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首相返り咲き:安倍政権誕生の意義と課題 第1回

竹中治堅政策研究大学院大学教授

日本政治における第2次安倍晋三内閣の誕生の意義

昨年12月26日に第2次安倍晋三内閣が発足した。政権発足から2週間ほどたち、政権が優先する政策、政権運営方法などが徐々に明らかになってきた。そこで、何回かにわたり、政権誕生の意義、政策についての課題、政権運営方法の課題について議論する。

日本政治における第2次安倍内閣誕生の意義から議論を始めたい。結論から先に言えば、第2次安倍内閣の意義は次の二つである。首相経験者の首相返り咲きが可能となったことを示したこと、そして、首相が強い人事権を持つ一方で派閥の影響力は限られていることが改めてはっきりしたということである。今回は首相経験者の再登板について考えてみよう。

安倍晋三首相は以前、2006年9月26日から2007年9月26日まで政権を担当した。今回、5年3ヶ月ぶりに首相の座に返り咲いた。すでに広く報じられているように、一度首相の椅子を離れた人が復帰するのは戦後では吉田茂元首相以来二人目である。1955年の自民党の長期政権下で、首相返り咲きを考えた政治家がいなかったわけではない。例えば、岸信介元首相は佐藤栄作首相の後に再び首相に就くことを考えていたという(原彬久『岸信介』岩波新書, 1995年 pp.235-236)。また不本意な形で首相を辞任した福田赳夫元首相も返り咲きを強く望んだ1人である。

考えてみれば、首相経験者が首相に復帰し、過去の経験をもとに、国政を改めて担うということは別におかしなことではない。しかしながら、1955年の自民党結党後、首相返り咲きを果たした政治家はいなかった。それどころか、首相経験者が閣僚を務めることもなかった。1955年体制のもとで長らく内閣総理大臣という地位は自民党政治家にとっての「最終ポスト」であった。

1998年7月:宮澤喜一元首相の蔵相就任

今回、首相経験者の首相復帰は突然起きたことではない。1990年代後半以降の日本政治の展開を振り返ると伏線があり、返り咲きは時間の問題であった。

重要な出来事は、今をさかのぼること14年以上前、1998年7月の小渕恵三内閣の発足である。この時、小渕首相は三顧の礼を持って、宮澤喜一元首相を大蔵大臣に迎えた。当時日本経済を揺るがせていた金融システムの不安定化への対応を委ねるためであった。これにより内閣総理大臣という地位は「最終ポスト」ではなくなった。また、小渕首相は1999年9月に橋本龍太郎前首相に厚生大臣就任を打診したという(佐野眞一『凡宰伝』文藝春秋, 2000年 p. 223)。この時、橋本氏は断る。しかし、橋本氏の閣僚就任も間もなく実現することになる。2000年12月に森喜朗首相が第二次森内閣を改造した際に橋本氏は沖縄開発庁長官に就任(行政改革の担当大臣も兼務)したからである。

次に重要な出来事は2001年4月の自民党総裁選である。この総裁選に橋本元首相は出馬した。自民党総裁経験者が総裁選に再挑戦するのはこの時が初めてであった(なお、1955年の自民党結党後、衆議院の首相指名選挙に挑戦した首相経験者は二人いる。一人は1979年11月の首相指名選挙に挑んだ福田赳夫元首相。もう一人は1994年6月の指名選挙に出馬した海部俊樹元首相。)。結局、この総裁選では小泉純一郎氏が勝利を収めた。橋本氏が勝っていれば、首相経験者の首相復帰がこの時実現していたことになる。

以上の出来事の延長線上に今回の安倍氏の首相復帰はある。

他の首相経験者は?

安倍氏が首相に復帰したということは、今後ほかの首相経験者が首相に就任することも十分あり得るということを意味している。なお、現在、自民党の現職議員で首相経験者は安倍首相以外に一人だけいる。麻生太郎元首相、現副首相兼財務相その人である。

政策研究大学院大学教授

日本政治の研究、教育をしています。関心は首相の指導力、参議院の役割、一票の格差問題など。【略歴】東京大学法学部卒。スタンフォード大学政治学部博士課程修了(Ph.D.)。大蔵省、政策研究大学院大学助教授、准教授を経て現職。【著作】『コロナ危機の政治:安倍政権vs.知事』(中公新書 2020年)、『参議院とは何か』(中央公論新社 2010年)、『首相支配』(中公新書 2006年)、『戦前日本における民主化の挫折』(木鐸社 2002年)など。

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