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日本人は、木が嫌い? 「木育」の背景を考える

田中淳夫森林ジャーナリスト
イベントで行われたマイ箸づくり。自ら木を削って箸づくりを行うのも木育の一環。

日本は「木の文化の国」とよく言われる。たしかに古代より日本列島の多くは森に覆われており、木は身の回りに多くあった。だから縄文時代より住居を始めとして建築物はほとんど木造で、日常の道具も木で作っきた。日本書紀には、さまざまな木ごとに適した使い道に関する記述があり、当時から文字通り「適材適所」の精神が広がっていたことが読み取れる。それぞれの木質の違いを活かした利用法を育んできたのだろう。

だが本当に「木の文化」は、現代まで継承されているだろうか。どんどん身の回りから木製品は姿を消し、人々の心から木に関する情報は忘れられつつあるのではないか。住宅一つとっても、木造率はじりじりと下がり、素材に鉄やコンクリート、そして新建材という名の石油製品が増えている。

住宅を求める人にアンケートを行うと、木の家がいい、できれば国産材の家がいい、という声は今も根強いそうだ。ところが、現実に建てる際に木を排除しようとするのは建築主自身である。

たとえば、大地震が起きると木造は弱いと敬遠される。十分な耐震設計がなされていても、である。

また太い木材は、時とともに乾燥が進むと、繊維に沿って割れる。これは木材の特性であり強度に何の問題もないのだが、木造住宅を建ててから、家中に割れる音が響くと仰天し、施工者に欠陥住宅だとかみつく建築主が少なくない。だからクレーム処理に泣かされる工務店は、径年変化しない新建材や乾燥の行き届いた集成材を使いたがる。

さらに目に見える木材も減っている。本来の日本家屋は、柱や梁など構造材が見える真壁構法で建てるものだった。ところが、今や構造材の上にクロスなどを張って見えなくする大壁構法が大半だ。大壁構法は、洋風住宅に向いた建て方だが、最近では和室が一室もない家が増えている。また構造材が見えないのだから、木の柱である必要は少なく、たとえば鉄骨やコンクリートでもよい。いよいよ木材の需要は減っていくのである。

そのほか欧米では当たり前の木製サッシは滅多に見かけず、アルミサッシが大半を占める。木製は断熱性能が高いのだが、大雨などが吹きつけるとわずかに水が内部ににじむことがあり、それが嫌われるのだそうだ。

そして次々と身の回りから木製品を追放し、人が木に触れる機会を減らしてきた。家具は金属製。玩具や器もプラスチック。紙製も出てきた。最後の木工品?である割り箸まで追放しつつある。笑えるのは、それらの金属やプラスチックの表面に木目を印刷したフィルムを張り付けた品は結構出回っていることだ。これこそが日本の誇る「木の文化」だった!

結局、大多数の日本人は、小さな便利さを優先して木の出番を奪ってきたのだ。そして価格優先で商品の選択を行ってきた。それが本当の木の姿を知らない人を増やし、いよいよ木を排除する社会にしてしまったのだろう。

そこで、もっと木に親しもう、木のことを学ぼうという運動が起き始めた。それが「木育」だ。この言葉は、2004年に北海道で誕生した。きっかけは林業振興のため道産材をもっと使ってもらおうと考えられたことにあるそうだ。当初は「食育があるなら、木育があってもいいじゃないか」というノリだったという。ただ、その後多くの人々が関わる中で、単なる産業振興策にとどまらず、幅広い運動に発展する。

いまや内容は幅広い。木に親しむ、木を学ぶところだけでなく、森や自然環境全般まで扱われるようになった。子供に木のオモチャで遊んでもらう催しから、大人を含めた森林環境を学ぶ活動まで含む。知識だけでなく、情操面から森や木に馴染んでもらうことをめざしている。そして「人と、木や森とのかかわりを主体的に考えられる豊かな心を育むこと」が目標とされたのである。

木育は多くの人々の共感を呼んで広がり、2006年に閣議決定された林野庁の「森林・林業計画」でも採用された。そして全国各地で多くの人々が活動を始めたのである。北海道などでは専門知識を身につけた「木育マイスター」の養成も行っている。

ある意味、「木育」として積極的・意図的に学ばせなくては日本の「木の文化」は衰退するところまで追い詰められたと言えなくもない。だが、現実に森や木に対する発想はいびつになった感が否めない。

たとえば最近は「森を守れ」という言葉が多く飛び交う。その理由に地球温暖化防止のためのCO2削減とか、生物多様性問題を持ち出されることが多い。あるいは林業振興のための「木づかい運動」も推進されている。しかし、そんな小難しい理由を聞かされて、心に響くだろうか。本気で森を大切に思い、木を使う気になるだろうか。一部の産業のために木をもっと使えというのは傲慢に聞こえるし、短絡的に「森を守る」=「木を伐らない」=「木材を使わない」と考える人を増やしてしまいかねない。

むしろ本当に自分は木が好きか、森のことを知っているのか……と、問い返すところからスタートすべきだろう。さもないと、薄っぺらな森林保全や林業再生という掛け声はすぐに剥がれる。そして印刷された木目で満足して終わってしまう。「森を守れ」というのは簡単でも、理屈ではなく心で感じないと身につかず行動にも反映されないのだ。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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