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75歳、稀代の革新者ボブ・ディランの”今”。”カヴァーを外した”カバー集に感じる芸術家としての矜持

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
Photo/土居 政則

御大・ボブ・ディランの登場である。ボブ・ディランが75歳の誕生日でもある5月24日の翌日、25日に通算37枚目のアルバム『フォールン・エンジェルズ』をリリースした。4月には約2年ぶりの来日公演を東京・仙台・大阪・名古屋で行い、健在ぶりを見せつけてくれた。

ボブ・ディランには世界中に熱狂的なファン、研究家がいて、もちろん日本にも一家言持っている方がたくさんいて、どんなことを書いても「浅い」と言われそうなので、偉そうなことは書けないが、とにかく『フォールン・エンジェルズ』が素晴らしいので、取り上げたい。

ボブ・ディランという唯一無二の存在

ところで筆者にとってボブ・ディランというと、今から遡ること31年前の1985年8月、日本テレビの夏の恒例番組『24時間テレビ』内でオンエアされた、アフリカ飢餓救済¬のためのプロジェクト「 We Are The World」(USA for AFRICA )のスペシャルメイキング映像で観た、その“存在感”の凄さだった。この映像は今YouTubeで観ることができる。あのMUSIC VIDEOは何度観てもグッとくるが、そのメイキング映像を観た時の感動を今でも忘れられない。「We Are The World」はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーとの共作で、プロデュースはクインシー・ジョーンズだ。「We Are The World」のレコーディングのためスタジオに集まったアーティストたち。レコーディングはコーラス部分からスタートし、ソロパートの録りが始まった。長めのソロを歌うのはレイ・チャールズ、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ジェームズ・イングラムらで、そこにクインシーの発案でボブ・ディランが追加された。

ディラン「独りでやるのかい?僕が?」

クインシー「好きなようにやってくれればいいのさ」

ディラン「キーが合うかな?変えちゃいけないんだろ?」

クインシー「気にしなくていいよ、ボブ・ディランが欲しいんだから」

“ボブ・ディランが欲しいんだから”という大プロデューサーの言葉を、その映像と共に今でもはっきり覚えている。当時43歳だったボブ・ディランの、その圧倒的な個性は、やはり抜きんでているのだ。そしてスティービー・ワンダーがピアノでディランの伴奏を付けながら、ディランよりもディランらしい歌い方で、ボーカルガイドをしているシーンも、どこかおかしくも、鳥肌もののシーンだった。黒い革ジャンを着て、眉間に皺を寄せ不機嫌そうな表情ながら、本番でひと声発すれば、その力強さはまさに圧巻。短い小節でもプロデューサーが望む“ボブ・ディラン”を“見せつけた”。その独特の声と歌い方は唯一無二、そんなことを言えば「We Are The World」に参加しているアーティストはみんなそうかもしれないが、ディランのそれはなんといえない味と説得力を感じさせてくれ、神様・レイ・チャールズと同じく、別格だった。

その日をきっかけに、それまできちんと向き合ったことがなかったボブ・ディランの音楽を、貸しレコード店に通い、貪るように聴いたものだ。

「変化」を続けることはアーティストとして自然なこと。”流行り”と言われた時点で、新鮮さを失い、終息に向かっていっているということだから

ボブ・ディランは1962年にレコードデビュー。その詳細なプロフィールや軌跡は、レコード会社のHPや評論家の方が書いている文章の方が、愛情たっぷり、詳細でわかりやすいので、そちらをチェックしてもらうとして、とにかく今世界で最も重要なアーティストの一人である。若い頃は社会派フォークのヒーロとして人気を集め、かと思ったらロックにいき、と思ったらカントリーをやったり、ゴスペルロックやったり、同じ場所にいない、変化をし続けているところが特長とか凄いとか言われているが、ミュージシャンとして、ごくごく自然なことをしているだけではないだろうか。ヒットしたものは、流行りといわれた時点で新鮮さもなければ、大げさにいうと終息に向かっているともいえる。だからその場所で同じことを続けていても、しばらくはそれでもいいかもしれないが、ディランはそこを安住の地としないイノベーター(革新者)だったということだろう。当然ファンは自分がそのアーティストを好きになった曲と同じようなテイストのものを、歌い続けて欲しいと思うが、ディランはそれを許さなかった。でもそれはクリエイターとしては至って普通のことで、驚かせてなんぼ、自分がカッコいいいと思う事をやり続けてきたからこそ、今も現役バリバリで、最も重要なアーティストとして君臨しているのではないだろうか。これも賛否両論あるし、答えは見つからないと思うけど、最新作『フォールン・エンジェルズ』を聴いて、改めてそう感じた。

「カヴァーされすぎて本質が埋もれてしまった。基本的にそのカヴァーを外す作業だ。本質を墓場から掘り起こして、新たな命を吹き込んだのだ」(ボブ・ディラン)

『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』
『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』

前作の2015年に発売された、アメリカの往年の名曲を歌ったアルバム『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』は全10曲がフランク・シナトラのナンバーのカバー曲で構成されていて、世界中で大絶賛された。この時ディランはこんなコメントを残している。「このアルバムを作ったのは本当に光栄なことだった。こういうものをずっとやりたいと思っていたが、30人編成の複雑なアレンジを5人編成のバンドで行なう勇気を持つことがなかなかできなかった。今作の演奏はすべてそれが鍵になっている。私たちはこれらの曲をこれ以上ないくらい熟知していたから、すべて一発録りで録音した。曲によっては2テイクくらいはかかったが、オーバーダブも施していなければヴォーカル・ブースもヘッドホンも使わず、別々のトラッキングも行なわなかった。そして何よりも、録音されたままの形でミキシングを行なった。自分ではこれらの曲はどう見てもカヴァーとは思っていない。もう十分カヴァーされてきた曲たちだから。というか、カヴァーされすぎて本質が埋もれてしまった。私とバンド・メンバーがやっているのは、基本的にそのカヴァーを外す作業だ。本質を墓場から掘り起こして、新たな命を吹き込んだのだ」――この時ディランが、驚きがあって面白い、かっこいいと思ったものが、シナトラの歌を歌うこと、つまり“アメリカの名曲”に再びスポットライトを当てることだったのだ。それに続くのが『フォールン・エンジェルズ』で、これも「スカイラーク」以外はシナトラの持ち歌だ。

ヒストリーとストーリーが刻まれた”声の皺”が、極上の肌触りを感じさせてくれる圧巻の歌。

『フォールン・エンジェルズ』
『フォールン・エンジェルズ』

原曲のアレンジ通りに歌わないのがボブ・ディランであったのに、この2枚に関してはメロディをきちんと歌い、歌詞の聴き取りやすさは出色だ。元々ビッグバンドで演奏されていた曲を、ダブルギターにベース、スティールペダルギター、パーカッションで演奏しているのだから、歌が際立たないわけがなく、しかもその上手さを改めて知らしめる結果となった。

そしてなんといってもその声だ。人間の顔に刻まれている皺が、その人の人生を表しているとすれば、『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』『フォールン・エンジェルズ』での彼のしゃがれた“声の皺”からも、熱く厚い人生を感じることができる。芳醇で奥深くて、簡単には刻むことができないヒストリーが“声の皺”になっている。そして、その歴史が刻み込まれた声で、自分の血となり肉となり、その音楽人生に彩りを与えたアメリカの大地と文化とが生んだスタンダードナンバーを歌う。後世に残さなければいけない名曲達を、きちんと歌い継いでいくというシンガーとしての“使命”を今、全うしようとしているのではないだろうか。

そう思わずにはいられないほど『フォールン・エンジェルズ』には、ボブ・ディランの芸術家としての矜持、存在感を隅々にまで感じる。それは彼が近年、民間人への勲位としては全米最高位にあたる“大統領自由憲章"を受賞したり、「たぐいまれな詩の力を持つ叙情的な楽曲を特徴とする、ポピュラー・ミュージックとアメリカ文化における重大な影響」を讃えられ、ピューリッツァー賞の特別賞が授与されたり、また2013年にはレジオン・ドヌール勲章(フランスの最高勲位)を受勲し、そんなことも少なからず影響しているのかなと邪推してしまうが、それもきっと違うのだろう。今はそれがやりたいだけ――きっとそうなのだと思う。

ボブ・ディランという世界の至宝の”存在感”に触れるべき

『DYLAN Revisited~ALL Time Best~』
『DYLAN Revisited~ALL Time Best~』

『フォールン・エンジェルズ』を聴いて、またボブ・ディランを貪るように聴いてみようかと思っていたら、4月に来日した時の記念盤として『DYLAN Revisited~ALL Time Best~』(4月13日)という5枚組の日本独自のベスト盤が発売されていた。なんともいいタイミング。選曲と解説は、アメリカンミュージックをこよなく愛する音楽評論家・萩原健太氏で、その解説を読んでいるだけでも面白い。萩原氏は『フォールン・エンジェルズ』の方の解説も手がけ、こちらにはボブ・ディラン研究家・菅野ヘッケル氏の解説も加わり、納得の満足度。今までボブ・ディランをあまり聴いてこなかったという人にも、彼の音楽と人間性に触れるいい機会だと思う。ファン人はさらにハマってもらい、初心者の人は一度は聴き込んでみるべきだ、世界の至宝・ボブ・ディランという男の音楽とメッセージを。

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<Profile>

1941年、アメリカ・ミネソタ州に生まれ。大学を中退してニューヨークに向かい、カフェでフォーク・ソングを歌い始める。プロデューサーのジョン・ハモンドの目に留まり、'62年にレコードデビュー。他のアーティストが取り上げた「風に吹かれて」のヒットにより、まずはソングライターとして知られるようになる。公民権運動やベトナム戦争で揺れるアメリカにおいて、彼の歌はプロテストソングとして若者から支持を得ていき、やがてロックの要素を取り入れ表現の幅を拡げていった彼は、ビートルズと並ぶ影響力と人気を得るに至る。定型に押し込められる事を極端に嫌う彼は、カントリーに接近したり、映画、フェスティバルやライブに出演、キリスト教に傾倒した時期もあったりと話題に事欠かない’60年代、'70年代を過ごしたが、この時期には数多くの名作アルバムも残した。'80年代末から開始したツアーは現在も続き、'97年には新作がグラミー最優秀アルバム賞に選出されるなど長きに渡って活躍。未だに話題多き、ポピュラー音楽界の最も重要なアーティストの1人。

ボブ・ディラン『フォールン・エンジェルズ』スペシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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