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吉野杉の「おすぎ」を買った女……木材の値段は誤解だらけ!

田中淳夫森林ジャーナリスト
「おすぎ」と添い寝……だそうである。

奈良県の吉野林業の中心地・川上村で丸太を買った女子がいる。

と言ってもピンとこないかもしれないが、これがいかに「非常識」(笑)なことなのかわかるだろうか。

丸太は、そのまま使えるものではない。製材して角材や板にしないと使い道はほとんどないだろう。だから、製材所や工務店の人間でもない一介の個人が、それも1本だけ木材市場で丸太を買うなんてことは、通常ではあり得ないことなのだ。しかも若い女性が……。

ただし、私がこの件で考えたいのは、彼女の非常識さ……もとい勇気ではなく、その価格なのである。吉野林業は日本の林業の最高峰とされている。山には樹齢200年300年のスギやヒノキが文字通り林立し、生産される木材も、真円の大径木で年輪の詰まった高級材だ。価格もそのほかの産地と比べると一等抜け出している。彼女の購入した丸太はいくらしたのか……。

先に紹介しておこう。件の女性は、鳥居由佳さん。生まれも育ちも大阪で、海か好きで沖縄に通い続けているというが、海は川に、山に、森に通じるという点から川上村の地域おこし協力隊に応募。村の産物を販売したり林業ツアーを実施したりと、地域を盛り上げる数々の企画を立ち上げて八面六臂の活躍中だ。

だが村に来て彼女が気づいたのは、想像以上に深刻な状況である。なかでも村の基幹産業である林業の沈滞が、森を荒らし、地域の衰退に結びついている。そこで改めて木材の可能性を見つけるために、自ら木材を買ってみることにしたというのだ。

鳥居さんは、丸太を購入したことをフェイスフックで写真つきで公開した。さらに丸太の名前を募集。めでたく「おすぎ」と決まったという。次は「ピーコ」を買うというのだが……。

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丸太に名前を付けるなんて前代未聞。愛着がわけば切り刻んで製材できなくなる……そんな声もあるとおり、雨の日は「おすぎ」が濡れてしまう……と心配する有り様。そして「添い寝」をするのである!

これが一部で驚嘆をともなって話題となった。もちろん若い女性が丸太を買ったという点もあるが、驚かれた理由には「大きな高価な買い物」をした、ということもある。なぜなら購入した丸太は、直径30センチ級で長さ4メートルとボリュームは十分。そして高級材として知られる吉野材……。

相当、高かったのではないのか?

丸太の小口の写真を見ると、少なくても樹齢80年は越える逸品。太さだけでなく、芯部の赤い色や年輪の目の細かさは、これぞ吉野杉! と思わせる。これは外材とはわけが違うだろう……。

彼女の親族の反応は、「10万円以上? もしかして何十万円?」というものだったという。最低でも5万円以上はすると思ったそうである。私の周りには、「吉野杉だったら50万円以上するんじゃないか」という声だってあった。

だが、吉野杉の価格は、近年下落を続けている。かつては立米単価が50万円、ときには1本3000万円などという銘木も出荷されたことがあるというが、最近では一般材に近づいた。件の丸太の場合は立米単価が約4万円。この丸太は0,36立米なので、1万4400円だ。この程度なら、個人でも買える範疇だろう。何も彼女が全財産をはたいたわけではないのである。

世間には木材に対する誤解が多くあるが、最大のものは価格だ。とくに国産材は高いと思われている。よくニュースでも「安い外材に押されて……」と語られたり、「国産材で家を建てたら高くつく」と思い込んだ声が流布している。

だが、実際の価格は驚くほど安い。通常のスギなら、立米単価は1万円前後だ。1本当たり4000円もしない。少し曲がっていたり傷があろうものなら半値になる。とくに最近は、円安で外材価格は上がっているから、外材より安いものも少なくないのだ。

問題は流通や製材・加工の過程で価格が上がってしまうことである。だから柱や板材になった時点で、北欧など地球の裏側から届いた製材品と比べて高くなってしまいがちだ。それでも、1割高とか2割高のレベル。あとは大工の加工賃だが、これは人によって違いがありすぎる。そもそも木材の価格は、その材質や使い道によって大きく変動するから、十把一絡げに外材と国産材の価格を比べることに意味はない。

一般的な木造住宅を建てる際、全体の建築費のうち木材価格が占める割合はどれくらいか知っているだろうか。

通常なら10%程度、ハウスメーカーのものには5%以下の住宅もある。思いっきり木材を使いました! という家でも2割に届くケースは稀なのである。

仮に木材価格のシェアが10%の住宅で、外材より1割高い国産材の製品を使った場合、全体の建築費に与える影響は1%という計算になる。建築費が2000万円なら20万円程度だ。そのくらいは交渉の中で揺れ動く範囲ではないか。

つまり、よほど特殊な木材を多用した数寄屋建築でもないかぎり、木材価格が建築費を圧迫することはないはずだ。それなのに家を建てる際は、なんとか安くしようとすると、まず木材部分を削りがちになる。

世間は、妙に木材を買いかぶっているところがあって、非常に高いものと誤解している。そしてその誤解に便乗する者もいる。建築業者が国産材を使いたがらないのは、流通が整備されていず手間が増える、製品アイテムが少ない、仕入れ先を変えるのが面倒などが隠れた理由であるケースが多い。しかし、施主の国産材を使ってという希望を回避する理由に「高いよ」と口にするという……。

さて鳥居さんは、今後「おすぎ」をどのように料理するか思案中だ。芯部は木目を考えて板にして家具や小箱をつくるとか、外側に近い材で割り箸を……などと夢を膨らませている。その過程は、今後ブログで紹介していく予定だそうである。

それを通して、木材を身近に知ってもらい、その可能性や楽しさを知ってもらえたら……というのが彼女の狙い。これが評判になって、女性の丸太1本買いがブームになれば面白い……(無理か)。

しかし彼女の行動が、世間の木を見る目を変えるかもしれない。意外と価格は安いというだけでなく、木材はさまざまな姿に変わって、価格以上の魅力があると伝えてくれることを期待する。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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