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首相の人事権と派閥:安倍政権誕生の意義と課題 第2回

竹中治堅政策研究大学院大学教授

派閥の復権?

第2次安倍晋三内閣が誕生して2週間少し経つ。本稿では首相の人事権と派閥に焦点を当て、安倍内閣誕生の意義について考えてみたい(1月7日の「首相返り咲き:安倍政権誕生の意義と課題 第1回」では安倍内閣誕生の意義として「首相の返り咲き」について論じた)。

総選挙後、「各派閥が勢力を強めている」(『日本経済新聞』2012年12月24日)、「派閥の存在感が増している」(『朝日新聞』2012年12月21日)という報道が相次いだ。派閥は復権しつつあるのか。自民党は総選挙で大勝し、現職議員が急増した。このため、報道されているように、各派閥の規模自体は拡大しているのかもしれない。

結論から言えば、派閥の力が大きくなったわけではない。第2次安倍内閣の誕生の意義の一つは派閥の影響力が改めて限られていること、そして首相が強い人事権を持っていることを示したことである。

本稿では次の順序で論じていく。まず、派閥が1990年代以降、影響力を低下させる一方で首相の人事権が強まってきたことを簡単に振り返る。その上で、安倍首相の就任過程、そして、内閣発足時の一連の人事について解説する。具体的には、派閥の力が限定的である一方、首相の人事権が強力であることを示す。最後に、首相にとって残される課題について簡単に触れる。

派閥の盛衰と首相の人事権

1955年に自民党が結党されて以来、長年にわたり自民党の派閥は政治の中心にあった。派閥は中選挙区制のもと選挙で大きな役割を果たした。派閥は候補者を見いだし、選挙戦の実動部隊となった。派閥の領袖は首相を目指し、事実上の首相選出選挙であった自民党総裁選は派閥中心に行われた。

もともとは八つあった派閥が1970年代に五つにまとまると自民党政権は実質的には派閥の「連立内閣」となった。派閥は閣僚人事に強い影響力を及ぼすようになる。派閥の推薦にもとづいて閣僚は起用されたからである。また、各派閥に割り振られる閣僚の数は派閥の規模に応じて決まった。派閥が人事で影響力を行使するということは逆に首相の人事権が束縛されていたことを意味していた。人事権に対する制約は首相の指導力への重しであった。

このような派閥の役割が低下することになったきっかけは1994年に実現した政治改革である。政治改革により選挙制度が中選挙区制から小選挙区制に改められ、政治資金に対する規正が強化された。中選挙区制のもとでは自民党が政権を取るためには同じ選挙区から複数の当選者を出す必要があった。自派の勢力拡大も目的に各派閥は競って候補者を擁立した。党執行部の意向に反して、自派の候補を無所属で出馬させ、当選させることもあった。党執行部の候補者を公認する権限は限られ、党首である首相の派閥に対する関係を制約した。

小選挙区制では政党の候補者は1人に限られ、無所属での当選は難しい。このため派閥は自由に候補者を出馬させることはできなくなった。むしろ自派の候補者の公認を執行部にお願いする立場になる。つまり、党執行部の公認権は強くなった。また政治資金に対する規正が強化され、派閥は以前のように巨額の政治資金を集めることができなくなる。政治資金は党中央に集中するようになる。公認権や政治資金の配分権を最終的に握るのは首相である。

こうして、1990年代後半から徐々に派閥は影響力を低下させていく。この一方で首相の人事権は強まっていく。派閥の衰退がはっきりしたのは2001年4月に小泉純一郎氏が首相に就任した時である。小泉首相は派閥から推薦を受けず、自分の考えで閣僚人事を行った。

2006年9月に安倍晋三氏が第1次安倍内閣を発足させた時も安倍氏は首相が強い人事権を持っていることをはっきり示した。自身に近い政治家を閣僚に任命したため、安倍内閣はなぜか「お友達内閣」と揶揄された。要するに安倍氏は確立された首相の人事権を行使しただけのことであった。

閣僚人事

昨年9月の総裁選から第2次安倍内閣の組閣もこの延長戦に位置づけることができる。安倍首相は早くから総裁選への意欲を見せていた。これに対し、安倍氏が属していた町村派の会長の町村信孝元外相や実力者の森喜朗元首相は出馬を自重するよう働きかけた。しかしながら、安倍氏はこれを振り切って出馬した。町村氏も総裁選に挑んだため、同じ派閥から二人の候補者が総裁を目指すことになった。

かつても同じ派閥から二人の候補者が総裁選に名乗りを上げたことがある。1998年7月の総裁選には小渕派から会長の小渕恵三外相と梶山静六元官房長官が立候補した。この時は小渕氏が勝利した。

しかしながら、今回は逆に派閥の代表の町村氏は敗れ、安倍氏が勝利した。また決選投票では勝利できなかったものの、第一回投票で一位になった石破茂元防衛相にいたっては無派閥である。これは総裁選における派閥の影響力の低下の証左である。

安倍首相が行った閣僚人事も派閥の衰退を明確に示している。安倍首相は就任後の記者会見で、閣僚人事について、前回、自分の近い人ばかりを起用したという批判を意識し、「必ずしも私と完全に意見が一致する人ばかりではなく、広い見地から能力を重視しながら、幅広く安倍内閣に参加をしていただいたつもりであります。」と発言している(官邸ホームページより引用)。

しかし、安倍首相は派閥の推薦を受け付けなかった。また、麻生太郎副総理兼財務大臣、菅義偉官房長官、甘利明経済再生担当大臣を始め、要職には安倍首相の側近や近い人を起用している。つまり人事権を存分に行使したということである。付言すれば、今回の閣僚の中で無派閥の政治家の数は少なく数えても4名もいる(新聞社、通信社によって数え方が違う。なおこのこと自体が派閥のまとまりが弱まっていることの現れである。)。この数は岸田派から入閣した閣僚と同じである。また、閣僚人事に先立って安倍首相が行った執行部人事でも派閥の影響力の低下は現れている。幹事長を続投した石破氏のみならず野田聖子総務会長、高市早苗政調会長ともに無派閥である。

委員長人事など

ただ、首相が強い人事権を行使し、派閥の力が限定的であるとしても今後の政策決定過程で首相が存分に指導力が発揮できるかどうかはいまだはっきりしない。一つ大きな課題があるからである。それは内閣がつくった法案を確実に国会で成立させることである。日本の国会の内閣に対する独立性は高い。首相にとっては、予算や法案成立のため与党の幹事長、国会対策委員長、委員会の委員長、理事などから協力を得ることが大切なのである。これらのポストにも首相が人事権を通じて強い影響力を確保しているかどうかは不明である。

政策研究大学院大学教授

日本政治の研究、教育をしています。関心は首相の指導力、参議院の役割、一票の格差問題など。【略歴】東京大学法学部卒。スタンフォード大学政治学部博士課程修了(Ph.D.)。大蔵省、政策研究大学院大学助教授、准教授を経て現職。【著作】『コロナ危機の政治:安倍政権vs.知事』(中公新書 2020年)、『参議院とは何か』(中央公論新社 2010年)、『首相支配』(中公新書 2006年)、『戦前日本における民主化の挫折』(木鐸社 2002年)など。

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