Yahoo!ニュース

東京で”島時間”を感じることができるフェス『奄美音楽祭2016』元ちとせに聞く”音楽の島”奄美の魅力

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
奄美大島・大和村の海岸からの美しい夕景
画像

今から14年前の2002年1月、東京・渋谷クラブクアトロで『夜ネヤ島ンチュリスペクチュ』というイベントが行われた。“今宵は島人に敬意を!!”という意味のこのイベントは、島外で暮らす奄美大島の島人(しまんちゅ)のアイデンティティを、そして脈々と受け継がれている島人の熱いエネルギーを再確認する場となり、奄美出身のミュージシャンが多数出演した。メジャーデビューを控えた元ちとせもそこにいた。

14年後、今度は奄美の素晴らしさを、もっと多くの人に知ってもらうために、再び奄美出身のアーティストが集結し『奄美音楽祭2016』(8月20日(土)/かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール)を開催する。元ちとせ、中孝介、カサリンチュ、そして奄美をこよなく愛するNAOTOの4組が共演。“懐かしくて、この夏、もっとも優しいフェスティバル”と銘打たれたこのフェスへの想いを、中心的存在の元ちとせにインタビューした。

――『奄美音楽祭2016』をやるという話を聞いて、まず想ったことを教えて下さい。

画像

元 中孝介、カサリンチュ、NAOTOさんとのチームワークで、どういう風に見せていき、自分はステージに立つのかを考えました。2002年に開催された今回のフェスの源流というべきイベント『夜ネヤ島ンチュリスペクチュ』は、奄美大島の人達が、自分達のアイデンティティを再確認するためという側面が大きく、その時は東京とその近郊在住の奄美出身の人は集まってきましたが、それ以外の人はあまり参加しなかったと思います。当時は奄美の人も、自分が奄美出身ということが言えなかったんです。ちょっと恥ずかしいという想いがあることと、「奄美ってどこ?」と言われて、説明するのが面倒くさかったそうです。でも私は全然そういうことを考えたことがなくて、デビューが決まって東京に出てきてから、奄美の人がそういう風に思っているということを知って、それで、島の人達が堂々と奄美大島出身だと言える土台を作ろうと開催したのが『夜ネヤ島ンチュリスペクチュ』でした。あれから14年経って、今回はまだ奄美の事を知らない人達に、もっと奄美のことを知ってもらいたいという大きなコンセプトができたので、今までとは違う形で歌を届けたいです。

――中さん、カサリンチュさんという奄美の後輩と、NAOTOさんというラインナップです。

中孝介
中孝介

元 カサリンチュは奄美大島の中でも北の方の、笠利(かさり)という地区の育ちで、中君は中心地・名瀬市出身で、シティボーイと自分で言っていますが(笑)、私は南の方(瀬戸内町)で育ち、全然文化が違うんです。同じ奄美出身ではあるのですが、カサンリンチュの歌を聴いて笠利のことを知ったり、北の風を感じたりしました。中君はシマ唄を受け継いでくれた後輩なので、シマ唄に関してはライバル心もありますし、やっぱり奄美の血がみんな流れてるんだなということが確認できます。カサリンチュはシマ唄を歌っていませんが、二人の地元・笠利には昔から続いているお祭りが残っていて、私の周りではそういうお祭りもだんだんなくなってきているので、伝統的なものが残っている地域で生活しているのは羨ましいです。彼らが書く歌詞も、自分が知らなかったことを教えてくれます。NAOTOさんは中君のバンドでバイオリンを弾いていて、奄美を愛してくれていますので、そういう意味では、今回の会場になっている「かつしかシンフォニーヒルズ」というクラシックのコンサートが行われているホールで、私達の歌と凛とした空気の会場をつないでくれる存在になってくれると思っています。

奄美大島は大きい。当たり前だが北と南では訛りも文化も違う。シマ唄も違う。共通しているのは青く澄み切った海、雄大な自然、心地いい風、そして豊かな人情――。そんな奄美の心地よさは、奄美出身のアーティストが歌う歌にも感じることができる。元ちとせ、中孝介、カサリンチュ。島の人々のソウルミュージック・シマ唄の歌い手の元と中、寄せては返す波のリズムを感じさせてくれるカサンリンチュの音楽、共通しているところは、彼らが一声発した瞬間、そこには奄美の風が吹き、風景が広がることだ。

――シマ唄って島の唄の事でもありつつ、シマ=自分達が住んでいるところの唄、という意味ですよね。

カサリンチュ(左:タツヒロ,右:コウスケ)
カサリンチュ(左:タツヒロ,右:コウスケ)

元 そうです、シマ唄=縄張りの唄のことです。いわゆるアイランドソングの意味もありますが、自分達の集落の唄のことです。中君は島の中心部の出身ですが、私が歌う南の方のシマ唄を受け継いでくれていますが、やっぱり北の方の唄はこう歌うよね、というやりとりができるので、そういう姿を見て奄美の人間としてのアイデンティティを再確認できます。

――カサリンチュの音楽はそのリズムが体の深いところから出てきているようで、独特のポップスを歌っていると思います。

元 そうですね、波の音のリズム感があると思います。街出身の中君にはないリズムです(笑)。

――奄美大島のそれぞれの地区の代表が共演する感じですね。

元 シマ唄もそうですけど、私が住んでいる南の方も、色々な音楽をやっている人はいますが、カサリンチュのようなビートを持っている人は出てこないです。それと北と南ではシマ唄は、同じ曲でも全然違うんです。北の笠利ではゆっくり丁寧に歌うのですが、南はお祭り騒ぎのような感じなんです。こうして歌を歌っていなければ、カサリンチュと知り合うことはなかったと思います。それくらい島は広いんです。彼らとの交流がきっかけで笠利の人達とも交流が始まりました。

――元さんは小さい頃からシマ唄を聴いて育ったんですよね。

元ちとせが生まれ育った瀬戸内町
元ちとせが生まれ育った瀬戸内町

元 そうです。私の生まれ育ったところは、山、川、海があって、とにかく自然が豊かで。学校は全校生徒4人で、小さい頃私は保育園も幼稚園も行かずに、ずっと畑で、おばあちゃんが働いているそばで遊んでいて、おばあちゃんたちが歌うシマ唄が心地よかったのを覚えています。私がシマ唄の練習をしていると、唄を聴いているおばあちゃんが泣いていて、それを見てシマ唄の魅力って何だろうと思い始め、どんどんハマっていきました。テレビもラジオもない環境だったのも良かったのだと思います。

――今回の「奄美音楽祭」は、島外で生活している奄美の人はもちろん、奄美に行ったことがない、よく知らないという人にも来て欲しいですよね。

NAOTO
NAOTO

元 そうですね。自然はもちろんですが、島の良さはやっぱり“人”、人の良さなので、人と人との交流がもっと深くなっていけばいいなと思います。いい意味でエネルギーの交換ができれば。自分達も島の外で刺激を受け、都会の人達が島に何かをパワーを届けてくれて、その交換ができたらいいなと思います。

――まずは『奄美音楽祭』第1回目、色々とやりたいことがあるとは思いますが、特にここに注目して欲しいというポイントを教えて下さい。

元 1回目なので、まずは自分達の音を届けることを大事にしたいです。2回目、3回目と続けられるようでしたら、1回目の反省点を活かしながら色々な事を考え、みせていきたいです。まずは”島の音”を届けることが大切だと思っています。

奄美の美しい自然と、島人のどこまでも優しく温かなココロを、東京にいながらにして、耳と肌とそして心で感じることができる場所が『奄美音楽祭2016』だ。奄美出身の3組に、奄美の音楽をより感動的に伝える弦=バイオリンの名手・NAOTOが加わり、4組が熱くもさわやかな奄美の風を吹かせてくれる。この日だけは島時間に身も心も委ね、ゆったりと奄美を感じたい。

『奄美音楽祭2016』オフィシャルサイト

画像

<Profile>

はじめ・ちとせ。1979年1月5日生まれ、鹿児島県奄美大島出身。高校3年で「奄美民謡大賞」の「民謡大賞」を史上最年少で受賞。2002年シングル「ワダツミの木」でメジャーデビュー。ロングヒットになり、リリースから2か月後にシングルランキングの1位を獲得。同年7月リリースのファーストアルバム『ハイヌミカゼ』は2週連続1位を記録しロングセースルに。その後も作品のリリース、ライヴ、イベント・フェスへの出演を積極的に行い、2012年10月にはデビュー10周年にして自身初となるベストアルバム『語り継ぐこと』をリリース。

戦後70年となる2015年7月、平和への思いを込めたアルバム『平和元年』をリリース。新曲「君の名前を呼ぶ」が、映画『ゆずの葉ゆれて』(8月20日公開)の主題歌に起用されている。来年デビュー15周年を迎える。

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

田中久勝の最近の記事