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花粉症対策には、道路の舗装を剥がすべし!

田中淳夫森林ジャーナリスト
都会の道を、こんな土道にしたら花粉症は減る?

花粉症の季節。この時期になると、必ず登場するのがスギを恨む声である。スギを諸悪の根源だとして、「全部伐ってしまえ」という意見が飛び交う。

とはいえ、花粉症はスギ花粉だけではないわけで、本気で花粉症の原因となる植物を減らすためならヒノキやブタクサ、マツ、ヤシャブシ、シラカバ、ハンノキ……と際限なく身の回りから植物を遠ざけねばならなくなる。

一方で疑問として上がるのが、花粉症患者は都会に多く、スギが身近に生えている山村ではあまり声が上がらないこと。

街の方が多い理由としては、花粉症は大気汚染物質(主にディーゼル機関の出す微粒子)と相まって引き起こされるという説や、日常的にストレスのある生活が要因とする見方もある。

スギ花粉が都会で飛散する理由は?
スギ花粉が都会で飛散する理由は?

ただ問題は、単にスギの木の本数ではなく、生活圏に舞う花粉の量だ。山村ではスギから放たれる花粉の量は多いものの、その大半は山や農地など土の上に落ち、そこで土壌に吸着されて二度と舞わない。だから人か花粉に接するのは意外と少なくなる、と言われている。

それに比べて街の地表は、コンクリートビルディングはもちろん道路もアスファルト舗装されているため、飛んできた花粉か地表に落ちても風が吹けば舞い上がり、車が走れば漂う。そのため花粉の総量は少なくてもいつまでも残って人に接触し続けるのだ。

だから私は、「そんなに花粉症がいやなら、道路の舗装を剥がせばいい」と言い返す。「もともと花粉の量は山村より少ないのだから、それが地面に吸着されたら舞う量はぐっと減り、花粉症の症状も収まるのでは?」

もちろん暴論だが「スギを全部伐ってしまえ」という暴論といい勝負をしているのではないか?

が、少し考えた。都会の道路の舗装を剥がすことは、そんなに暴論だろうか。

というのは、地表を舗装することの是非は、昔から議論されてきたことだからだ。

たとえば東京の道路舗装は、関東大震災からの帝都復興のスローガンの元に進んだ。震災前の東京の道路は、意外や舗装は少なく凸凹道が多かった。雨が降れば泥道になったという。それを復興事業の一環で舗装を進めたのである。

しかし、異論も出た。復興計画を担った官僚や建築家、林学者、軍人、美術家まで加わった中で「歩道は砂利道・土道がよい」という意見が出ている。アスファルト舗装は人の健康によくない、いうのである。たしかに硬い舗装面を歩くと、膝などの関節に響く。なかには都会の犬に偏平足が多いのは舗装道路のせいではないかという声も出たそうだ。

そういえば都会の地表が全面的に舗装されたことで、降水を地面に浸透させなくし、それが都市の水害を生み出しやすくした。また舗装面の照り返しが、ヒートアイランド現象をもたらしている。光の乱反射や騒音も起きやすい。

舗装を剥がすことがそれらを解消するとともに、人(や犬)の健康にも役立つとしたら……。そういえば小学校で廊下を弾力のある木造にすると、子供たちの怪我が減ったという研究もあった。土道が増えたら、土や草木に触れる機会も増えるだろう。それが都会人のストレスを和らげるかもしれない。

さらに花粉症の患者の減少効果も加えたら、舗装を剥がす理論武装になる。

もちろん泥道にならないような工夫は必要だろう。森林公園などの歩道ではチップによるマルチングを採用するところもある。現在の技術で解決する方法はいくらでもあるはずだ。

何はともあれ、花粉症対策と称して「スギを伐れ」と山村ばかりに責任を押しつけるのではなく、都会なりに花粉の再飛散を抑える手立てを考えてほしい。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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