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パッと散るサクラの原点が発見された?

田中淳夫森林ジャーナリスト
ソメイヨシノが一斉開花するのは、全国すべてが「最初の1本」のクローンだから。

もうすぐ全国で開花が始まるサクラの代表的品種ソメイヨシノ。

実は、ソメイヨシノは全部クローンである。なぜなら自家不和合性を持ち、同じ木の花粉では受粉できず自ら種子を作れないからだ。そのためソメイヨシノはすべて接ぎ木で増やされてきた。つまり全国(どころか海外に輸出されたものも含めて)すべてのソメイヨシノは、同じ遺伝子を持っているのである。

ソメイヨシノの親木は、オオシマザクラとエドヒガンだとされているが、今両者を掛け合わせてもソメイヨシノが生まれるわけではない。複雑な遺伝子の組み合わせの偶然と突然変異が生じて誕生したのだろう。

その最初の1本と思われる原木が、上野公園の表門に近い「小松宮親王像」の北側で発見された。見つけたのは、千葉大学の中村郁郎教授の研究チーム。

チームは以前よりこれらの木の遺伝子解析を進めていたが、親王像を囲むサクラが、いずれも同じ親木から生まれたことを確認したという。

ここに生えていたのはソメイヨシノ以外に、コマツオトメとエドヒガン系の5本ある。親木が同じなのに種類が違うということは、この交配から新しい品種を作り出そうとしたと想像できる。これらの木は規則正しく並んで植えられていることからも、人為的な交配だったことを伺わせる。つまりここからソメイヨシノが誕生した可能性が高い。

これまでソメイヨシノは自然交配で生まれたのか、人工交配で作り出されたものかはっきりしなかったが、どうやら決着が付きそうだ。おそらく、染井村の植木職人の一人が新品種づくりに取り組んだのではないか。

また、その1本は観賞用ではなく、接ぎ木用の枝採取の原木だったと推測できるそうだ。ということは、これがソメイヨシノを世に広めた「最初の1本」だったと推測できるだろう。

ソメイヨシノは明治に入って人気を呼び広まった。各地でどんどん植樹されるようになったが、全国的な存在になったのは大正年間らしい。となると、木が育ち、よく花を咲かせるようになったのは昭和になってからだろう。

みんな同じ遺伝子を持つから、天候の同じ地域ではみんな一斉に咲きやすい。だから気温などを元にサクラの開花時期を予想する前線地図も作られる。そして咲くのが同じなら散るのも同じになる。いわゆる「パッと咲いて、パッと散る」というサクラのイメージは、このことから生み出された。戦時中、サクラは潔く散ることの代名詞になっていたが、そのイメージは極めて短い期間で形成されたことになる。

もちろん、まだ仮説の段階。もしこれがソメイヨシノの起源だとすると、樹齢は150年以上でなければならない。しかしソメイヨシノは一般に100年以上生きられないとされているから、問題の木の樹齢を確認すべきだろう。

とはいえ、ソメイヨシノの起源となる木が今も生きているとなると、ちょっとしたロマンだ。国宝級かもしれない。全世界に何百万本とあり、日本の文化に多大な影響を与えた木の原点なのだから。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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