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森林浴、森林療法、そして森林セラピーの真実

田中淳夫森林ジャーナリスト
森の中を歩くと癒されるというが……

私は仕事に煮詰まる(飽きる)と、よく裏山の森の中を歩く。ゆっくり遊歩道を進むときも、がむしゃらに登るときもある。遊歩道から外れ、道なき道に探険気分で分け入ることもある。この先何かあるか考えず、ただ目の前を景色を受入れながら前に進むのが楽しい。

すると、鬱々とした気分が晴れるのだ。悩んでいたことが消える。気分がよくなる。楽しいことを考えられる(仕事を忘れる、ともいう)。

それだけではない。こんがらがっていた情報が整理され、頭がすっきりする。新しいアイデアが浮かぶ。迷いが消える。俄然、仕事のやる気が湧いてくる(こともある)。

日本人は、まだ森の中に入るのは怖いという人が多い。怖い野獣や毒蛇が出る、虫に刺される、崖から落ちる……などネガティブな情報が少なくないからだろうか。しかし林間を歩いたり佇むだけで癒される、ホッとする……という経験を持つ人も多いのではなかろうか。

この森林散策、もっと単純に「森歩き」とも言うが、登山やハイキングなどで森の中を歩くアウトドア活動とは一線を画している。山の頂など目的地がある登山やハイキングとは違い、到着までの速さを競ったりコースの難易度を競うこともない。植物観察もしない。ときには歩くことも控えめに佇んだり座り込むだけの場合もある。つまり、「森の中に滞在する」ことに意義を求める行為である。

最近は森林セラピーという言葉が広がりだした。少し前には森林浴という言葉が知られているし、森林療法という活動も登場している。

これらの言葉を気にせず使いがちだが、厳密にはみんな違う。そこで、これらの言葉の定義や、登場するまでの経緯を整理してみよう。

まず、もっとも早く登場したのは、森林浴だろう。

この言葉が世間に現れたのは、1982年だった。時の秋山智英・林野庁長官が森林散策による保養を提唱したことに始まる。森林には、フィトンチッドと呼ばれる成分が漂っていて、香りによる清涼効果や生理機能の促進など優れた効果がある、それを浴びる「森林浴」を行うことで、健康・保養に国内の森林を活用しようと唱えたのだ。日光浴、海水浴などから連想した造語であろう。そして一世を風靡した。

ちなみに、フィトンチッドという言葉も森林浴とともに知られることになった。「植物」を意味する「phyto」と「殺す」を意味する「cide」から作られた言葉である。この物質そのものは、1930年ごろにロシアのボリス・トーキンが発見した植物の発する揮発性物質を指す。この物質は、炭化水素の一種であるイソプレン(C5H8)ユニットを含む天然化合物の一群でテルペン類が多い。もっとも、広義には揮発性の低い物質を含むこともある。

こうして広がった森林浴とフィトンチッドは、森の中にいると気持ちよいということを広める役割は大きかった。ただ、具体的にどんな効果があり、それはなぜ引き起こされるのか、という点がはっきりさせず、あくまで経験則と「気分」で留まっていた。 

それを、より科学的に研究し始めたのが、上原巌・現東京農業大学准教授である。1990年代半ばに上原氏は、当時勤めていた農業高校で生徒たちと森林内の作業や活動を行う中で、彼らの変化に気づいたことを科学的に研究する決意をする。

そして血圧、脈拍、あるいは脳波などの測定から始まり、さまざまな生理的な反応から、森林散策が人体に何らかの影響をもたらすことを証明した。そして森林散策は、カウンセリングや障害者の療養、あるいは幼児の保育・教育など広い分野に応用できることを提唱し、1999年の日本林学会で「森林療法」という言葉で発表した。

そこで定義づけられた森林療法は、科学的知見を元に「森林が人に与える健康増進、病気予防、リハビリテーション、リラクゼーション、療育、保育、教育など」全体を意味する。

さて、そこに新たな動きとして登場したのが、森林セラピーだ。

2004年、林野庁が主導する形で森林療法を地域起こしの観点から取り上げようと、「森林セラピー研究会」を立ち上げた。林野庁は、新たな森林利用の理論的根拠を得ようと考えたようだ。

なお「森林セラピー」という言葉は商標登録されている。ほかにも「森林セラピスト」「セラピーロード」が登録された。だからこれらの用語およびロゴマークの使用は、勝手に行えない。森林セラピーを行うと標榜できる地域は、審査を受けて合格し、森林セラピー基地、およびセラピーロードに認定された地域だけである。言い換えると、森林セラピー基地に行かないと森林セラピーは行ったことにならない。

だから森林セラピーとは、林野庁が作った造語であり、森林療法の中でも限定的な部分を指す。端的に言えば、森林セラピー研究会(現在、NPO法人森林セラピーソサエティに衣替え)が認定したものだけが森林セラピーである。今年までに森林セラピー基地は、全国に53カ所認定された。またセラピーガイドなどの養成講座も開いている。

内容は、森林療法と重なる点も多いが、それぞれの地域で独自のメニューを考案しているケースも多い。たとえば森林ヨガや森林マッサージ、森林瞑想……などを提供している。森林セラピー弁当の販売なども行われる。

ところで森林セラピー基地の認定を受けるためには、莫大な審査料が必要なことをご存じだろうか。審査を受けるだけで、当初は約1000万円かかった。合格した後にセラピーロードなどを整備する費用は別。基地の看板設置にも、指定の業者を使うように求められた話も伝わる。さらに宿泊施設の指定やガイド組織の結成など、課題は数多くある。

また森林セラピーガイドや森林セラピストの資格取得のためには、安くないテキスト購入や検定料が必要である。もっともペーパーテストだけだ。そしてこれらの資格を取得しても、使えるのは森林セラピー基地内だけである。

まさにお役所系の団体が得意とする認定ビジネスそのものではないか。審査料、検定料、検定テキストやガイドブックの購入……と何かとお金がかかるようにできている。

そして森林セラピー基地をオープンさせても、体験希望者がどれほど来るのかわからない。なかには、ほとんど来ない地域もあるという。そもそもセラピーだから、大人数で行えるものではない。ガイド一人にせいぜい5、6人までだ。決して地域の来訪者を増やすことにはならないのである。また来訪者に地域振興に役立ってもらう(有体に言えば、お金を落としてもらう)ためには、さまざまな仕組みを構築しないといけないだろう。基地の宣伝だけして来訪者を誘っても、ガイドを依頼せずに歩き、お金を落とさずゴミだけ落として行くことになりかねない。

森林セラピーで地域活性化を期待しても、森歩きが心身に与える効果ほどの科学的知見はなく、未知のまま期待だけを膨らませている。

以上、森林を歩いて癒しを得るというより、ストレスを感じる話となってしまった。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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