Yahoo!ニュース

【インタビュー】野宮真貴 90年代のポップアイコンから女性の憧れ、現代の”エレガントアイコン”へ

田中久勝音楽&エンタメアナリスト

東京・大阪のビルボードライブでのライヴが好評

'90年代に音楽シーンを席巻した”渋谷系”が再び注目を集めているという記事を11月に配信したが、そこでクローズアップした野宮真貴のアルバム『世界は愛を求めてる。 ~野宮真貴、渋谷系を歌う。~』(11月11日発売)が、オリコンアルバムランキングのジャズ部門で1位を獲得。このアルバムを引っ提げての、東京と大阪でのビルボードライブでのライヴも大盛況のうちに終え、文化人やファッション業界からもリスペクトされる“渋谷系の女王”にインタビュー。渋谷系の事、ピチカート・ファイヴの事、そして今大切にしている事などたっぷりと聞かせてもらった。そこには自然体でありながらも輝きを放つ、今まさに充実の時を迎えている“女性が憧れる女性”のリアルな姿があった。

ビルボードライブ東京
ビルボードライブ東京

――ビルボードライブ東京でのライヴ、素晴らしかったです。

野宮 今回で3年目になりますし、バンドもずっと一緒にやってきて、アルバムも一緒に作った仲間なので、一体感が出たと思います。

今回のテーマが”フレンチ渋谷系”で、選曲も衣装もよかったと、たくさんの方に言ってもらえました。

--大人が楽しめる、心地いい時間でした。

野宮 皆さんオシャレして来て下さって、お酒を飲みながらゆっくりできるので、大人が楽しめる空間がビルボードライブ、私自身も心地よかったです。3年前に同じビルボードライブで、バート・バカラックのステージを観て、そこから坂口(修)さんとこの「渋谷系スタンダード化計画」というのが始まったのですが、バート・バカラックのいい音楽があって、ご本人も目の前で演奏していて、歌っていて、それを観ていたら、天国ってこういうところなんだろうなぁと思ったぐらい感激して…(笑)。それぐらい心地いいライヴでした。

画像

――アルバムのアレンジをほぼ再現していて、お客さんはそれも嬉しかったと思います。

野宮 他のアーティストのライヴを観に行った時に、ヒット曲をやってくれるのは嬉しいんですが、全然違うアレンジになっていたりすると、今ひとつ乗り切れなかったりするので、CDのアレンジでお客さんにお届けしようというのは意識しました。

”渋谷系を歌う”--3年間で浸透してきた。渋谷系自体が盛り上がっている

--アルバムが好調で、若いファンからも支持されています。

野宮 3年前から“渋谷系を歌う”ということを掲げて活動してきましたが、それが浸透してきて、渋谷系自体が盛り上がっている実感があります。20年経った今、渋谷系の音楽が当時の流行りものではなく、スタンダードナンバーになってきた感じがします。当時聴いていた人たちが、ちょっとひと段落して、生活と時間に余裕ができて、もう一回音楽を、渋谷系を聴いてみようと思った時期なんだと思います。そういう世代の親御さんに影響されて、ファンになってくれたGlim Spankyのボーカル・松尾レミちゃんのような若いアーティストもいます。彼女達がやっている音楽は70年代のロック、ブルース、声がハスキーでかっこよくて、本当は渋谷系の音楽を歌いたかったんだけど、自分の声がポップスに向いてないということで、でもファッションは私がピチカートの時によく着ていた、’60sのAラインのワンピ―スとか着ていて。逆に私はグラムロックが好きでしたけど、この声がロック向きではなくて、渋谷系のポップスにいき着いたので。そんな二人が世代とジャンルを超えて今つながっているのは、面白いなと思います。何かのきっかけで聴いて色々調べていったら渋谷系の音楽を好きになったという方も多くて、バニラビーンズもそうですし、NEWSのメンバーで小説家でもある加藤シゲアキさんも、渋谷生まれで、渋谷を題材にした小説を書きたくて、渋谷系に偶然出会い、色々調べていくうちに好きになったくれたみたいです。どんな形であれ渋谷系に興味を持ってくれるのは嬉しいですね。

画像

実は自分のルーツミュージックも渋谷系だった。色々な事、人と繋がり広がっていく渋谷系

――「渋谷系スタンダード化計画」はいい歌を唄い続ける、聴き続ける、紹介し続けるという素晴らしいコンセプトだと思いますが、これは野宮さんのライフワークとして今後も取り組んでいくことになりそうですか?

野宮 そうですね。自分が本当にいい曲だと思う歌をずっと歌い続けていこうと思っています。ピチカートの歌だけではなく、他の渋谷系のアーティストの歌、そのルーツミュージックまでを歌っていきたいですね。偶然なんですけど、私が初めて買ってもらったレコードがA&Mレコード(現在の野宮の所属レーベル)の、カーペンターズとセルジオ・メンデスだったんです。それで初めて洋楽で触れたのですが、私の音楽人生のスタートが実は渋谷系だったんですね。渋谷系のルーツミュージックでもあるバート・バカラックやロジャー・ニコルズもA&Mの所属で、自分のルーツミュージックも渋谷系だったということで、繋がりました。まずはあと5年、還暦まで続けます(笑)。もちろんそれ以外の音楽活動も並行してやっていきます。

--「渋谷のラジオ」(2016年開局)の設立にも参加されていました。

10月25日「渋谷ファッションウィーク」に登場した野宮真貴
10月25日「渋谷ファッションウィーク」に登場した野宮真貴

野宮 最近は渋谷でのイベントにもよく呼ばれるようになりました(笑)。「渋谷のラジオ」も箭内(道彦)さんが立ち上げて、声をかけて頂きました。どんな番組をやるのかという具体的な話はこれからなんですが、決まっているのは毎日夜の7時に「東京は夜の七時」がフルコーラスオンエアされ、“世界一長い時報”になる予定です(笑)。同じように今、クリスマスシーズン限定で毎日夜の七時にハチ公前でも流れています。

野宮真貴の声は優しくて柔らかな雰囲気を感じさせてくれる。しかし彼女はそんなイメージとは正反対の“強さ”を持っている。ピチカート・ファイヴの三代目ボーカリストになる前はなかなか芽が出なくて苦労した時代もあり、でも絶対に歌をあきらめなかった芯の強さと優しさを持ち合わせた女性だ。それが彼女からにじみ出るエレガントさにつながっている。

不遇だった時代も「あきらめる理由がない」と、歌の道を突き進む

画像

野宮 デビューしたものの全然売れない時期が10年ぐらい続いたのですが、とにかく歌うことが好きだったということと、絶対にこんなはずじゃない!と思い続けていましたね。そういう部分はもしかしたら芯が強いのかもしれないですね。親にも友達にも色々言われたましたが、まだそこで辞める理由がないというか、自分の中ではまだ何も達成していなかったし、でもとにかく音楽に携わっていようと思ってCMソングを歌ったり、ほかのアーティストのバッキングボーカルをやったりしていました。その中で出会ったのがピチカートだったので、やはりできるだけ自分が好きなものの近くにいて、それに携わっていると道が拓けていくのだと思います。

――あきらめる理由がなかったということは、心が折れずにやり続けることができたということですよね。

野宮 はい、全然折れずに(笑)。私、たぶん単純なんじゃないでしょうか。こんなことやってていいのかなとか、色々考えてしまう人はどこかで心が折れるかもしれませんが、私の場合は歌が好きだから歌っていく、それしか考えていませんでした。

――ブレなかった。

野宮 まったく(笑)。あとはファッションが好きだったので、歌手は「好きな歌を歌えて好きな服を着れる」という、自分の“二大好きな事”が楽しめる素晴らしい職業だと思ったんですね(笑)。あとは、実はしゃべることがすごく苦手で、歌を歌うことで自分を表現していけば、人としゃべらなくてもいいと思っていたので、その3つが叶う職業だったんです(笑)。

――ピチカート・ファイヴは海外からの評価も高くて、海外ツアーも経験されていますが、日本語でライヴをやっていたんですよね?

野宮 それはやっぱり小西さんが詞にこだわる人でしたから。でも何曲かは英語でも歌っていました。イギリスのBBCに出演した時は英語以外NGだったので、英語詞にして歌ったり。日本語を英語詞にした時に細かいニュアンスが伝わらないので、それを小西さんは気にしていましたね。逆に日本語で歌ったことによって、海外の人にはエキゾティックに響いて、それが魅力のひとつになっていたと思います。YMOがインストゥルメンタルでやっていたことを、ピチカート・ファイヴが歌ものとしてやったというか。当時は今の日本ブームの走りというか、キティちゃんが人気で、アメリカとヨーロッパの感度が高いオシャレなクラブキッズが注目しました。ピチカートはそういう人たちに支持されていました。

――日本でのライヴをそのまま再現して、もちろん何度も衣装チェンジするスタイルもそのままで、それが海外の人には新鮮な驚きを与えたと何かで読みました。

野宮 すごく驚かれて、「東洋のバービー人形」なんて言われていましたね。着せ替え人形のようなイメージだったんだと思います。カラフルなウィッグも使っていたので。ビジュアルもそうですけど、アメリカやヨーロッパの人が子供の頃聴いていた、60~70年代の良質なポップスの要素が入っている歌を、日本人がやっているということも衝撃だったようです。渋谷系のアーティストは、そういった過去の名曲を発掘することに長けていて、自分たちが忘れていた、もしくは古臭いと思っていた音楽が、実はすごく豊かなものなんだということを、ピチカート・ファイヴが気づかせてくれたと、海外のメディアから取材を受ける時はいつも言われていました。どこの国に行っても観に来てくれるお客さんは日本のファンと同じタイプというか、ファッションとか佇まいとかが似ているんですよね。海外で受け入れられたのは嬉しかったのですが、一方で、日本国内できちんと評価してもらうことも大切だと思っていました。一過性の流行りものの音楽ではなくてね。

ピチカート・ファイヴ時代、一流のクリエイター陣に磨かれ、勉強させてもらい、それが今も財産

――野宮さんはピチカート時代も、解散してからも変わらず女性の憧れの存在であり続けていますが、ずっと美しくいられる秘訣を教えて下さい。

画像

野宮 ピチカートで10年間活動している時は、スタイリスト、へアメイク、カメラマン、アートディレクター、一流のプロのクリエイターによって作り上げられていた部分も大きいので、それによって私も更に磨かれたと思います。元々洋服もオシャレも好きだったので、どんなファッションでも着こなす自身はありましたが、そういったプロの方たちと仕事をすることで勉強になりました。なのでピチカートが解散してからも、それまでのビジュアルイメージが強くて、そんな風に言っていただけるのだと思います。

『世界は愛を求めてる。 ~野宮真貴、渋谷系を歌う。~』初回限定盤
『世界は愛を求めてる。 ~野宮真貴、渋谷系を歌う。~』初回限定盤

――メイクとかファッションに関する情報源はやはり、へアメイクさんやスタイリストさん達ですか?

野宮 それもあります。今のトレンドを知っておきたいとは思いますが、最近は最先端のスタイルにこだわるより、例えば今回のアルバムのジャケット、クリスチャン・ディオールの1950年代ニュールックのようなクラシック調のものがしっくりきますね。ピチカート時代は’60s風のAラインのミニワンピースを着こなしていましたが、今の年齢にはふさわしくないので(笑)。客観的に自分を見ることが大切ですね。何を着たら素敵かというのは、今まで自分の経験、着てきたものや情報という財産を自分流にアレンジして考えています。

”おばさん”を飛び越えておばあちゃんになりたい(笑)。自由で色々楽しみができそう

――それにしても全然変わらないですよね、若々しくて。

野宮 そんなことないですよ(笑)。気持ちは若いですけどやっぱりそうもいかないので…(笑)。体型は洋服で上手の隠したり見せたりで調整できるので、それは研究します。ヘアメイクに流行があるので、自分の年齢を考えつつも「今の顔」にするように心がけています。自分が間違いなく”おばんさん”と呼ばれる年齢なのはわかっているけど、できれば”おばさん”を飛び越えておばあちゃんにはなりたいんです(笑)。おばあちゃんになると自由になると思うので、色々楽しみができそうな気がします。今できないファッションとか、例えば白髪にすることでパステルカラーの洋服も似合うようになったり、そういう楽しみが増えますよね。でもどの年齢でも「今の自分が一番きれい」と言えるように、自分を客観視して、アップデートしていくことが大切だと思います。

――植物療法士の資格を取ったのも、やはり身体の事を考えてですか?

野宮 そうですね。だんだん無理が利かない年齢になってきたなぁと感じて…。食べ物にも気を遣ってオーガニックなものを取り入れて、勉強するようになって自分の身体の声を聞くようになりました。それがよかったですね。身体の不調に気づいたら、すぐに薬を飲んだり病院に行くのではなく、ハーブなどで改善できるというのもわかり、悪くなる前に手当てができるようになったので、家族みんなで日常的に取り入れています。それと女性として「ハイヒールを履き続けたい」という気持ちは持っていますが、やはり40歳を越えた頃、外出すると疲れるようになり(笑)、その原因がハイヒールのせいだと気づいて(笑)。それなりに体力も衰えてると思いますし、一時期ハイヒールを履くために足の筋肉を鍛えにジムに行ったりもしていましたが、今は普段はフラットシューズで、ここぞという時にハイヒールに履き替えるという知恵もつきました(笑)。ステージではハイヒールを履いています。やっぱりハイヒールを履くと背筋が伸びてシャンとしますし、靴があってファッションって完成すると思っていますので、これからもハイヒールは履き続けます。

もっと楽に無理なく美しく健やかに生きるには、ということを若い女性に伝えたい

――野宮真貴の活動のど真ん中にあるのは音楽ということは変わらないですか?

野宮 もちろんです。それがあるから、口紅をプロデュースしたり本を書いたり他の事もできると思っていますので。来年また本を出版予定で、自分が今まで経験したきたことで、自分より若い世代の女性に伝えられることがあると思うんです。私はコツコツ努力をするタイプではないので、いかに省エネで美しくなるか、というのがテーマですので、興味を持っていただけるのかなと思っています。健康や美容のために「無理をする」人が多いと感じているので、もっと楽に無理なく美しく健やかに生きるためにはどうすればいいか、そんなことをお伝えできればと。

――アルバムを聴いて、ビルボードでのステージを観て、こうしてお話しを聞いていて、“今”がすごく充実している感じが伝わってきます。

野宮 最近歌を歌うのが心から楽しいと思えるようになりました。ファッションデザイナーの丸山敬太さんにも「今、野宮さんの歌がすごくいい」って褒められました。私は歌手なので、世界中の名曲を歌い継いで伝えていくということが、本分のような気もしていますし、合っていると思います。新しい曲を歌うのもいいのですが、世の中にはいい歌がまだまだたくさんありますので、私というフィルターを通して90年代の渋谷系だけではなく、そのルーツになっている名曲を若い人達に伝えることができればいいなと思っています。

KEITA MARUYAMAのコレクションの前で
KEITA MARUYAMAのコレクションの前で

90年代に「渋谷系の女王」「東洋のバービードール」と呼ばれ、国内外で大きなムーブメントを起こしたピチカート・ファイヴのボーカル・野宮真貴。解散から20年、今年で35周年を迎える55歳の彼女が今多くの女性から支持される理由とは何なんだろう。ここにファッションデザイナーの丸山圭敬太氏の言葉を紹介したいと思う。「真貴さんを見てるとあんな風に大人になれたらなあ〜といつも思うのです。可愛くてなんていうか、エレガントでもありお茶目でもあり、くどすぎず、ゆるすぎず、とにかく全てが、良い加減で心地よいの。それが、お洒落でセンスが良いって事なのだと思うけど」。

大切なことは好きなことを続けるということ、そして決して無理をしていないということ。自然体だからこそにじみ出るオーラを放っている。渋谷系を、名曲を歌い続けると“決めた”瞬間から、野宮真貴はアーティスト人生の新たなスタートを切ったといっても過言ではない。表現者としての覚悟を“決めた”という事だ。覚悟を決めた人間は強い。年を重ね、同時に美しさも重ね、強さと美しさを併せ持つしなやかな女性をエレガントと呼ぶのだろう。そして野宮真貴に女性は憧れる。90年代のポップアイコンは、今、日本の女性を代表する”エレガントアイコン”となった。

【野宮真貴PROFILE】

ピチカート・ファイヴ三代目ボーカリスト。渋谷系文化のアイコンとして日本及び海外で熱狂的な人気を集めた。1994年に世界発売されたアルバムは50万枚のセールスを記録し、ミック・ジャガーやティム・バートンもファンを公言するなど、ワールドワイドで活躍。2001年ピチカート・ファイヴ解散後ソロ活動を開始し、2011年にはデビュー30周年を迎え、セルフカバーベストアルバム『30』がスマッシュヒット。2010 年に「AMPP 認定メディカル・フィトテラピスト(植物療法士)」の資格を取得。現在、音楽活動に加え、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍中。オーガニックコスメブランドMiMCとコラボレーションした「サプリル

ージュ」は全国コスメキッチン1位(リップ部門)という人気ぶり。

【Information】

■「久保みねヒャダこじらせナイト」出演。(12月19日 フジテレビ系25時35分~)

渋谷系をリスペクトする久保ミツロウ(漫画「モテキ」原作者)、能町みね子(コラムニスト)、ヒャダイン(音楽プロデューサー)と「ここでしか聞けない渋谷系秘話」を語る。

■「The Covers」出演。(12月21日 NHK BSプレミアム23時15分~)

荒井由美「中央フリーウェイ」('76年)、松田聖子「ガラスの林檎」('83年)、そして尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」('77年)を、彼女ならではのパフォーマンスでカバー。ファッションから楽曲アレンジまで、1曲ごとに野宮真貴ワールドが炸裂。

野宮真貴オフィシャルHP

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

田中久勝の最近の記事