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飯舘村長選公開討論会書き起こし(その3)

関口威人ジャーナリスト
飯舘村長選挙の立候補予定者による討論会(「e-みらせん」の動画キャプチャー)

10月16日投開票の福島県飯舘村長選は、現職の菅野典雄と新人の佐藤八郎両候補の一騎打ちとなっている。告示に先立つ10月2日に村内であった公開討論会で、両者が主張した政策などを大まかに書き起こす。(敬称略、発言趣旨を変えない範囲で言い回しなどは筆者が編集)

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第2部・政策・ビジョンに対してのQ&A

テーマ別質問(1)避難区域の解除時期について

佐藤八郎

復興支援を考える上では、健康や経済面で自己責任としながらやる気のある人、希望する内容などによりできるだけの支援をするのは、行政として当然の役割だ。時期の決定については、いままでの村・国のやり方などを村民の立場にたって十分な検証を行わない限り、いま決められることではない。その上で、村民1人ひとりの自立の見通し、村行政のあり方について事前に資料を配布し、説明・懇談を重ねる上で、多くの村民の合意があれば住民に時期を示したい。いままでのような新聞・テレビの発表が先にありきのやり方は、私はしない。常に村民とともに歩みたい。今までの説明会・懇談会では「不安がある」「時期尚早だ」などの声を押し切った形で決め、進められている。多くの村民が合意できる施策とはなっていない。線量などの実態を明らかにし、中長期的に村民が納得する除染をして、安心安全な自然環境をつくり、山菜やキノコが自由に食べられるような飯舘村にしない限り、避難解除はあり得ないのではないか。これを事業としてきちんとやっていくには、多くの村民の雇用と理解が必要となる。

菅野典雄

避難解除については2017年3月31日、これがベストでないのはわれわれも分かっている。しかし、ベターな選択ということだ。つまり、解除がゴールではまったくない。そこから本当のスタートだ。ゼロからというより、マイナスからゼロに向かってと言っていい。そういうことを国民的合意を得て、国・県に知ってもらうことが必要だ。忘れられていくのでは絶対にいけない。忘れられないようにするには、私たちが自らやることはやる、あるいは提案をする。アイデアを出して、こんなにやってるんだから、しっかりこれからフォローしてくださいよと言うのが大切だ。まったく不十分ではあるが、何とかここまで生活インフラを一つ一つやってきたところだ。解除になるともっとしっかりしたインフラの整備、あるいは住宅に入っていただくためのリフォームもできる。子どもも含めて全部戻れ、強制的にというつもりはまったくない。百人百様であるので、それぞれ自分の判断や家族との相談の上で、帰れる人は帰っていただいて、みんなで古里でがんばっていこう、再生していこうというのが村にとって大切ではないか。その考え方や姿勢が必ず国を動かし、国からいろんな事業を持ってこれることになる。さらに、われわれはまだ長泥地区をどうするかという重要な問題も抱えている。そこにも力を入れなければならない。

(2)東京電力に対する補償と村の支援策について

菅野

しっかり賠償はしていかなければならないが、いつまでも賠償が続くということはない。それでいいというつもりはまったくない。生活支援のような先を見させる制度を、国が責任を持ってつくっていくというのがわれわれが求めている主張だ。ただ、介護や病気に伴う特別な事例があれば、それは個別にしっかりと対応して、みんなで応援をするという形が大切。それに対して、飯舘村はどうなんだというと、いろいろな補助制度が出てきている。4分の3と随分言い続けてきたところが実現してきた。それでも、4分の1でも大変な場合はあるから、若干そういうのに村から支援をしていく。商業ファンド、農業ファンドもある。固定資産税もやはり大変であろうから、避難解除後3年ぐらいはある程度、減免も年数を区切ってしていかなくてはならない。あるいは就農支援、住宅確保など、他から来る人を歓迎する制度もないと、なかなか大変ではないか。新しい人たちの刺激でまた村の人もがんばっていくという循環をつくる必要もあるだろう。その他、イノシシ対策や戻ってきた人の同窓会などいろいろ考えられる。これから皆さん方と相談し、声を聞いて一つ一つ、「陽はまた昇る基金」で、議会の同意を得て、いま5億円あるので、少しでも皆さんの生活支援にしていきたい。

佐藤

私は東京電力には、議員として村長や各種団体と一緒に何度となく上京したし、福島市内での交渉でも皆さんの声や提案を申し上げている。しかし、なかなか具体的な答弁はしてもらえない。飯舘村の村民が何か悪いことをしたのか。どちらが被害者で、どちらが加害者か分からなくなるような状況だという、村民の声が数多くある。この実態をきちんとするためにも、安心安全な生活と、経済的に収入を得て生業を再開できるまで補償継続は当然だ。そのためにも実態調査をし、村民に公平・公正にというのは、多くの村民と私の考えが一致すると考えている。

(3)放射線に関する健康問題に対する支援について

佐藤

この問題についても、県との交渉を私個人として、ある団体と一緒にやっているが、病気が発症してもなかなか因果関係が示されない状態だ。しかし4年、5年の中で症状が出ている実態がある。確かに事故が起きた当時よりは、放射線量値そのものは下がっている。それは半減期という放射性物質の特徴から、年数が経てば下がっていくという流れだ。1トンバッグが豪雨で川に流れたとき、マスコミは四十何袋が流れたと話題にしたけれど、現実は、除染をしていない村の約85%に、空から降った放射性物質が流された量の方が、圧倒的に多い。いま村内約15%の除染がされたが、今年も3回ほど集中豪雨があり、そのたびに放射性物質が移動し、流れ込むという繰り返しをしている。自然と共存していく上でも、放射線に関する健康問題はこれからますます大変になり、今までの健診・検査以上に、世界中から叡智を結集して村民の健康を守らなければならない。

菅野

いくら除染をしていただいても、やはり住民の不安は残る。そこにどう対応していくかは非常に重要な問題だ。これまでも内部被ばく検査、甲状腺検査、総合健診などずっとやってきたが、これも継続的にやっていかなければならないし、保健師・看護師などによる巡回相談もしっかりやっていかなければならない。いま戻る方には個人線量計を配布して、継続的に一人一人がどのような状況になるかを測ってもらうようにしている。私も24時間持っている。そういうことを村民にしていただきながら、さらに食品の検査機器は、皆さんが自由に測定できるものを2、3日前に1台入れたが、あと10台を入れる予定だ。また、フレコンバッグの山が非常に目につき、できるだけ早くということにはしているが、ある程度かかるということになれば、その管理の仕方をしっかりとして、そのつど線量などを皆さん方に情報提供していく。何かあれば、村としてしっかりと相手に対して強い態度で行くしかない。しっかり村民の健康を守るのは一番大切なことだ。いろいろな形でこれからも続けていくつもりだ。

(4)今後の村の主要産業について

菅野

飯舘村は飯舘牛、あるいは花だ野菜だと売ってきたのを、こういう形でほとんどダメになってしまったのは残念でならない。先人の努力をダメにするようなことで本当に申し訳ないと思うが、ダメダメと言っていても仕方ない。これからはいろいろな形でやっていく必要がある。震災に遭う前に「6次化」ということがあって、実は6次化のメインである村民ブランドのために4億円ぐらいの工場を建てるつもりだったが、完全にダメになってしまった。またあらためて、そういう方向は一つある。例えばイチゴをつくっていただいた方から、いま紅茶などができていると、そういう考え方で売れるような形にしていかないと。食べ物も当然必要であるけれども、風評被害もあるかもしれない。そこで他のいろいろな企業と組みながら、花卉栽培なども方法を考えていきたい。また、農家の後継者不足もあるだろうが、農地を守ることでは、農地管理会社みたいな形で、しっかりと所得を補償しながらある程度やってもらうことも必要だろう。商工業の強化も、飯舘村は以前から企業支援で最高6,000万円まで拡大という形で、かなりの会社に使ってもらっている。いま、またしっかりやりたいということで官民合同チームの方からいろんな制度が出てきているが、それをフォローしながら、がんばっていただける方にあらゆる形で支援していく。1点に絞るというのも一つの方法だが、多様にして小規模・多機能的なものも村の生きる道では。何かに絞るのも大切だが、そうではない形で生きる道もあるんだろうと考えている。

佐藤

先ほどから私が飯舘の現状を話している中での産業起こしということになるから、十分健康に注意してということになるし、いまの流れではそこから発症する病気については自己責任ということになる。健康が一番という観点から、十分な対応が必要になる。現在、実証試験的に村の中で産業を起こそうとする農家、商工業の皆さんと今後も提携をしながら、村としてきちんと支援するものはする、県や国にそういう事業があれば活用させていくという中での選択になろう。多くの方は元のような飯舘村の農業や産業の姿にはならないのではないかという不安を抱いている。私自身も自己紹介で言ったように、ほとんど農業をやってきた一人だ。まったく悔しいの一言だが、何といっても生活するには健康が一番だ。多くの村民の産業に取り組む姿勢に大きな支援をしていくことに変わりはないが、当面はハウスや室内、家の中などがベターなのでは。今後、村の放射性物質がどれぐらいあるかという実態調査、さらに村民による村民のためになる除染を、村民が雇用された中でやっていくという事業も必要ではと考えている。

その4に続く)

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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