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【インタビュー】箭内道彦×野宮真貴 コミュニティFMの在るべき形『渋谷のラジオ』は「町内会の寄合所」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「渋谷のラジオ」は防災メディア、新しい文化の創造を担うメディアとして注目を集める(写真:アフロ)
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4/1にミュージシャン福山雅治の開局宣言と共に本放送がスタートした、渋谷区のコミュニティFM「渋谷のラジオ」。同局の理事長は「風とロック」箭内道彦。稀代のクリエイティブディレクターが手がけるというだけあって、ただのステーションでおさまるはずもなく、様々な人が集い、渋谷区に住む住民をつなげる“町内会”を作り上げた。防災メディアとしての大きな役割が期待される一方で、世界最大のローカルタウン・渋谷を、人のエネルギーが溢れる街として、世界へ発信していく。人が集まる“場所”を作った箭内氏と、同局でパーソナリティを務める“渋谷系の女王”野宮真貴に、スタートして1か月が過ぎた「渋谷のラジオ」の現状と、今後のワクワクする展開を語ってもらった。

「災害時は、確かな情報と助け合う精神が大切。東日本大震災で学び、感じたことが「渋谷」にも必要」(箭内)

――色々お話を聞かせていただく前に、箭内さんにそもそもなぜ今ラジオだったのか、というところからお聞きしてもいいですか。

「渋谷のラジオ」理事長・箭内道彦
「渋谷のラジオ」理事長・箭内道彦

箭内 「なぜ?」と言われるたびに嬉しくなりますね(笑)、「やっぱりね」ということではないことができている状態ではあるので、嬉しいです。まずラジオが好きという事が大きいのですが、先日も熊本・大分で大きな災害が起きてしまいましたが、2011年の東日本大震災以降、ラジオの力を目の当たりにし続けてきた部分が自分の中にありました。人と人とをつなげたり、地域を盛り上げたり、もちろん直接災害の情報を届けてくれたり。そしてテレビから音楽が消えたあの何週間、最初に音楽が流れ始めたのはラジオでした。ラジオの役割の大きさを僕だけではなく、みんなが気づき始めたのだと思います。テレビ、新聞、雑誌、ラジオといういわゆる“4媒体”の中のひとつだったのに、ネットの登場をきっかけに、ラジオはオールドメディアとはっきり言う人も出てきました。東北に何度も通う中で、何かあった時に人と人とが助け合うことって、とても大事な事だと思っていて、僕は若い頃は逆にそういうことが嫌で、放っておいて欲しいというタイプだったんですけど(笑)、でも助け合うことって、困難を乗り越えていくときの力になるんだなということを感じました。そのことが渋谷にも必要だと思いました。そこに住んでいる人々の顔が見えない、大都会と言われている場所にこそ、人の顔が見えて、人が交差している大きな“町内会”みたいなものが欲しいと思っている時に、最適なツールが、結果的にラジオだったという感じです。自分が遊びたい部分と、地域の事をやりたい部分と、両方のことを満たしてくれるのが「渋谷のラジオ」なんです。

――野宮さんは最初箭内さんから渋谷にコミュニティFMを作るという話を聞いた時は、どう思われました?

野宮 嬉しかったですね。ここ3年ほど私自身が「渋谷系を歌う」というコンセプトで、渋谷系のカバーや渋谷系のルーツミュージックを歌っていますので、何かと渋谷にお世話になる機会が多かったんです。

毎日夜7時に「東京は夜の七時」を”世界一長い(と思われる)時報”としてオンエア。「渋谷を世界に発信していきたい。「渋谷系」を若い人に聴いて欲しい」(野宮)

――“渋谷系の女王”が最近は“渋谷の女王”と呼ばれています。

「渋谷のラジオ」美化委員・野宮真貴
「渋谷のラジオ」美化委員・野宮真貴

野宮 (笑)そんな中でこのラジオのお話をいただいて、これはやらなければ!と思いまして、正直おしゃべりはあまり得意な方ではないのですが、毎週しゃべるというのがボケ防止のためにもいいかなと思いましたし(笑)、渋谷系と名乗っている以上、渋谷を世界に発信していけたらなと思っています。先日パリに行った時に、クレモンティーヌに会ってこのラジオの話をし、協力をお願いしたところ私とカジ(ヒデキ)君がやっている番組「渋谷のラジオの渋谷系」に、彼女がパリ情報をボイスメールでくれたり、そういうやりとりも始まっています。自由に楽しくやらせていただいていますが、渋谷系を知らない若い人たちにも、渋谷系を知ってもらう場にしたいですし、渋谷系は古い音楽をリスペクトして作られたものなのですが、本当にいい音楽が多いので、どんどん紹介していきたいです。

――毎日19時になるとピチカート・ファイブの代表曲「東京は夜の七時」が流れています。

箭内 そうなんです。一日たりとも休まず。

野宮 それだけが最初に決まってたんですよね。

箭内 そういうところから決めていくのが好きなんです。「世界一長い(と思われる)時報」です。野宮さんには美化委員をやっていただいていますが、野宮さんの言葉や声や歌や世界観を通して色々なもの見ると、人も景色も本当にキラキラし始めるんです。あの歌は、一日の中で毎日あの時間になると、渋谷という街がキラキラしていることを再認識する瞬間なんです。ただ曲をかけて、この長い時報面白いでしょ?ということではなく、僕らはこんなに素敵な世界に住んでいるんだということを、聴いている人、スタッフも含めて毎日思い出して欲しいと思っています。

昼間は一般の人がパーソナリティを務め、年間1万人が登場予定。夜の著名人パーソナリティもみんな台本なしでしゃべっている

――「渋谷のラジオ」には台本がないというのは本当なのでしょうか?

箭内 そうなんです。例えば普通のラジオ局の番組だったら10分で済む尺を、1時間かけて同じ内容を話すというだけで、全然違うものが届くのではと思っていて、その“間”であったり、同じことを繰り返して言ってしまう部分だったり、そこに人の温かみやキャラクターが出てくるような気がしています。でもそれは元をたどれば、台本を書く人手がいないからで、編集する時間もないので生放送が多いですし、作家がいないから自分達でやるし、でも結果的にそれがクリエイティブになっていくと思います。

――台本がない本当の生、予定調和じゃないところがリスナーとしては楽しいですよね。

左:「渋谷のラジオ」OSA(=長(おさ))・谷村新司
左:「渋谷のラジオ」OSA(=長(おさ))・谷村新司

箭内 野宮さんや谷村(新司)さんクラスになると、台本があっても自分の言葉でしゃべることができますが、台本って自分の言葉でしゃべれなくさせる装置でもあって、例えば僕がどこかのラジオ番組にゲストで出る時は、事前にアンケートに答え、それが全部台本になっていて、そうするとその台本を全部覚えようとしてしまうんです。僕が言った僕の考えで、僕の言葉で僕の声なのに…。制作サイドは安心かもしれませんが、伝わるものの質が少し変わってしまうような気もするんです。「渋谷のラジオ」では昼間の時間帯は一般の方がたくさんしゃべって下さって、計算したら一年間で1万人にもなるらしいのですが(笑)、みんなしゃべるのがうまいんですよ。初めてラジオでしゃべりますという人ほどうまいんです。それはなぜかというと、ラジオのスキルをゼロから学んでいるのではなく、普通に会話しているだけだからです。日常の会話が、スタジオの中で繰り広げられているだけなんです。台本が色々なものを難しくしていただけなんじゃないかと思います。あれば安心ではありますけど。でも今のところ台本がないからといって怒り出すゲストは一人もいないです(笑)。

野宮 2時間の番組で、決めの台詞だけは決まっていますが、後は自由にやらせていただいていて、シャンパン飲みながらやっているんです(笑)。だから最初は緊張気味なんですが、最後のほうはいい気持ちになってペラペラ喋ってるんです(笑)。自分でもびっくりです(笑)。

「市民ファウンダーに支えられている。目標は「FCバルセロナ」。ファウンダーの名前を書いた木札が、スタジオの壁になる」(箭内)

――「渋谷のラジオ」は一口1万円の市民ファウンダーに支えられているという珍しいスタイルのステーションです。

箭内 中心になって運営してくれているスタッフがサッカースペインリーグの「FCバルセロナ」のようにしたいと言っています。「FCバルセロナ」はソシオという16万人の会員に支えられていて、「渋谷のラジオ」はまだまだ全然足りていませんが(笑)。僕も参加させていただいている「東北ライブハウス大作戦」という、誰でも使えるライヴハウスを東北に作るプロジェクトがあって、今、宮古と石巻と大船渡にライヴハウスがあり、4つ目が福島県・猪苗代にできたのですが、そこで木札大作戦というのをやっているんです。5,000円を出して木札に自分の名前を書くと、それがライヴハウスの壁になるというもので、「渋谷のラジオ」もそれを見習いました。市民ファウンダーの皆さんの名前を、僕が木札に手書きして、それがスタジオの壁になります。これからもっと市民ファウンダーになってよかったと思ってもらえるようなものを作っていきたいと、スタッフみんなで話しています。例えば年に1回バーベキュー大会をやるとか、市民ファウンダー達が一日番組をやる日があるとか、そこから何かが始まっていくといいなと思います。それもお祭りの日の町内会の感じですよね。神輿を担いで帰ってきて、みんなもう家に帰ればいいのに寄合所でいつまでも飲んでいる、あの感じです。

野宮 そうですね、町内会の回覧板を回しているような感じです。私とカジ君は番組内で曲の練習とかやっていますが、いずれそれがライヴになったり、渋谷のスクランブル交差点で盆踊り大会とかできたら楽しそう!

「最初は「無理」と言われ、余計に燃えた。地域密着の部分と最先端の部分がぐちゃぐちゃになっているところが面白い」(箭内)

箭内 たぶんそうなっていくと思います。もともと「SHIBUYA-FM」というコミュニティFMが3年前まであったのですが、それがなくなって、地元の方達や商店会、区役所からもラジオ局を待望する声が挙がっていました。一方で一回失敗したものをもう一回やるのはバカげているという声もいただきました。「失敗するからやめておいた方がいい」と。そう言われると逆に燃えるタイプなので(笑)。だから言って下さった方に感謝しています(笑)。「頑張ってね」と言われるとそんなに燃えないんですけど、「絶対無理」とか言われるとやりたくなっちゃうんです。でもやっぱり以前あったFM局でできなかったことや、足りなかった部分は僕らにとって示唆になるというか教えられる部分でもあります。地域密着というのはとても大切な部分です。渋谷駅周辺だけじゃなく、渋谷区は様々な魅力ある地域から成ります。前のFM局は、渋谷という街の洗練された最先端の部分をクローズアップしてやっている印象がありました。でも「渋谷のラジオ」はそれとは真逆の部分半分、逆にもっと洗練された先端の部分、それこそ野宮さんがやって下さっているパリと繋がっていることもそうですし、ダイバーシティじゃないですけど、ぐちぐちゃになっているところが面白いんです。地元の不動産屋さんのカツさんという方がいて、木曜日担当なんですが、カツさんと野宮さんがしゃべっているところって、普通はありえないでしょ(笑)。

野宮 本当に人と人をつなげる場所で、私もカツさんという方と知り合って、不動産屋さんなんですが、会社の屋上でハチミツも作っていらっしゃって、私も歌手なので喉にいいハチミツには興味があって、じゃあハチミツのど飴を作りましょうとか、植物療法士の資格も持っていますので、ハチミツにハーブのエキスを入れて、お土産に作りませんかとか、色々なアイディがどんどん浮かんできています。

――商店会の方々の協力がやはり大きいですよね。

箭内 本当にそうですね。商店街のPRだけではなく、渋谷区に住んでいる皆さんの中に、震災も大きなきっかけだと思いますが、何か自分が地域の役に立てないだろうかという想いがずっとあって、それが今みんなの中で大きくなっている最中だと思います。

――「渋谷のラジオ」の大きな使命のひとつとして、災害時の正確な情報の伝達ということが挙げられます。

箭内 そうですね、電気がなくても電池で聴くことができるメディアとしての役割は大きいです。渋谷駅前は、5年前、たくさんの帰宅難民の方で溢れかえったことが記憶に新しいですから。

――箭内さんの事務所が渋谷区にあることも大きな理由だとは思いますが、ラジオ局を立ち上げたのが渋谷だった理由を教えて下さい。秋葉原とか新宿ではだめだったのでしょうか?

箭内 会社がその区にあったらきっとその区に立ち上げていたと思います。やっぱり地元だからで、地元じゃなかったらやってなかったかもしれませんし、福島という選択肢もあったのですが、福島にはしっかりとした災害FMやコミュニティFMがいくつもありますので、逆にそこから学んだことを渋谷に逆輸入できないかなと思いました。本当は渋谷がリーダーになって全国がついてくるというのがいいのかもしれませんが、やっぱり災害があって、地域がひとつになる時に果たしたラジオの役割を、渋谷に移植するというのが大きなテーマのひとつでした。

「スペシャルな方たちがもったいぶっていない状態が、世界が輝きだすためには一番必要なこと。それが「渋谷のラジオ」にはある」(箭内)

――企業とのコラボで、何か新しいことをやってくれる期待感も大きいです

箭内 開局前から色々お話しをさせていただいていますし、いつもオープンにしています。

野宮 箭内さんがやることって、希望を感じさせてくれるので、皆さん興味を持っていただけると思います。

箭内 不明な点が多いからそれが希望に見えるんですよ(笑)。渋谷という世界最大のローカルな場所で“地面”で実験するという感覚を持っている企業が興味を持ってくれます。顔が見えて人と人が向き合っている場所で、面白いことが起きるんじゃないかと思っているのは、ナショナルクライアントさんなのかと漠然と思っています。そこでやった実験を、全国に応用していこうとしているのではないでしょうか。面白いから失敗していいとは思っていないと思います。僕も“渋谷ローカル”ということがすごくやりたくて、全国の人が聴けるようにというケアはアプリを作ってするのですが、それはあくまでも二次的なもので、そこに野宮さんの「渋谷系」とか「東京は夜の七時」とかがご本尊のようにドンとあるんです。毎時の時報は野宮さんが一時間ごとに出てきてくれて「こんにちは野宮真貴です。東京は午後一時をお知らせします」とか言って下さるんですけど、あれが凄くホッとするんです。野宮さんはオシャレだけど温かいんです。その両方が入っているから「渋谷のラジオ」のローカルとグローバルを繋げる存在だと思います。

野宮 あれは朝8時から1時間ごとに録っていったのですが、朝の気分とか昼の雰囲気とか時間帯によって雰囲気を変えて録りました。

箭内 それがすごく出ていて、ちょっとずつ違うんです。本当にありがたいです。こういうのって「できません」というのは簡単じゃないですか。やるのは簡単の逆で、でもこうやって“降臨”してきてくれる感じが、それはOSA(おさ=谷村新司)もそうなんですが、スペシャルな方達がもったいぶっていない状態が、世界が輝きだすために一番必要なことなんじゃないかと思います。みんな自分の価値をキープしたいから「ちょっとだけよ」なんです。でも野宮さんや谷村さんのような方になると、そういうことでは揺るがないんです。「なんでそんな小さなラジオ局手伝ってるの?」とか、そういう話を超越しているんです。

「箭内さんがみんなが集まって何かをやりたくなる場所=”町内会”を作ってくれた」(野宮)

「未来はロボットの時代ではなく、人間くさい世界であるべき。渋谷がもっと人のエネルギー場所になって欲しい」(箭内)

野宮 箭内さんがそういう“場所”を作ったんですよ。一緒にやりたくなる場所を。福山雅治さんがスペシャルファンウンダーとして参加しているのもそうですし。FCバルセロナのファウンダー達は、FCバルセロナが自分達の誇りのように「渋谷のラジオ」に携わっている方もそうなんです。この場所に誇りを持っているんです。どんな人でもフラッと来れて、何かをやりたくなる町内会なんです。

箭内 それをいうと、ラジオというよりはそういう“場所”、町内会を作りたかったんです。

――今渋谷が100年に一度の大工事、再開発中ですけど、生まれ変わる渋谷に期待することは?

箭内 今「Last_Dance」という、渋谷パルコでリニューアル工事に入る前のキャンペーンを井上嗣也さんと共にやっています。工事の間の3年間はあの場所は“無”になる感じもしますが、その間も“魂”だけはどこかで燃やし続けていたいと思っていて、その“魂”を預かっている場所が「渋谷のラジオ」でありたいと思っています。どんどん変わっていく渋谷ですが、変わっている間はゼロになるのではなく、その間も渋谷は生きていて、その渋谷の“魂”を預かっている場所に、町内会の人が集まって、ああでもないこうでもないと色々話をしているイメージです。

野宮 ハチ公がちゃんといてくれて、「渋谷のラジオ」があって、安心できるものがあると嬉しいです。昔から渋谷が大好きなので、新しくなる楽しみはありますが、例えばかわいいポータブルラジオを作って、それを持って渋谷に「渋谷のラジオ」を聴きに来るとか、今「渋谷のラジオ」はスマホでも聴けますし、世の中どんどん便利になってはいきますが、アナログ盤がまた流行っているように、面倒なこと、アナログなことがオシャレでかっこよくて楽しいって感じるようになって欲しいなと思います。

箭内 未来って空が飛べるようになるとか、ロボットの時代とかではなく、人間くさい世界であるべきだと思っていて、渋谷がもっと人のエネルギーが集まる場所になって欲しいんです。

「渋谷をえこひいきしていく。渋谷に来た人、渋谷区に住んでいる人にいいことがあるようにしたい」(箭内)

――アプリでも聴けますが、渋谷に来ないと聴けないという限定された感じがいいですよね。

野宮 そうなんですよね。今何でも手に入る時代じゃないですか、そういうのってつまらないと思うんですよね。

箭内 アプリがあっても、渋谷をえこひいきする部分はずっと残したいと思っています。渋谷に来たらもっといいことがある、渋谷に住んでいる人にもいいことがあるようにしたいです。

「ボランティアの捉え方が変わってきている。好きなことにエネルギーを使って、人の役に立ちたいと想っている人が増えているのでは?」(野宮)

――本放送が始まって1か月ほどですが、当初箭内さんが描いていた「渋谷のラジオ」の姿と比べて、広がり方や在り方で感じることはありますか?

箭内 最初は広く浅く拡がっていって、そこから深く伝わっていくのかなと思っていたのですが、蓋を開けてみると、まず深く伝わってそこから拡がっていくという、より強いほうに違っていました。ボランティアの数も500人を超えていまして、応募して登録していただいても仕事を回せないという状況です。ボランティアの方が出して企画がそのまま番組になって、パーソナリティをやっているパターンもあります。

野宮 このあいだ、私の番組の収録をやってくれたディレクターは18歳の大学生でした。

応援したくなっちゃう。

箭内 小学生が出る番組もあります。

野宮 みんな何かの役に立ちたいという想いを持っていて、町内会を盛り上げたいと集まってきています。

箭内 ボランティアというと復興支援とか大変な人を助けに行くというイメージが強いかもしれませんが、もっと気楽に、自分の持っている力を面白いことに使いたい、楽しい事に自分を使ってもらうボランティアのような、人生を楽しもうという人も増えてきている気がします。

野宮 好きな事を仕事に出来ている人って、そんなに多くはないと思います。だから自分がやりたいこと、好きな事にエネルギーを使いたいというのがボランティアなんだと思います。

箭内 それが町内会であり、お祭りなんだと思います。だから「渋谷のラジオ」は毎日お祭りをやっているような感じです。

今、渋谷は100年に一度といわれている大規模な再開発が進み、劇的に生まれ変わろうとしている。そんな渋谷に現れた大きな“町内会”とその“寄合所”=『渋谷のラジオ』。多種多様な文化を生み出す渋谷を、世界に向け発信する役割を担うと同時に、災害時に正確な情報を渋谷区の住人に届ける防災メディアとして、さらに人と人とをつなげ、助け合いを喚起していくというコミュニケーションツールとしての大きな役割も担う。地元・福島県、そして宮城県での復興支援活動の中で、箭内氏が感じたラジオの必要性を、今また声を大にして伝えていく。「個」と「公」がひとつになり、『渋谷のラジオ』は大きなうねりとなって様々な人が交差する、人のエネルギーが溢れる“場所”になる。箭内氏の“仕掛け”の根底にあるのは“愛”。変貌を遂げ、どんな“最先端”が集まっても、渋谷の街に必要なのは人々の“愛”。だからテクノロジーと文化、人が息づく街・渋谷の中心から愛を叫ぶのが『渋谷のラジオ』なのだ。

公式キャラクター「ラジ公」
公式キャラクター「ラジ公」

<Profile>

◆箭内道彦

1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」など数々の広告手がけ話題に。イベントプロデューサー、ミュージシャン…その多岐に渡る活動は常に注目を集める。

◆野宮真貴

ピチカート・ファイヴ三代目ボーカル。渋谷系文化のアイコンとして、日本及び海外の熱狂的な人気を集めた。現在、独創的な存在感と歌声で、音楽に加え、カルチャーやアート、ファッションなど多方面で活躍中。

「渋谷のラジオ」

2016年4月1日本放送開始。渋谷に縁ある豪華アーティストや俳優、文化人と渋谷区住民がパーソナリティとしてラインナップ。周波数:87.6MHz、出力:20W。所在地〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-22-11

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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