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飯舘村長選公開討論会書き起こし(その4)

関口威人ジャーナリスト
飯舘村長選候補の佐藤八郎(左)と菅野典雄(「e-みらせん」の動画キャプチャー)

10月16日投開票の福島県飯舘村長選は、現職の菅野典雄と新人の佐藤八郎両候補の一騎打ちとなっている。告示に先立つ10月2日に村内であった公開討論会で、両者が主張した政策などを大まかに書き起こす。(敬称略、発言趣旨を変えない範囲で言い回しなどは筆者が編集)

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第2部・政策・ビジョンに対してのQ&A

(5)帰還する方及び帰還しない方に対する具体的な支援

佐藤八郎

先ほど言ったように、私ども議員といえども村民の住所、居住場所が80%分からない状態での活動であったが、時間があれば訪問し皆さんからいろんな声や願い、提案をいただいた。帰る方については、当面は足の確保が重要だ。突然体が悪くなったり、命にかかわったりしても、村には救急車が1台しかない。それがすでに出ていれば2台目、3台目の救急車はどうなるのか。子どもや家族を呼ぶには時間がかかるという心配がある。そういう手当も、きちんと行政としてきめ細かく戻られた方の声を丁寧に聞き、政策をやらなければならない。戻らないとする方々は、「今は子育て中」「今は病気の人がいる」「今は介護を必要とする人がいる」と、それぞれ戻りたい気持ちはあるけれども戻れない事情がある。その事情が過ぎたときに、安心して戻れる村とするためにも、そうした方々と常に連絡をとっておく。そのためには、ある一定の部分にいる村民の方々と、定期的に連絡の取り合える相談会なり、コミュニティーの場などをつくっていくのは当然だ。

菅野典雄

あの年の7月に三宅島の村長を呼んで、全村避難というのはどういうことなのかを勉強した。三宅島でも60%しか帰らないということだった。これは戻った人だけで村づくりということにはならないなと。1人ひとりに向き合った復興をしなければというキャッチコピーだったが、そう簡単ではないと、自ずと分かっていただけると思う。つまり、帰った人にはいろいろな政策ができる。例えば、先ほど八郎さんが言われた巡回バスもそうだろうし、通学も含めてしっかり国の方に要求しているところだ。イノシシ対策やベンチャー企業の支援、あるいは幼稚園・保育所の給食費など、議会と相談しての話だが半額にするか全額にするかというのも、いくらでもいろんなことができるが、帰らない人にどうするかは非常に難しい。でも、飯舘村はこれまでもずっとやってきたわけだが、学校の子どもたちの体験学習は全部、他に住んでいる子どもたちにも声を掛けて一緒に行っている。村の方に来るスクールバスの運行もしなければならない。広報誌は希望がある限りは皆さんに送らせていただく。また、いわゆる家賃の補助もある程度、年限がないと皆さんも生活が大変だということで国の方に要望している。「すくすく」も3年ぐらい継続してフォローしていかなければならない。村の主要行事にはできるだけ帰らない方も声を掛けて、一緒に古里で交わってもらう、あるいは友達との再会を喜んでもらうことが必要だろう。そういうことで帰らない方にもしっかり、できる範囲でやっていかなければならないと思っているが、まったく同じ形にはならない。けれども、その中でどれだけ一生懸命やっていけるかだと思っている。

(6)村に戻ることのメリット・デメリットについて

菅野

メリットはいっぱいあると思う。仮設住宅や借り上げ住宅の狭い中で、ある意味では慣れたかもしれないが、やはり飯舘に戻ってきていただくと、間違いなくストレス解消になるし、健康の維持にもなる。また、いまなかなか大変な雇用もある程度、緩和される見込みだ。戻ったことによって新たな村づくりもできる。イノシシ対策でしっかりすれば自給自足も可能だろう。高齢者にとっては村民同士のコミュニケーションがとれる、仮設から同窓会ができるようなこともやっていかなければ。デメリットは、戻っても残念ながら元のような医療、介護、買い物の機会が得られない。少しはスタートしているが、徐々にやっていくしかない。もう一つは、フレコンバッグが山になっている。ものすごい数であるが、30〜35%は自前の蕨平でやるが、あとは中間貯蔵になるので相手次第。だが、できるだけ自治体均等に持っていくのでなく、われわれのところを運ぶ通路があるんだから、比重を重くして運んでもらわなければ困る、と要望に出している。それがデメリットかと思う。

佐藤

村民に話を聞くと、誰でも事故前のような飯舘村に戻って暮らしたいという思いがある。しかし、いまの仮設住宅、公営住宅の暮らしは、いま村長が言われたように大変で不安や不満があり、そのいきさつとして村に戻ることに必ず結びつくかどうか。元のような隣近所や友達が帰ってきているかどうかという不安がある。そのためにここ何年か、長期宿泊を開催しているが、宿泊者は今回でも150世帯、700人の希望者があっても、実際は50世帯ぐらい。本当に泊まっている方はその半分ぐらいという状況だ。私の知る方も、2日も泊まったらもうダメ。夜になると電気がついてない、庭先にイノシシの群れやサルが近づいてくると、いろんなことが寂しさ、不安としてよぎって、ダメだという話になる。元のような隣近所、コミュニティーがあれば村のメリット、飯舘村の素晴らしさがあるが、なかなかいまは見いだせない状況にある。いま耐えられないほどストレスを精神的にかけている人は、長期宿泊だけ時間をとって村に戻っての生活も、それはそれでメリットだと思う。こういうことも含めて、皆さんの声をきちっと聞きながら進めなくてはと考えている。

第3部・主張発表

佐藤

私は皆さんのご指導をいただいて23年間、村の行政にかかわらせていただいた。そういう中で、本当の住民自治とは何なのかというと、村民1人ひとりに人として生きる権利があり、憲法に保障された基本的人権を守り、伸ばすことだと思っている。佐藤八郎はいままで「村民が主人公」を貫いて、この原発事故が起きてからは、川俣や山木屋、そして浪江の同じ被害者の方々と手をつないで、国・県・東電に皆さんの声や提案を届けてきた。いまやるべきことは、村民の協議と合意の下、飯舘の未来をつくる。そのために加害者の責任と役割を、皆さんの声や願い、提案に沿ってきちんと追及をし、5年後、10年後、飯舘村が再興できるような流れにしていきたい。そのために皆さんと一緒に政策をつくり、皆さんに情報公開をする。説明会や懇談会は事前にきちんと資料を配布する中で行う。それらを基本として、将来の飯舘村をつくるために私、そして皆さんが一緒になって政策やビジョンをつくる。100人委員会か150人委員会になるか分からないが組織し、皆さんの熱意、希望に応えながらビジョンをつくって進めたい。

菅野

3つ話をする。冷害にあったことによって幸か不幸か、飯舘の「までいライフ」が全国的に広まった。これは使っていかない手はない。「までいの村に陽はまた昇る」のキャッチコピーで、これから創意工夫、アイデア、あるいは他との差別化、オンリーワンといった考え方をしっかりと持っていけば、必ず飯舘村は再生できるということが1つ。2つ目は、村の一番の宝は何か。私の名刺にも書いてあるが、村民の「心」だ。どんなときでも前を向いて、お互いさまという考え方でやってきた。このコミュニティーをもう一度再生すること。心の分断ができてしまったが、決して心配することはない。飯舘村民は必ずどこかで心がつながる。そこに意を用いていきたい。最後の3つ目に、これからも国に、東電に、県にしっかりと要望は出していく。ただ、その元は自分が考えて、行動し、汗をかくところがないと、相手からそういい話は持ってこれない。そこを皆さん方と、まずしっかりやっていこう。そしてこの放射能の災害、原発の災害は国・県・その他との交渉が非常に必要になっている。交渉するときのスタンス、考え方が勝負になってくる。私は幸い、この災害の中でこうして経験をさせていただいたわけだから、この経験と5年間の人脈を使って、飯舘村をもう一度「までいの村に陽は昇る」をしっかりやっていければいい。そのために村民の皆さま方と一緒にやることが大切だと思っている。

筆者より:主催者の原町青年会議所の承諾を得て書き起こしをさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。また菅野、佐藤両候補の健闘と、飯舘村の皆さんの選択が尊重されることを願います。

(おわり)

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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