Yahoo!ニュース

ゼロ・エミッションの林業~老林業家の嘆き

田中淳夫森林ジャーナリスト
切り倒した杉の皮を剥く。かつては樹皮も大切な森の産物だった。

老林業家に話を聞く機会があった。

代々山里で農業と林業を営む家に生まれ、彼も戦後、学校を卒業するとすぐに山仕事に就いたそうだ。集落では、男は山で働き、女が農作業に従事するというのが当たり前だった。来る日も来る日も弁当を持って山に入る。春は植林、夏は下刈り。秋から冬は、伐採のほか枝打ちをしたり、伐採跡地の地拵えといって、山肌を片づけて次の植林をしやすいようにする作業があった。

伐採は、太いものは専門の人に任せたが、雑木や細い杉木の間伐は自分で行った。太い木はもちろん、細い木も伐ったものは皆山から人力で下ろす。細くて軽ければ肩に担いだり二人がかりで引っ張ったが、重い丸太は、木馬と呼ぶ木の橇に積み、横木を並べた線路の上を滑らすようにして運搬する。

搬出した木は、太さに合わせて出荷する。細い丸太は、杭用に加工する。少し太くなると、稲穂を干す架木になる。さらに太くなると建築現場の足場丸太用。これが、なかなかよい値になった。大径木の場合は、高く売れる木材市場を探す。近場の原木市場とは限らず、トラックに積んで遠くまで運ぶこともあった。

杉皮の需要もあったので、太い木から皮をきれいに剥いて出荷した。屋根に葺いたり、壁に使われるのだ。

また雑木や柴(枝葉や小径木類)も、売り物になった。コナラやシイ、カシなど広葉樹材は薪にして近隣の街に出荷したし、スギなどの柴は、近くの寒天農家が焚きつけ用に買いに来た。寒天は、テングサを煮て成分を取り出すのだが、常に火が欠かせないのだ。

もちろん自家用の薪も調達しないといけない。まだ日々の煮炊きに暖房、風呂を沸かすのもみんな薪で行っていた時代だ。火鉢用には、窯を築いて木炭も焼いた。麓の刈り取った草も堆肥にして田畑に漉き込むか、飼育する牛の餌として重宝した。

山から得るのは樹木ばかりではなかった。春は山菜が採れる。秋なら松林でマツタケを狙った。いずれも街の市場に出せば、買い手はすぐについた。

……こうした話を聞いていると、昔の山には捨てるものがなく、すべて利用し尽くしていることに改めて驚く。林業は、いや山仕事は多種多様な商品生産で成り立っていたのである。決して太い建築材だけを生産していたわけではない。

よく「林業は数十年に一度しか収穫できない」と言われ、だから人間の経済活動と相容れないと説明される。しかし、そんなことはなかったのだ。

なるほど、建築材にするような太い木を育てるには長い年月がかかる。しかし、植林直後は山菜を収穫できたし、林床でミツマタなど和紙材料になる低木や、シキミやサカキなどを栽培できた。シイタケを生産することもあった。林内にウシを放牧して下草を餌にしたら、自然と下刈りになった。じゃまな雑木を切り払う作業も、薪生産に結びついている。 

植えて10年くらいから伐り出す間伐材も太さに合わせて使い道があるし、製材時に出る端材も木箱や割り箸などの材料になった。杉葉は線香の材料になった。毎年、なにかしら収益があるのだ。それら全体が林業だったのである。

ところが、現在では稲木や足場丸太などは需要がなくなり、薪を燃やすストーブや風呂、かまどもほとんど姿を消した。牛馬も飼育しなくなった。その結果、商品アイテムが減っていく。建築材としても、太くてまっすぐな材ばかりが求められ、細かったり曲がりがあると使われない。そのため切り捨て間伐が横行してしまった。森林が育んだ生産物のうち、利用しているのは全体の1~2割という推計もあるほどだ。

現在は木材価格が下がり続け、何十年と育てた木を売っても、いくらにもならない。ときに大根一本より安いと言われる。それを輸入を解禁した外材のせいにしがちだ。しかし本当に日本林業は、森林資源を有効活用しているだろうか。

時代の流れで、建設現場の足場が金属パイプに変わり、間伐材が使われなくなったのは仕方ない。しかし、それに代わる新しい商品を開発しなかったのは怠慢だったと言われても仕方ないのではないか。

建築材にしても、日本人は和室を望まなくなり、洋室が好むようになった。生活様式が変化したのに、国産材は昔ながらの柱材ばかりを生産している。洋室に求められるフローリングやドアなど木質建材は、ほとんど外材製なのである。

また消費者の無垢材を喜ぶ指向も、木の使い道を狭めたと思う。無垢材は、木材の歩留りが悪い。せっかく収穫した木の半分も使えない。合板やパーティクルボードなどの方が歩留りは格段に高く、木材の有効利用なのである。

長い時間をかけて育て、ようやく収穫した木を、すべて使い切る。廃棄物を出さない。本来の林業とは、ゼロエミッションであるべきだ。

それなのに日本の林業は真逆の方向に歩んでしまった。

今の世の中、汗水垂らして育ててきた森では生活を送れなくなった。若いころに植えた木は、年金がわりになると言われたのに、今では値がつかない。老林業家はそう嘆く。それは単に木材価格が下落したことだけでなく、宝の山をみすみす捨てていることのへの反省も含まれているように聞こえるのである。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

田中淳夫の最近の記事