【インタビュー】いきものがかりの10年物語<前編> 「一発屋と思われたくなかった」

3月15日にデビュー10年を迎えたいきものがかり(水野良樹、吉岡聖恵、山下穂尊)

結成17年目、メジャーデビュー10年、シングル31作、オリジナルアルバム7作、ベストアルバム3作(1作はバラードベスト)、映像作品8作……いきものがかりが刻んできた歴史である。そのエバーグリーンなポップスで、幅広い世代から支持を得、“国民的バンド”へと成長した軌跡が収められた、デビュー10周年記念のベストアルバム『超いきものばかり~てんねん記念メンバーズBESTセレクション~』が、3月15日にリリースされた。大ヒットシングルからアルバム未収録の最新シングル、さらにインディーズ時代の人気曲を新録し、コアファンも新しいファンも納得、満足できる内容だ。初回生産限定盤はなんとCD4枚組60曲、収録時間約5時間というボリューム。ここでは<前編><後編>に分け、<前編>ではメンバーに10年間を一年一年振り返ってもらい、何を想い、何を感じ活動を続けてきたのかを聞き、<後編>では今回のアルバムに収録されている新曲、そして初回生産限定盤のボーナスCDの中の“メンバー泣きの三曲”について、たっぷり語ってもらった。

「デビュー曲に「SAKURA」が決まるまでが大変だった。こけないようにするためにはどうすればいいかを、ずっと考えていた」(山下)

――いきものがかりの歴史をひも解いていきたいと思います。デビューの年から順を追って振り返っていただけますか?まずは2006年、シングル「SAKURA」(「DENPO115 東日本エリア」CMソング)で記念すべきデビューです。デビューが決まった時それぞれが感じたこと、希望とか不安とかいっぱいあったと思いますが、教えて下さい。

デビューシングル「SAKURA」('06年3月15日)
デビューシングル「SAKURA」('06年3月15日)

水野 デビューが決まっても希望や不安の以前に、よく事態をわかっていなかったんですよね。デビューが決まってからが大変だったことを覚えています。

山下 デビュー曲「SAKURA」が決まるまでが大変でした。1年ぐらいかけて作業していて。最初はCMソングということも決まっていなくて、後から決まってそれが功を奏したんですけど、こけないようにするにはどうしたらいいかをずっと考えていました。

――そんなの誰も分からないですよ(笑)

山下 その後に「HANABI」という曲をすぐ出して。でもたぶん世間的には一発屋だと思われているんだろうなとは思っていました(笑)

――本当ですか?

山下 当時桜ソングがやたら流行っていて、「SAKURA」はその中でも最後の方のリリースだったんですよね。桜ソングの一発屋みたいな見られ方が嫌だったので、タイトルも「SAKURA」じゃないほうがいいんじゃないかって意見もあったし。でも結果的にCM効果もあって、世の中にじわじわ認知されていきました。

――あの「DENPO」のCMとそこで流れている「SAKURA」、インパクトありました。「SAKURA」の他にもデビュー曲候補があったんですか?

水野 何曲かありました。例えば「ノスタルジア」とか「SAKURA」のカップリングになっている「ホットミルク」もデビュー曲候補でした。もっと言えば「HANABI」も実は最初デビュー曲になるかも、みたいな話もありました。他にもいくつかあって、その中でどれにしようかという感じでした。最初はタイアップが決まっていなくて、でもスタッフはやっぱりタイアップを考えてくれ、最終的に難しそうということになり……。それでやっぱり「SAKURA」が一番強そうだし、バラードだし、いきものがかりが今までやってきたものと近いし、ということで決まりました。リリースが決まった後「DENPO」のCMソングに選んでもらって、すごく幸運でした。

山下 デビュー前に「ノスタルジア」とかオケを録ってますからね。

「最初のツアーは東京と大阪がぎりぎり埋まって、福岡はチケットが十数枚しか売れなかった」(水野)

――注目の新人のデビュー曲って、良くも悪くもそれがバンドの印象になっちゃうことも多い。

吉岡 特にリーダーは「デビュー曲が「SAKURA」で良かった」ってすごく言ってました。

水野 後付けになるかもしれないけど、その後自分たちが進んだ方向からすると、あの曲がスタートラインで良かったです。でも当時は「SAKURA」って曲は聴いたことあるけど、誰が歌っているのか知らないという人が大多数だったと思うんですよね。その後、色々な曲をリリースして、バンド名とキャラクターは浸透していったと思いますが、「SAKURA」は曲が一人歩きしていて、それでよかったのだと思います。

――「SAKURA」は耳馴染みが良くて、スッと入ってきますし、その後のいきものがかりの曲ってそういう曲が多いじゃないですか。だからブレてない感じはします。この年は早くも全国ツアーもやっています。

水野 無理矢理やった感じです(笑)。

吉岡 やらせておいたほうが良いだろう、そんなノリでした。

山下 どの都市も、キャパ200人ぐらいのライヴハウスでしたね。

水野 たぶん東京と大阪しか埋まってなかったと思います。それもぎりぎりだったはずです(笑)。

山下 確かスタートは札幌だったような…。

水野 札幌も埋まってなかったし、福岡も埋まってないし、福岡は自虐的に言うネタなんですけど、10数枚しかチケットが売れていませんでした。その後、福岡でもう少し大きいライヴハウスを満杯にできた時、当時のイベンターさんがすごく感慨深げに「本当に良かったねえ。今だから言うけどあの時はチケットが10数枚しか売れてなくて」と言われて、本当にびっくりしました(笑)

山下 「DENPO」のCMって西日本エリアでは流れてなくて。だから全然浸透していなかったです。

吉岡 ライヴをやっている時はその事を知らなくて(笑)。でもお客さんが温かくて助けられました。

水野 このタイミングでツアーやってよかったと思います。鍛えられましたし。大変でしたけど、その分楽しかったです。移動も含めて、全部が初めてのことでしたし、まだ体力もありましたから(笑)。

――翌2007年はシングル3枚、アルバム1枚、全国ツアーが11公演、学園祭ツアーが12公演と、早くもフル稼働でした。

1stアルバム『桜咲く街物語』('07年3月7日)
1stアルバム『桜咲く街物語』('07年3月7日)

山下 アルバムを出して初めてのツアーだったんですよね。曲数が増えたので前年に比べるとセットリストが組みやすくなって、「SAKURA」のおかげでちょっとだけ名前を知ってもらうことができました。シングルの売上げからすると、アルバムはすごく売れたと思います。アルバムが色々な人に受け入れてもらえたことがすごく大きかったです。

吉岡 学園祭も楽しかったよね。

水野 きつかったり、楽しかったり(笑)。

山下 当時は車移動だったんです。

吉岡 北海道とか行くときは車とフェリーでした。

――それって何年目までやってたんですか?

水野 確か2~3年目まではそうでした。2回目のツア―まではフェリーを使っていたと思います。

山下 2rdアルバムの『ライフアルバム』の時からバスになり…。

吉岡 大型バスでみんなで移動していました。

山下 ハイエースからマイクロバスになって、大型バスになりました。

'08年”紅白”初出演。シングル5枚、アルバム2枚リリース「(忙しすぎて)一番何をやっているのかわからない時期だった」(水野)

――当たり前かもしれませんが、身の丈に合った感じだったんですね。そして2008年はここから何年か続く怒涛のリリースラッシュの最初の年です。シングル5枚、アルバム2枚、全国ツアー26公演、そして「NHK紅白歌合戦」に初出場と、トピックスがたくさんありました。

2ndアルバム『ライフアルバム』('08年2月13日)
2ndアルバム『ライフアルバム』('08年2月13日)
3rdアルバム『My song Your song』('08年12月24日)
3rdアルバム『My song Your song』('08年12月24日)

水野 『My song Your song』(3rdアルバム)あたりが、一番何をやっているかわからない時期でしたね、個人的には(笑)。みんなが超忙しくて、『My song Your song』のジャケット撮影もワーって衣装着て、ワーって撮って、コンセプトってなんだったっけ?みたいな感じでした(笑)。でも今思えば、あのジャケットすごく気に入っていて…。みんながとにかくそれぞれの持ち場で頑張っていて、なんだかよくわからないけどうまくいっているみたいな…。内容もすごく気に入っている一枚です。

――そしてバンドで一年にシングル5枚リリースするって、なかなかないですよね。昔のアイドルみたいな感じ。

吉岡 よくそう言われました。

水野 1月30日発売のシングル「花は桜 君は美し」のMUSIC VIDEO(MV)を1月4日に撮ってましたからね(笑)。AquaTimezの太志君とか同期の人たちに「“いきものペース”っていうのがいつのまにか出来ていて、レコード会社がそのペースで大丈夫なんじゃないかっていう空気になっていて、非常に迷惑だ」って冗談で言われてましたけど(笑)。

「”紅白”に初出場した時の衣装がジーンズにTシャツで、家族に(せっかくの紅白なのに)なんで?と言われました(笑)」(吉岡)

――本当にレコード会社孝行なグループです。『紅白歌合戦』に初出場したときのことは覚えてますか?

山下 この時「SAKURA」を歌ったんですけど、帰りたくなるぐらいお腹痛かったんですよ(笑)。

吉岡 その時の衣装が黄色いTシャツだったんです。紅白に出るというと普通オシャレするじゃないですか、でも敢えてジーンズとTシャツでいこうってなって、15枚ぐらいのTシャツの中から選んだやつのロゴが「KING」って書いてあって(笑)。親戚からはなんでジーパンなの?って言われました。

水野 せっかくの紅白でね。

吉岡 ストリートライヴをやっていた私達のイメージだったみたいなんですが、逆に目立ってたっていうか、それが一番やりやすいということだったんですよね。大舞台に出たときにテンションが保てるというか、私達も含めてチーム全体が「頑張りすぎないでいこう」という感じだったのかもしれないですね。

――2009年も前年に負けず劣らずのペースで、シングル4枚にアルバム1枚リリースして、ツアーは38公演。で「YELL」が「第76回NHK全国学校音楽コンクール」中学生の部・課題曲、に選ばれました。結構動いている年ですよね。

15th(両A面)シングル「YELL/じょいふる」('09年9月23日)
15th(両A面)シングル「YELL/じょいふる」('09年9月23日)

水野 このあたりからようやく飛行機とか新幹線を使わせてもらえるようになりました(笑)。

吉岡 でも体がつらかったです。私はラジオもやらせてもらったりして、忙しかったです。

山下 ツアー中に僕と良樹だけで、2人の部分のMV撮ったりしていましたね。

水野 2008~2010年は忙しかったですね。

吉岡 特に2009年、2010年ですかね。

水野 2008年に初めて紅白に出させてもらって、その時にNHKのスタッフさんと「YELL」の直しの打合せをしたのを覚えています。3月には全国の中学生に渡す必要があって、そのためには年明けには吉岡に仮歌を歌ってもらわなければいけないのに、大サビの部分に掛け合いみたいな感じが欲しいという、NHKサイドからリクエストがあって、それを紅白の時に打合せしていました。だから正月もその作業をやっていた気がします。

――でもこの途切れることがないリリースラッシュの時は、アウトプットばかりで一体いつインプットの時間があるんだろうと、外から見て心配でした。いつか曲が枯渇するんじゃないかって。

山下 目の前にあるものを、とにかくこなすという感じでした。

水野 2009年に小田(和正)さんの番組『クリスマスの約束』(TBS系)に出演して、小田さんと話をしている時に「次の次の次のシングルの締切りが…」って言ったら、「お前異常だぞ」って言われたのを覚えています(笑)。

「「ありがとう」が浸透していることをツアーで実感」(山下)

「音楽プロデューサー・本間昭光さんとの出会いがグループにとっては大きかった」(水野)

――まさに怒涛という言葉がピッタリの年です。2010年もシングル3枚、なんといっても新規ファンを一気に獲得できた「ありがとう」がいよいよ発売されて、初のベストアルバム『いきものばかり~メンバーズBESTセレクション~』もリリースしてミリオンヒットになりました。さらに初のアリーナツアーもやりました。

18thシングル「ありがとう」('10年5月5日)
18thシングル「ありがとう」('10年5月5日)

山下 全都道府県ツアーやって、それプラスアリーナだったので、一番ライヴをやった年です。確か71本でした。「ありがとう」のヒットがやっぱり大きかったです。主題歌になっていたNHKの朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』の視聴率がどんどん上がっていくにつれ、「ありがとう」が浸透していっているということを、ツアー中に実感しました。ツアーの最初の方は「ありがとう」を演奏しても、何あの曲?って感じだったんですけど、ツアーの最後のほうは“ゲゲゲの曲”として認知されて。

水野 2009年にプロデューサーの本間昭光さんに出会いました。それで2010年の全県ツアーからバンマスとして本間さんに帯同していただいて。ここから本当に本間さんとがっつり距離を縮めて、一緒に作品とライヴを作っていきました。それがグループにとってはすごく大きかったですね。60公演の全県ツアーでは毎晩飲んでいました(笑)。

――いきものがかりは本間さん以外にも、島田昌典さん、亀田誠治さん、さらに蔦谷好位置さん、江口亮さん、鈴木Daichi秀行さんなど、日本を代表するアレンジャーの方が作品を手がけています。メンバーで曲を作って、どういう感じでアレンジャーさんに発注するんですか?

山下 基本的に曲は素っ裸のシンプルな状態で渡します。お任せしますので好きなように装飾してくださいという感じです。あがってくるアレンジのデモは、もちろんそれぞれの個性があって、そこから色々と話合いをしながら仕上げていきます。言われてみるとそうですね、アレンジャー陣の顔ぶれすごいですよね。

――J-POPシーンを作っている職人たちがそろってますよ。

山下「SAKURA」でいきなり島田さんですし、そのカップリング「ホットミルク」は亀田さんですもんね。

「横浜は地元だけど憧れ。ファンの皆さんが全国から集まってくれる特別な場所」(吉岡)

――そうそうたる音楽プロデューサーの方たちが、これだけ力を注いでいるいきものがかりの音楽は、やっぱり“強い”し、永く聴かれている曲ばかりです。2011年はシングルを2枚リリースして、初のスタジアムライヴ「いきものまつり2011どなたサマーも楽しみまSHOW!!!~横浜スタジアム~」がありました。地元・横浜スタジアムで2日間(7月23~24日)で6万人動員しましたが、やはり地元ということもあって、特別な感じがありましたか?

「いきものまつり2011どなたサマーも楽しみまSHOW!!!~横浜スタジアム~」
「いきものまつり2011どなたサマーも楽しみまSHOW!!!~横浜スタジアム~」
初のスタジアムライヴは地元・横浜スタジアムに2日間で6万人を動員した
初のスタジアムライヴは地元・横浜スタジアムに2日間で6万人を動員した

水野 憧れはありました。僕らは横浜からちょっと外れた神奈川県の厚木市・海老名市の出身で、横浜は昔からかっこいい場所というか、オシャレな場所というイメージでした。ちょっと背伸びをしないと行きづらい感じで。子供の頃はそういう場所だったので、その憧れの場所で大きなことが出来ればって当時思っていたと思います。横浜アリーナも横浜スタジアムも憧れでした。

吉岡 地元だけど憧れ。

水野 地元っていうのもいまだにちょっと抵抗があるというか…。

――MCのお約束でみんなそのネタ待ってます(笑)。

山下 全国から見たら同じ神奈川だから地元だけど、自分たちから見たら地元じゃねえよっていう(笑)

水野 そうそう、ちょっとおこがましいというか(笑)

吉岡 でも私達の地元ということで、全国からファンの皆さんが集まる場所でもあるんですよね。皆さんが遠くから来てくれる特別な場所なんです。

――実際横浜スタジアムはどうだったんですか?リーダーは野球大好きですし(笑)

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水野 スタジアムって円形なので、3万人という規模ではあるのですが、お客さんが近かったです。オープニングでステージに出て行った時、向こう側にいる人が思ったより近くてビックリしました。前回のツアーから半年以上空いていたので、ものすごく緊張したことを覚えています。

吉岡 そうそう、かなり久しぶりでした。

山下 震災もありました。

水野 そう、震災もあったし。オープニングはステージの上に櫓を組んで、2階部分から登場するという演出だったんですけど、あの瞬間は結構緊張しました。パッと開けて出ていったら3万人のお客さんがいて…。

吉岡 ライヴの半年ぐらい前に下見に行った時、広いなぁって思いましたけど、最後列の人たちに向かって手を振ったら、そこにいる人達が振り返してくれるので、見えてるんだなって思って感動しました。視線が伝わっているのに驚きました。

――あのライヴ、映像もプロジェクションマッピングを使って凝っていて、こだわってましたよね。

山下 当時はプロジェクションマッピングやっている人はそんなにいませんでした。

水野 東京駅よりも先にやったよって(笑)

――あれは度肝抜かれました。

山下 まだ誰も観たことがないという感じだったので、3万人が一斉に驚くとこうなるというのを体感できて、ものすごくワクワクしましたね。

「「風が吹いている」はいい意味でも悪い意味でも力が入っていたかもしれない」(水野)

「「風が吹いている」はリーダーが人生かけて書いている感じがしていた」(吉岡)

――アリーナツアーをやって、スタジアム2デイズライヴをやって、どこも満杯にして、いきものがかりは一体どこまで行くんだって感じがしました。2012年はシングル3枚、アルバム1枚で全国ツアーが42公演。そしてバラードベスト。さらにこの年は「NHKロンドン2012放送」のテーマソング「風は吹いている」という、またいきものがかりにとってキーとなる曲をリリースした年です。「風が吹いている」は、かなりプレッシャーの中で書いた感じですか?

24thシングル「風が吹いている」('12年7月18日)
24thシングル「風が吹いている」('12年7月18日)

水野 そうですね、やっぱり震災が起きてから初めてのオリンピックということで、どの角度で接していいかということはすごく考えてました。こういう機会を与えていただけるのは、人生に一度あるかないかのことだと思いますので、いい意味でも悪い意味でも力が入っていたかもしれないですね。それが7分40秒という一曲になりました。

――グっとくる曲ですよね。この曲を書けて、世に出せたことがいきものがかりにとっても大きなトピックになってますか?

吉岡 リーダーが曲作りしているところを見ていて、デモテープの声が擦り切れる感じで、すごく練っているんだなという印象がありました。本当に、人生かけて書いているというのを勝手に感じました。

――デモの段階から魂がこもってるって感じが伝わってきたんですね。

水野 暑苦しかったですね(笑)

吉岡 何かもうすごい声でしたよ、ライヴバージョンみたいな。ワーっていうのも入っていたし、最後の雄たけびも入ってたし。

――いつか特典で入れてあげてください。

水野 ね、本当に。

吉岡 すごい迫力でした。

――2013年はシングル2枚、アルバムが1枚『I』ですね。全国ツアーが25公演。この年は割と落ち着いて制作活動ができた感じなんですか?

6thアルバム『I』('13年7月24日)
6thアルバム『I』('13年7月24日)

山下 前年の全国ツアー『いきものがかりの みなさん、こんにつあー!! 2012 ~NEWTRAL~』が42公演で、これはホールからのアリーナだったんですよ。この年の『いきものがかりの みなさん、こんにつあー!! 2013 ~I~』は全部アリーナ公演で、だから公演数が前年と比べて減っているということです。このツアーで「フリフラ」というLEDの新しいペンライトシステムを使いましたね。

――そして2014年はシングル3枚、アルバム1枚

5thアルバム『NEWTRAL』('12年2月29日)
5thアルバム『NEWTRAL』('12年2月29日)
バラードベスト『バラー丼』('12年12月19日)
バラードベスト『バラー丼』('12年12月19日)

水野 ……本当に毎年アルバム出してるんですね(笑)。『NEWTRAL』『I』『FUN!FUN!FANFARE!』

吉岡 『バラ―丼』も!

水野 あ、そうか、2012年は2枚出してるんですね、『バラ―丼』と『NEWTRAL』。

山下 2014年はツアーをやっていない。

吉岡 ツアーやってない年ある?

7thアルバム『FUN!FUN!FANFARE!』('14年12月24日)
7thアルバム『FUN!FUN!FANFARE!』('14年12月24日)

水野 ツアーやってない…2014年はそうなんだね。

――今気づいちゃう感じですか(笑)

吉岡 でも去年のツアーでは「久しぶりのツアーです!」って言っていたような気もするけど忘れちゃった(笑)

山下 インタビューで「初めてツアーやらない年なんです」って言ってた記憶がある。

――そんな年もあったんですね。でもシングルはしっかり3枚出しています。2015年が、全国ツアーとシングル2枚ですね。デビューからを大急ぎで振り返ってもらいましたが、あっという間の10年でしたか?それとも濃厚な10年が続いているという感じですか?

水野 これがなかなか難しくて…。

山下 どっちもありますね。

水野 今回のアルバムのマスタリングしていて思ったんですけど、一曲一曲聴いていると、それぞれ思い出がポコポコ出てきて、この時何やってたとか、こんなこと言ってたよねって全部覚えてるから、それを集めていくと結構色々なことがあったんだなって思いますね。でもあっという間って言っちゃうとあっという間でしたけどね。

山下 なかなか振り返る余裕もなかったんですけど、あっという間という感じもありますが、改めて見返してみると、色々あったなって感じです。

吉岡 こうやって時系列で追っていくと、ウワーって思いますけど、でも目の前の一つずつしかたぶん見てこなかったと思うんです。だからこうやってこれまでのことを並べてみると圧倒されるというか、おお!って感じでびっくりしちゃいます。

水野 デビュー曲「SAKURA」を出したときは、こうして31枚のシングル出して、オリジナルアルバムを7枚も出すということは、空想はしていましたが現実的なものとしては捉えてなかったでしょうね。こうやって取材させていただく時に、資料に3rdシングルとか4thシングルって書いてあるのを見て、いつになったら10枚目になるのかなってぼんやりは思っていましたけど、31ってもうこれ数字いらないんじゃないのって、笑っちゃうぐらいの感じです。

本当にコツコツと、でも勢いよく積み重ねてきた10年という感じだ。今回改めていきものがかりの全作品に向き合ってみると、“身近な存在”ということを再認識した。しかもそれが10年間、いや結成してからブレていない。“身近な存在”というのは、ジャケット写真、アーティスト写真ひとつとってもそうだし、インタビューでの発言もそう。もちろん楽曲もそうで、耳と心にスッと入ってきて、いつまでも心に残る。そこがブレていない。だから幅広い年齢層に受け入れられる。音楽ファンの中には、強い刺激を求めたり、ちょっと変わったものを探そうとするタイプも多い。そんな中で、いきものがかりの曲を聴くと安心するとか、勇気がもらえるとか、心が休まるとか、そういうキーワードが出てくるアーティストってなかなかいない。もちろん色々な音楽を聴いて、最後に行き着いたのがいきものがかりだった、という人もいるだろう。エバーグリーンな曲達は決して色褪せない。だから10年経っても勢いが落ちないのは当然だ。このアルバムを聴くと”一聴瞭然”だ。<後編>へ続く――――。

『超いきものばかり~てんねん記念メンバーズBESTセレクション~』(3月15日)
『超いきものばかり~てんねん記念メンバーズBESTセレクション~』(3月15日)

<Profile>

1999年結成。吉岡聖恵(Vo)、水野良樹(G)、山下穂尊(G, Har)の3人組ユニットで、出身地である神奈川県厚木市、海老名市でストリートライヴを中心に活動していた。2003年にインディーズから、アルバム『誠に僭越ながらファーストアルバムを拵えました…』をリリース。2006年メジャーシングル「SAKURA」でデビューし、スマッシュヒット。”泣き笑いせつなポップ3人組”のキャッチフレーズの通り、どこかせつなさを感じさせてくれるポップスで、幅広い層から支持を得、ヒット曲を連発。2010年NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌「ありがとう」が大ヒット。国民的グループとしてファン層を一気に広げ、同年にリリースされた初のベストアルバム『いきものばかり~メンバーズBESTセレクション~』は150万枚を超える大ヒットを記録。さらに2012年には『NHKロンドンオリンピック放送』テーマソング「風が吹いている」が大ヒット。以降もコンスタントにCDのリリース、全国ツアーを続けている。『NHK紅白歌合戦』には8年連続出場中。

いきものがかりオフィシャルWEBサイト