加えた。

「『あいつがいたから頑張れた』ぐらい書いといて下さい。『あいつのおかげで燃え尽きることができました』と」

最後の表彰式のあと、小林から掛けられた言葉が強く伊藤の胸に残っている。

「『今年、最多勝獲ったのはお前のおかげだから。いろいろわがままとか言ってごめんな。お前のおかげで獲れたから』って。僕はそういうつもりはなかったですけど。ノリさん、そういうふうに思ってくれてて……」

小林は球団スタッフとしてバファローズをサポートする。伊藤はNPB球団のトレーナーを目標に、愛媛MPでさらに経験を積む。それぞれの新たな16年シーズンが、すでに始まっている。

小林憲幸(こばやし・のりゆき)

1985.2.9生まれ。31歳。埼玉県出身。川口‐城西国際大(中退)‐全浦和野球団‐徳島インディゴソックス(2005‐07)‐千葉ロッテ育成(08‐09)‐長崎セインツ(10)‐愛媛マンダリンパイレーツ(11‐15)大学生だった05年、四国リーグ一期生として徳島IS入団。最速150キロを越えるストレートを武器にクローザーを務める。06年、最多セーブ受賞(11)07年、育成ドラフトで千葉ロッテ入団。自由契約後の10年、再び四国・九州リーグ(当時)長崎S入団。11年、長崎Sの消滅により愛媛MPへ移籍。12年、最優秀防御率(1.91)最多奪三振(163)13年、最優秀防御率(1.59)12年からの3年間はシーズン最多投球回を記録した。15年に9勝を挙げ最多勝タイトルを獲得。愛媛MPの総合優勝、独立リーグ日本一に大きく貢献し、引退。16年よりオリックスで1軍打撃投手兼スコアラーを務める。四国リーグでの生涯記録、275試合60勝40敗35セーブ、防御率2.51(971投球回)家族は妻、一女。

伊藤和明(いとう・かずあき)トレーナー

1987.4.14生まれ。28歳。岩手県出身。盛岡中央‐盛岡医療福祉専門学校‐医療法人幸祥会東整形外科‐株式会社アヴィスポーツ‐群馬ダイヤモンドペガサス(BCリーグ)‐愛媛マンダリンパイレーツ(2014‐)

スポーツライター

たかた・ひろふみ/1969年生まれ。徳島県出身。プロ野球独立リーグ、高校野球、ソフトボールなどを取材しながら専門誌、スポーツ紙などに原稿を寄稿している。四国アイランドリーグplus は2005年の開幕年より現場にて取材。「現場取材がすべて」をモットーに四国内を駆け回っている。

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