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第14エンド「第34回 全農日本カーリング選手権大会を終えて、雑感。2022北京、その先のために」

竹田聡一郎スポーツライター
会場には連日、NHKやキー局をはじめ、大手新聞、通信社、スポーツ誌記者が集った。

先月末から今月の上旬にかけてずっと寝不足だった。1日4試合、観てたからだ。

朝8:30の男子の試合に始まって、時計がひとまわりするまでホールにいて、女子の2試合目は20時からだった。それが終わって囲み取材に参加して、その日のうちに最低限の原稿をまとめる。それが早くても23時過ぎ。しかも、軽井沢は条例かなんかでコンビニは、ローソンだろうと朝7時開店の夜11時閉店が義務づけられているようで、何も食わず寄宿して「お腹へったよう」とめそめそ泣きながら眠る日もあったし、チサンインの薄暗いロビーで自動販売機のカップラーメンをもそもそすする夜もあった。

少なくとも昨年までの日本選手権はそうではなかった。正直に書くと両角兄弟や阿部晋也などに怒られるかもしれないが、はっきり言ってメディア的には男子の試合中は休憩だった。朝の女子の試合を観たら一度、街に出てゆっくりランチをとることもあったし、ホテルに戻って入浴や仮眠すらとることがあった。男子の試合が面白いというのは理解していたつもりだが、どんだけ観ても記事にならなかった。前にも書いたかもしれないけど、企画を出してもスポーツ誌は「でも五輪とか出られないんでしょ?」、一般誌は「イケメンいるの?独身?」が、それぞれの反応だった。

しかし、今年は平昌五輪のプレシーズンということや、NHKさんの本気度、SCの世界トップ4入り、それによる長野以来の五輪出場の現実味etc……。とにかく男子の需要も女子並に増えた。なので冒頭でいきなりボヤいたが、ずっとレベルが高く、しかも仕事につながるゲームを観戦できた。夏季五輪やサッカーW杯開催中に似た幸せな寝不足を抱える1週間だったと思える。

ただ、今回の日本選手権は平昌五輪の選考を兼ねているトライアルの位置づけもあったので、観ていて本当につらかった。ディフェンディングチャンピオンのSC軽井沢、ロコ・ソラーレ北見以外のチームは、ここで優勝できなければ平昌への道が絶たれる。

予選リーグでI.C.E.(チーム東京)が姿を消し、プレーオフに進んでも日替わりで富士急(チームフジヤマ)が、アイスマン(北見)が、チーム荻原が、そして北海道銀行フォルティウスが、ファイナルでは4REALが敗退し、それぞれ五輪出場の夢が潰えた。どのチームも五輪が絶たれるゲームで握手を求める瞬間はもちろん、勝者を称える笑顔を見せる。「がんばって」とハグを求める選手もいた。カーリングというスポーツのもっとも美しい部分のひとつだ。

カーラーとして精一杯の振る舞いを見せた後、シューズを脱いでブラシを抱えブルームバッグを転がしてロッカールームに戻る。その道のりで見せる言動は、どの選手もこの上なく気丈で、そのぶんなんだか雄弁に見えてしまい、直後の囲み取材で「今後の予定は?」「五輪がなくなった今、思うことは?」と僕は、プロっぽくなくて情けないが、どうしても質問できなかった。もちろん、テレビや新聞のプロの記者が聞く。僕はそのやりとりに耳を澄ませていただけだ。

当然ながら、今回で彼らの選手生命が終わるわけではないのだけれど、4年ごとの五輪が強化のスパンになっている我々の国のカーリング競技では、解散してしまうチーム、引退あるいは活動を休止してしまう選手が今回も出てしまうだろう。カーリングをマイナースポーツと言う人は少なくなったけれど、それでもこういった区切りがついた時、選手が「よし、次の4年がんばって北京五輪を目指そう」と、すぐに再出発を決意できるような体制が構築されているかといえば、ノーだ。仕事はどうするのか。企業の支援は受けられるのか。メンバーが同じ熱量を共有できるのか。覚悟はあるのか。問われることは多い。

五輪への道が絶たれた選手は一様に、今後の進退については「今はまだ未定」「(それぞれのホームに)戻ってゆっくり考える」と口を揃えたが、企業や所属組織と相談しないと話せないことも多いのだと思う。

それでも。これはあくまで個人的な意見や提言、あるいは甘ったれた感傷の類いなのかもしれないけれど、企業は引き続き支援してほしいと切に願う。

カーリングが露出のないスポーツだったのはもう過去の話で、例えば今回、女子で優勝した中部電力だが、あれだけ生中継をはじめ、スポーツニュース、翌日の新聞などで取り上げられ、社名を連呼され、掲載される。その宣伝効果と企業イメージのアップは計り知れない。男子のSC軽井沢クラブにも相当数のお祝いメールや問い合わせが来たと聞く。

カーリングは4人、フィフスやコーチ、トレーナーなどを入れても最大6-7人の小編成のチームだ。年間の運営費、給与や強化費を担っても、そこまで大きな数字にはならない。

あるいはの仕事はメンバーが各自で見つけそこで働いて、年に1度のカナダ合宿や、国内の強化合宿参加の経費、日本選手権出場にかかるコストだけを負担するスポンサーとしての契約もあるだろう。年間200-300万円の出資をしてもらうでチームは相当に活動の幅を広げることができる。ましてや国内トップ2のチームには、JCA(日本カーリング協会)による強化活動費の負担という特典があるので、さらに現実的な金額になってくるだろう。仮に4年後、五輪に出られなかったとしても、社名などの入ったユニホームを着てコンスタントに日本選手権に出場できれば、かなりの宣伝効果が期待できる。

例えば、アイスマンは国内カーリングの聖地・常呂のチームだ。当地にはホタテ、じゃがいも、タマネギなどの名産品がある。勝手に社名を出して申し訳ないが、「はごろもアイスマン」とか「北見のりしお団」とか誕生しないだろうか。

4REALのホームは札幌だ。ファイターズはニトリさん、コンサドーレは石屋製菓さんがそれぞれスポンサーだったりするが、そんなにお金を出さなくても大丈夫。育成枠の選手をもうひとり加えるくらいの額で4REALのメインスポンサーだ。よく考えたら石屋製菓さんなんてカーリングのためにあるような企業名じゃないか。カマーが奇麗に決まったら花火みたいな感じで「いーしやー」なんていう応援もできそうだ。決してふざけてはいません。ぜひ前向きに検討してほしいです。

あとは蛇足だが、個人的な総括と雑感をいくつか書いておく。

毎日、「勝手にホットハンド」というマン・オブ・ザ・デイ的な選手を選出して、偉そうに短評させてもらっていた。ホットハンドとは、文字通り熱い手、つまりその日好調だった選手、目立った活躍を見せた選手、という意味のカーリング用語だ。

と、勝手に思っていたのだが、4REALの松村雄太が決勝前だったか、「竹田さん、ホットハンドって何なんすか?」と顔色悪く聞いてきた。え、それってカーラーの間で一般的な用語じゃないの、と僕の顔色も悪くなりかけたが、すかさず4REALのフロントマンであり“氷上の新井浩文”こと阿部晋也が「俺も真偽のほどはよく分からんけど、いいじゃん。竹田発信で定着させちゃえよ。お前、天然っぽいから大丈夫。みんな優しく見守ってくれるよ」とか、フォローだかなんだか分からないが、そう言ってくれた。ということで、今後もホットハンドを厚顔に使っていこうと思う。選手のみなさま、ご協力ありがとうございました。

もうひとつ感じたのは、メディアの多さと、その変化だ。取材者の数からいえば、今回は本当に多かった。僕はバンクーバー前からカーリング取材をさせてもらっているが、プレスシートが足りないなんていう経験は初めてだった。

例えばバンクーバー五輪前の国内代表トライアルや五輪後の凱旋試合にあたる2010年の日本選手権(常呂)こそ、テレビや新聞をはじめメディアは会場に殺到したが、バンクーバー翌年の11年大会(名寄)なんかは、予選リーグから会場に入っていた物好き、じゃなかった熱心なメディアなんて数社しかいなかった。国内最高タイトルということもあって週末のプレーオフあたりからはそれなりに各社の記者が会場に入ったが、予選道中は囲み取材というより、記者2名に対してチーム5人の囲まれ取材なんてケースがザラだった。

そういえばその年は中部電力元年とも呼べる年で、現在、ロコのスキップである藤沢五月と、解説者の市川美余がコンビを組んでいた。彼女らの初優勝を知る取材者はだいぶ少なくなってしまったが、その時に取材できたことが個人的にはいま、大きな武器になったなと感謝している。少し無礼な言い方になってしまうかもしれないが、当時の協会はメディアコントロールという概念がそこまで強くなく(取材者が少ないので当たり前なのだが)、現場では本当に多くの選手の話を聞けた。会場の名寄サンピラーパークには、卵サイズくらいの木製のボールがたくさん入った「木のボールプール」が設置されていて、利用者はそれを踏んで足裏を刺激するのだが、そのプールで木のボールを踏み踏みしながら、チーム青森のメンバーに話を聞いたのはいい思い出だ。

そして今回、取材者の数の増加より感慨を受けたのは取材者のレベル、というと上からの発言で恐縮なのだが、各社の記者がカーリングをしっかり勉強してきて、さらに記事の内容も専門的に発展、成熟していたことだ。

前述のような時代はどうしても「昨日は空き時間あったけど何をして過ごしました?」とか「●●選手に怒られましたか?」とかアイスの外を聞く質問が多く、「バレンタインデイだけど、監督にチョコをあげた?」なんていう質問すらあった。技術的なこと戦術的なことのやり取りは少なく、せいぜい分かりやすいダブルテイクアウトをこぞって各社は取り上げていたくらいだ。「7エンドの1投目はダブルロールインを狙ったんですか?」とか僕が聞いて選手が答えてくれても、取材スペースには微妙なエアーが拡散された。その気まずいトラウマは今でも少し、体内に残っている。

仕方ないのだ。端的にいうと「マリリン、カー娘。時代」の名残があって、「スポーツ取材:タレントあるいはアイドル取材」が4:6くらいの割合だったと思う。それが今回は8:2くらいに昇華されていた。もちろん媒体の色や切り口、読者層の差はあるので、ある程度のトーンのズレはあるけれど、脇道に逸れやすいスポーツ新聞各社さんもしっかりとアイスの上の出来事にフォーカスを当てて記事を作成していた。

試合後の取材対応でも「ウェイトが合わなかった?」「ウェイトというより幅が難しかった」「使ってないラインでよく決めましたね」「スイーパーが延ばしてくれました」「5エンドのランバックについては」「ちょっと長かったけどアングルは悪くなかったのでそこまで難しいショットではなかったです」なんていう、なんだかカッチョいい質疑応答が飛び交い、これまた失礼な物言いだけど、6年前のワイドショー的会見は消え、やっとスポーツ現場のようになった。これはカーリング界において極めてエポックメイキングな事象だと思う。

だからこそ、と思う。だからこそ、ここに帰結するのだけど、国内トップレベルで、さらに環境が整えば世界で飛躍できるカーラーの支援を中長期的にしてくれる企業や組織はないものだろうか。

“氷上のチェス”と呼ばれるカーリングは思索的で、無限に広がる戦略を持ち、語られる部分と考える時間が多い、日本人の気質にマッチするスポーツだ。ソチ五輪の視聴率は10%後半をコンスタントに稼ぎ出すなど、優良コンテンツであることは今さら疑う余地もない。極論をいうとカーリングに対する興味や愛がなくとも宣伝媒体として十分な役目を果たしてくれると思うのだが、どうだろう。

2018年平昌、その先の2022年北京に向けて協会や選手、ファンやメディアが考えていかないといけない問題のひとつだ。これだけ素晴らしい日本選手権だったからこそ、強く願う。

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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