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【インタビュー】世界が彼を欲している。観た人全てを熱狂させる孤高のイリュージョニスト・原大樹とは?

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
世界が注目するエンターテイナー・原大樹。マジックを通して子供達に伝えたい事とは?

12月19日にオンエアされた『嵐にしやがれ クリスマスSP』(日本テレビ系)でクローズアップされた、日本が世界に誇るイリュージョニスト/マジシャン・原大樹が注目を集めている。原は2009年、次世代のスターマジシャンを発掘するために、世界中から選ばれた若手マジシャンが競う、アメリカ・ラスベガスで行われた世界ジュニア大会「World Magic Seminar Teens Contest」で、日本人初のグランプリを獲得、一躍時の人になった。2010年には同大会での原を追いかけたドキュメント映画『Make Believe』が公開された。その映画の中で、山奥のむせかえるような緑の中、清流のほとりでマジックを披露する原の姿はどこか不思議で、でもそこには世界を制した技の秘密があり、原大樹という人間を形成した自然のエネルギーが満ち溢れている。

言葉の壁を超えて、誰もが楽しめる一体感--マジックとの出会い

原 和歌山の田舎に実家があって、それとは別にマジック用に一軒家を借りていまして、新作を作る時は必ず故郷に帰ります。そこで新しく制作して、ある程度できたら東京で仕上げるという感じです。どれだけ大ボリュームで音楽を流しても苦情はこないし、煮詰まったら目の前が川なので、夏場はそこで泳いでリフレッシュして……自然が創作の源になっています。

――まずはマジックとの出会いから教えて下さい。

原 4~5歳ぐらいの時、井の頭公園で若いピエロが一生懸命マジックをやっていて、ハッピーで温かい空気の一体感というか、お客さんの中には外国人の方もいたのですが、言葉の壁も超えて楽しんでいる雰囲気が子供ながらに伝わってきて、その一体感に感動しました。マジシャンになる前は歌手になりたかったんです。今でもなりたいんですけど(笑)。私の母がシンガー・ソングライターなんですが、一番古い母の思い出が、ステージでスポットライトを浴びている姿で、お母さんというよりも、光を浴びている人、みたいな(笑)。その影響もあると思います。

マジシャン、イリュージョニストよりも、エンターテイナーだと思っている

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――4~5歳の時に、マジックそのものよりその場の雰囲気に惹かれるってすごいですよね。

原 物心ついた頃からうちに喜多郎さん(シンセサイザー奏者)とか、ミュージシャンの方がよく遊びにきていまして、そこで僕の演芸コーナーみたいなものがあって、30分ぐらい即興で、世界の喜多郎さんとかを前に歌ったり踊ったりしていました(笑)。その頃から人を喜ばせたいという気持ちが強かったのかもしれません。最初歌手になりたいと思っていた時も、ピアノを習っていまして、学校のお楽しみ会でバッハの「G線上のアリア」を歌った時、担任の先生は褒めてくれたのですが、みんなはポカーンという感じで全然リアクションが良くなくて…。その翌年の同じ会で今度はマジックやったらむちゃくちゃウケて、歌手よりもマジックの方が手っ取り早いと思いました(笑)。よくマジシャンなのか、イリュージョニストなのかって聞かれるのですが、自分ではエンターテイナーだと思っています。人を喜ばせるためのツールで、今自分の中で一番熱いのがマジックで、もしそれが他のものであれば、今すぐマジックを辞めてそっちの道に進みますね。いつも一番面白いもので人を喜ばせたいと思っています。例えば僕のマジックショーと銘打ってチケットを売って、お客さんに来てもらってもマジックをひとつもやらずに2時間ぐらいお客さんを楽しませることができたら、それが最終目標ですね(笑)。

――今はそのマジックで世界中から評価され、さらにマジックを突き詰めていきたいと思っているタイミングですか?

原 そうですね。またここ1~2年ぐらいで、改めてもう一回マジックを1から学び直そうと思うことが多くて、江戸時代の奇術書とか古典を図書館で借りてきて読んで勉強し直しています。マジックっていつ頃からあると思いますか?

--平安時代とか?

原 4000年以上前からあるんです。エジプトで王様を楽しませるために、カップと球を使ってマジックをやっている奇術師の絵が壁画に書かれているんです。ある意味、最古の職業がマジシャンなんじゃないかと。日本でも、国が初めてパスポート(印章)を発行したのが奇術師といわれているんです。パリ万博(第2回=1867年)に日本の文化を伝えるために、言葉が通じなくても日本の精神的な部分とかストーリーを伝えることができるのが曲芸、マジックということで、曲芸団が派遣されたようなんです。

--マジックは、大昔から脈々と受け継がれている、人を喜ばせるための伝統的なエンタテインメントなんですね。

原 マジックはラスベガスでやってもアフリカでやっても中国でやっても、みんなほぼ同じようなリアクションが返ってくるんです。お客さんとの間にある言葉とか文化の壁を一発でぶち破れる力があるのが、マジックの最大の魅力だと思います。

原が出場した、次世代のスターを発掘する場である「World Magic Seminar Teens Contest」は、ここで注目を集めれば、本場・ラスベガスでの成功が約束されているだけあって、若き精鋭たちにのしかかってくるプレッシャーは計り知れないものがある。その一部始終をカメラに収めているのがドキュメント映画『Make Believe』だ。そこには普段の実力を出し切れず、考えられないようなミスを犯してしまうライバルたちをよそに、いつも通りの力を発揮し、完璧なパフォーマンスを披露して優勝した原の姿が描かれている。究極の緊張を強いられる本番で、力を100%発揮するために、原が行った事とは?

徹底したイメージトレーニングで、世界的マジシャンの登竜門を制す

--コンテストではライバルたちが緊張からか凡ミスを連発する中、原さんは完璧なパフォーマンスで圧倒的な力を見せつけていました。

原 高校生の時にスポーツ心理学の本、例えばイチロー選手は極限状態の時にどうやってベストパフォーマンスをするのか、というような事が書いてある本を図書館で借りて読んで、「ゾーン」という、緊張もしていないし、でもだらっともしていない“無”の境地にいかに入っていけるかということを研究しました。それにはイメージトレーニングが大切ということがわかって、あの大会の時も、他の人は当然勝ちたい、ライバル達を蹴落として自分が優勝するんだ、そんな気持ちで臨んでいたわけなんですが、私の場合は、「前年にグランプリを受賞して今回はスペシャルゲストとして呼ばれたきた」、というイメージトレーニングをずっとしていました(笑)。和歌山の田舎の公民館の鏡の前で、一人でずっとそんなイメトレをしていました(笑)。特別ゲストとして呼ばれてきているのだから、ただパフォーマンスすればいい、失敗しても大丈夫、という気持ちでやっていました。変な欲がなかったので普段通りできたのだと思います。自分が優勝して盾をもらうシーンも、3か月間イメージトレーニングし続けていました(笑)。僕、映画の中で盾をもらうときに泣いているんですけど、あれは優勝したことに感動しているのではなく、自分がイメージトレーニングしていたことと全く同じ、寸分の狂いもない光景が目の前で繰り広げられていて、そっちに衝撃を受けて泣いていたんです(笑)。

--凄い話ですね……。元々メンタルは強い方だったんですか?

原 いえ、強くはなく、ずっと山奥でひとりでマジックをやっていまして、16歳の時にようやく人前で見せられる、8分ぐらいの作品ができ、それを持って東京で開催される大会に出場したんです。その時、審査員の方から呼び出されまして、出場している40人中、私だけが誰かの弟子でもなく、どこかの協会に属しているわけでもなく、完全にフリーだったので異端児とみなされたのか、まだ子供だった私には理不尽とも思えるような言葉を投げかけられて……。そこで師弟関係が濃かった当時のマジック界の閉鎖的な部分を目の当たりにして、そのおかげで日本ではなく最初から海外に出よう、アメリカの大会に出て優勝しようという目標がバシッと決まったので、そこで自分が強くなれたのだと思います。今となってはその嫌味を言ってくれた審査委員の人たちが、人生最大の恩人ですね(笑)。その時チヤホヤされていたら、日本の中で日本のコンテストで評価される演技を目指していたと思いますので…。僕の人生は、そのポイントポイントで方向を変えてくれる人が目の前に現れてくれ、ついているんだと思います。

--あのコンテストでグランプリを獲って、人生が変わったわけですよね。

原 もう一気に。今まで私の事なんて誰も知らなかったのに、その日にコンテストの映像がFacebookでシェアされて、世界中からゲストで呼んでもらえるようになったりとか、あの年を選んでいたからこそ映画にもなって、色々な人に伝えることができましたので、本当に高校の卒業式に出てなくてよかったなと思います(笑)。

原が通っていた高校は特待生制度があり、入学試験では、スポーツ推薦の生徒に混じって、原は一人マジック用の衣装を着て、先生方の前で8分間の演技を披露し、2分間の自己アピールをした結果、見事合格した。一芸入試でその高校史上初めて、マジックでの入学が許されたという、とても理解がある高校で、ここでまず原は運を引き寄せている。入学後も学校側は、原が海外の大会に出場する際は、規定ぎりぎりまで休むことを認め、応援態勢をとりバックアップした。そんな環境が原大樹という逸材を育てた。高校の卒業式とコンテストの日が被ってしまい、原はラスベガスを選んだ。両親もまた「コンテストが息子の大学試験」だと考え、快く送り出したという。原は人と環境に恵まれ、その時その時に助けられ、押し上げてくれることに心から感謝し、「自分としては何もすごいことをやっているつもりはない」と言い切っている。

エンタメ性の高いマジックの参考書は、フィギュアスケート?

--世界を舞台に活躍する人は、やはり運とそれを引き寄せる力を持ち合わせているのではないでしょうか?

原 不思議なことに、自分にとってショックな出来事があっても、しばらくするとそれがいい方向に向かっていくということが多くて、嫌なことがあっても、それが全部よくなるためのきっかけになっています。

--誰にも弟子入りせず、大自然の中で自己流でマジックを勉強してここまでくるというのがまさに型破りで、すごいと思います。

原 今思うと、あの環境に身を置いていなかったらチャンピオンになれなかったと思います。昔からフィギュアスケートがすごく好きで、録画をして何回も観直していましたが、フィギュアスケートとマジックってすごく似ている部分があって、フィギュアも時間制限がある中で、例えば技術的には4回転ジャンプを飛びつつ、色々な技と指先の表現とかを繋ぎ合わせて、いかに芸術的に見せるかが勝負だと思うんですが、マジックも全く一緒なんです。僕のパフォーマンスの構成も小さな技がたくさんあって、それを組み合わせてひとつの作品を作ります。日本を含めアジアのマジシャンは、ひとつひとつの技術力は高いと思いますが、それを繋いで万人が楽しめるエンターテインメント性の高いショウを創ることが苦手なため、そこで参考にしたのがフィギュアスケートなんです。コンテストの決勝の時も、他の出場者は与えられた制限時間ぎりぎりまでやろうとしているのですが、僕はいかに短い時間で審査員とお客さんにインパクトを与えることができるかを研究しました。制限時間が5分以上10分以内でしたが、僕のパフォーマンスは確か5分10秒ぐらいでした(笑)。出場者の中では一番短かったです。

--あの大会は原さんが優勝で、3位にも日本の山上兄弟が入賞してしましたが、やはり日本人の指先の器用さはマジック向きなんでしょうか?

原 そうですね、指先の器用さでは日本人は世界トップレベルなんです。ただ、表現力とか万人を魅了するエンターテインメント性の部分では、欧米等に劣る部分があると感じています。例えば、箱庭、盆栽を作るのは日本人は上手いです。でももっと大きなもの、広がりや空間をフルに使って表現するトータルコーディネート的なものは、まだ苦手な部分があると感じています。

--原さんのパフォーマンスを見ていると、まず表情の豊かさが目に入ってきて、そしてしなやかな動きが、お客さんの目を引きます。

原 そこはまさにフィギュアスケートがお手本ですね(笑)。マジシャンの多くはマジックの事ばかり気にしているんですけど、私にとってマジックの道具とか、ハトが出るネタにしても、例えばそれは画家にとっての絵筆とか絵具だと思っていて。他のマジシャンは「俺の絵具すごくいいよ、絵筆もすごくいいよ」と、道具を見せている感じのマジックなんです。僕は一枚の“絵”を書いて見せているイメージなんです。そこが一番違うところだと思います。

「自然」と「和」を取り入れたパフォーマンスに世界が注目

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--原さんのパフォーマンスは、衣装から全て徹底的に和を意識したものになっていますが、これは昔からのこだわりですか?

原 私が15歳の時に初めて出た大会では、洋服を着て、洋楽をバックにマジックをやっていました。でも外国人のマジシャンと戦う時に、相手が金髪で美女で、ナイスボディでってなると、第一印象で負けてします。男だったら190cmぐらいあるような人が、私と同じような洋服を着て、私がその横で同じような格好で立っていても、ただ陳腐に見えるだけです。なのでそれからは和の要素を入れる事が必要だと思い、自分という存在をどうやったら一番鮮やかに見せられるかという言葉を紙に書いて、部屋に貼って毎日それを見て考えました。

--海外から日本の文化に対する興味が高まっている中で、和の要素を取り入れたパフォーマンスはやはり注目を集めますよね。

原 例えばカードを使ったパフォーマンスで、手から次から次へとカードが出てくるというネタがあるのですが、海外のマジシャンはそのカードをどんどん下に捨てていくのですが、私の演技はカードが手からサラサラと落ちていって、それは散っていく桜をイメージしてやっています。そのバックで紙吹雪が舞っているのも、春、桜が咲いて散っていく時の儚さみたいなものをカードで表現してみたかったんです。

--自然の中で育って、その体験や経験がマジックにも生かされているんですね。

原 そうですね。私は幼稚園に行っていなくて、朝、母親からお弁当を持たされ、それを持って田んぼや山の中に遊びにいっていました。その中で自分で遊びを見つけて、自然が自分の友達であり、川で溺れて死にそうになったりして自然の脅威も学んで、自然が保育園みたいなものでした。子供の時はなんでこんな不便な所で生まれたんだろうって親を恨みました(笑)。たまに東京のマジック教室みたいなところに行くと、東京で同年代でマジックやっているコは有名なマジシャンに手取り足取り教えてもらって、親に道具を買ってもらって、なにその道具!みたいな見た事がないようなキラキラした道具を持っていて(笑)、私の道具は父親と一緒に木を削って作ったものでした…(笑)。でも、これまでのことを振り返ってみると、何がいいのかという答えがわからないままやってきたので、自分がいいと思えるレベルまでブラッシュアップしていくことを繰り返し、これで終わりだという答えがなく、でもプロの人に弟子入りすると、“これはこれでいいんだよ”と、そこで考える事をやめ、終わってしまうと思うんです。でも私の場合答えがないので常に試行錯誤を繰り返し、飽くなき追求心でトライしていったので、それが一番良かったのだと思います。

マジックで誰でもヒーローになれる

--お客さんは日本の自然にも興味があるし、原さんの自然の現象、風景、色を表現したパフォーマンスは世界中で共感され、受け入れられるのだと思います。

原 文化が違っても共感してもらえるのがマジックのいいところだと思います。アフリカの子供は雪を見た事がないコが多くて、その子たちの前でペーパーナプキンをちぎって雪の結晶の形を作って、それを水に濡らして扇子で仰ぐと雪のように見えるというマジックを見せたら、まるで本物の雪を見ているかのようなリアクションで、そういうのを見るとマジックって万国共通で面白いなと思いますね。

--あの映画は、マジックは人を救うし幸せにするというテーマで、例えコミュニケーションを取るのが苦手なコでも、マジックをきっかけにそれができるようになるとか、とにかく人に影響を与えるマジックの素晴らしさを伝えようとしていました。

原 例えばアメリカのマジシャンと話をしていると、子供の頃にいじめを経験している人が多くて、いじめられてふさぎ込んでいる時におじいちゃんがマジックセットを買ってくれて、それを友達の前でやったら絶賛され、友達が集まってきて…という話はよく聞きます。マジックって誰でもヒーローになれるんです。そこがマジックの凄さ。歌にしてもジャグリングにしてもある程度センスが問われる部分がありますが、マジックはそれを必要としないんです。小さな子供でもヒーローになれるんです。これって他のエンターテイメントではできないことです。私が大好きなマジックがあるのですが、子供をステージ上げて、コインを使ったマジックなのですが、それが成功した時の子供の驚く顔、そして一瞬にしてヒーロになって、その誇らしげな表情がたまらなくいいんです。有名なマジシャンもこのマジックを見てマジシャンを目指したそうです。

--これからもマジックで人を笑顔に、幸せにしてあげたいという気持ちを持ち続け活動していきたい。

原 私は自分の事を全然凄いと思っていませんし、他のマジシャンと違ってワザを、力を見せつけて驚かせようとも思ってなく、指揮者だと思っています。お客さんと一緒にマジックというものを通してその時間を楽しみたいんです。それが理想のショウです。私より下の世代のマジシャンで、テーブルマジックを3つぐらい見せて、チップをもらって生活できてしまうのでそれで満足をしてしまうマジシャンが増えています。なので今、若いマジシャンたちをどんどん海外に連れていき、目を海外に向けさせています。世界はとんでもなく広くてたくさんの選択肢があるよ!って。

とにかく子供に観てもらいたい。子供たちの何かの”きっかけ”になりたい

--原さんは最近無重力状態の中でマジックをやったり、ホログラムを使ってパフォーマンスをやったりして、常に新しいことにチャレンジし続けています。

原 あの無重力マジックは、将来、宇宙でマジックでやるという目標を決めているので、それのスポンサー探しのためのデモ作品といいますか…(笑)。自分で企画書を持って、スポンサーになって欲しい企業さんとかを回ったのですが、「どういうものか全く想像できないから無理」と言われ続け、で、サンプルを作ろうと思ってやったのがあれです。その後あの映像を持って企業さんを回ったところ、反応が全然変わり、まだまだ全額とはいきませんが、半分ぐらいまでは集まっています。

--色々な事にチャレンジして、マジックの凄さをより大きく、わかりやすく伝えようとしているんですね。

原 マジックに興味を持ってもらって、マジックがひとつできるだけでその人の自信になるじゃないですか。とにかく子供たちに自信を持ってもらいたくて、教育関係とか子供がいるところへはギャラなしでも行っています。交通費を出してもらえれば子供がいる場所ならどこへでも行きます(笑)。子供たちからのリアクションが一番ピュアなものなので、そこが自分自身の中で一番真剣勝負するところなんです。なんでもいいから夢を持って生きてる方が楽しいじゃないですか。その夢を持つきっかけに自分のショウがなれればいいなと思っています。

--普段はどんな音楽を聴くんですか?

原 今Perfumeにハマっています。このあいだPerfumeのドキュメント映画を観に行って、あれで更に好きになりました(笑)。日本の新しいポップカルチャーを世界に伝えていっているので、尊敬しています。機会があればPerfumeのライヴステージの仕掛けの演出とかやってみたいですね。

--音楽のほかに、リラックス方法ってありますか?

原 TBSラジオの深夜番組「JUNK」が大好きでよく聴いています(笑)。スマホに入れて、ロンドンのむちゃくちゃオシャレな街を、おぎやはぎさんの「めがねびいき」を聴きながら歩いてますよ(笑)。海外って飛行機が2~3時間平気で遅れるんですけど、そんな時も空港で「JUNK」の山里さんとかおぎやはぎさんの回を聴いていると、イライラが自然と収まるんです(笑)。すごく平常心になれるんですよね。本番前の楽屋でもよく聴いてリラックスしています。あの映画を撮影している頃は、いかに死に物狂いのエネルギーで本番に行くか、挑む感じだったんですけど、最近はいかに本番までに力を抜くかを考えていて、幕が開く5秒ぐらい前に気合を入れるようにしています。そっちの方が気合の鮮度がいいまま、お客さんに伝えることができるということがわかったんです。だからおぎやはぎさんのラジオが必要なんです(笑)。

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【原大樹PROFILE】

はら・ひろき。世界遺産「熊野古道」で知られる熊野地方出身。最寄りのコンビニまで車で1時間かかる秘境で生まれ育つ。幼少の頃より独学でマジックを修得。アメリカ・ラスベガスにて開催された世界大会で日本人初のグランプリを受賞。その軌跡を追ったドキュメンタリー映画『Make Believe』はロサンゼルス国際映画祭・ドキュメント映画部門でグランプリを受賞。マジックの殿堂、アメリカ・ハリウッド「マジックキャッスル」で開催された『Future Stars Week』に日本人として初出演。優れた芸術団体・個人に贈られる和歌山県文化奨励賞を史上最年少で受賞。アメリカ・アジア・中米・ヨーロッパetc…世界中のショー・TVにゲスト出演。今、最も世界から注目を浴びる日本人マジシャンのひとり

原大樹HP

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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