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日本語がわからない子ども、全国に37,000人―子どもたちが今、失い続けているものとは

田中宝紀NPO法人青少年自立援助センター定住外国人支援事業部責任者
日本語がわからず、子どもでもある彼らの「声」は小さい(写真:アフロ)

氷山の一角か・・・あいまいな「日本語指導が必要」の判断基準

文部科学省が毎年実施している「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査」(平成26年度版)によると、全国の公立小、中、高校および特別支援学校に在籍しているものの、日本語が理解できない児童生徒の数は37,000人に上っています。10年前と比べると、約15,000人の増加です。ただ、この調査であがってくる「日本語指導が必要な子ども」の基準は明確ではなく、「学校の先生が必要だと判断したから」という理由でカウントされたり、されなかったりしており、実態を正確に反映している物ではない点で注意が必要です。(アセスメントツールを利用している地域もありますが、限定的です)

現場の実感値では、特にこうした日本語が母語でない子どもたちの支援を行っていたり、あるいは大学や講習等で学んだことがあるか、自らが海外で長期に滞在するような経験がない限りは、学校の先生を含め、一般的には「子どもだから、日本語は耳で聞いてすぐ覚えることができる」という正確ではない認識が広まっており、「日本語がわからない」という状態を過小評価しがちです。授業中には着席し、トイレは休み時間にすませ、教室移動もほかの生徒の後についてできるようになり、声をかければ「ダイジョウブ」と返ってくる・・・

極端に言えば、このようになんとなく学校生活についていけるようになった時点で、「日本語指導はいらない。そのうち話せるようになるだろう」とデータから外される可能性すらあり、37,000人を大きく超えて、日本語教育機会を必要とする子どもたちが存在しているのではないかとみられています。

最初はアイドルだったけど・・・

外国にルーツを持つ子どもが新たに来日し、学校へ転入した直後は、学校側もある程度「準備」ができていて、自治体によっては母語のわかる支援者や日本語を教える担当者が週に何時間か、その子をクラスの授業から抜き出してサポートしてくれます。(一般に”取り出し”と呼ばれる支援形態です)

クラス内では、少し英語が得意な日本人の子どもや、面倒見の良い子どもなどが「お世話役」として任命されていたり、もの珍しさからまわりのクラスメートもちょっとした国際交流気分でその子を囲みアイドル状態となったり、と、比較的スムーズなスタートがきれることも珍しくありません。

しかし、自治体や学校が用意できる支援時間数には限りがあります。(概ね32時間~120時間前後)お世話役だった子どもにとっても、言葉の通じない外国にルーツを持つ転入生だけと行動を共にし続けるのは、現実的には難しいところで、まわりの子どもたちの「飽き」が重なれば、潮が引くように転入からわずか数か月で外国にルーツを持つ子どもは孤立します。

先生側にも、「子どもだからすぐ覚える」という期待値の高さと比べると、なかなか向上しないその子の日本語能力に戸惑いが生じますが、自治体によっては、この段階でその子が活用できる支援時間はほとんどない(あるいは最初からまったくなかった)、という事が十分に起こり得ます。他の子どもも手のかかる中で、先生にとっても負担感を感じやすい状況となり、教室に毎日やってくるその子どもに、どうしてあげたら良いのかわからないまま、結果として放置に近い状態となってしまうケースも少なくありません。これは担任の先生の力量を大きく超えた制度上の課題と言えます。

言葉がわからないことで失うもの

子どもたちは学校で毎日「新しいこと」を学んでいます。学校に通う日本語を母語としない子どもにとって、日本語学習の機会がないということは、単純に言葉がわかる・わからないを超え、新しい知識を学び習得し、基礎的な学力を身に着ける機会がない、ということです。

一般的には、母語でない外国語(ここでは日本語)の日常会話(生活言語)の習得には1年~2年程度が必要である、と言われています。そして、学校の勉強や物事を頭の中で考える、思考するための言葉や抽象的な概念を獲得するために必要な「学習言語」の習得には、さらに5年から7年もの歳月を要します。

例えば小学校5年生で来日した子どもであれば、周りの友達や先生と十分なコミュニケーションを日本語でとれるようになった時点で、すでに中学1年生になっています。その後、ようやく学校の勉強についていくことができるようになったかどうか、という時には、高校受験をとうに過ぎてしまっている状況です。もしこの間に適切な支援につながらなければ、小学校5年生以降に登場した新たな学習内容はほとんど身についていない事になってしまいます。

いうなれば、こうした子どもたちは、基礎教育機会を手に入れるために「動く的(まと)を追いかける」ような状態なのです。そしてその動く的を追いかけるために、自らが全速力で走り続けることはほぼ不可能のため、「馬」や「車」など、何らかその速度を加速させるような支援体制の整備が急務です。

10才以上の子どもであれば、日本語の文法などを日本語教育の専門家の下で体系的に学ぶことが、その子にとっての馬脚や車輪となります。もっと幼い子どもについては、異なるアプローチになりますが、日本語と同時に母語の育成にも注意が必要です。

(母語の力が、馬や車が走るための「ガソリン」のような役割を果たすケースが多く見られます)

日本社会の一翼を担う子どもたちのために

一刻も早く適切な日本語教育機会を、必要とする子どもたちに保障することの必要性は高く、放置すれば、50%前後とみられる高校進学率が示す通り、子ども自身の将来に負の連鎖を生むだけでなく、日本社会にとっての影響も小さくはありません。現在、政府がようやく旗を掲げたところですが、公的な支援体制が十分に整備されるまでにはまだまだ長い時間を要すると見られています。

しかしこの日本社会の中で、当事者である子どもや外国人保護者が声を上げることは、日本語の壁を含めて何重にも難しい状況です。私たち1人1人が積極的に外国にルーツを持つ子どもたちとその家族の現状や困難を知り、そして声にすることで、こうした子どもたちの現状を変える力になることが求められています。

NPO法人青少年自立援助センター定住外国人支援事業部責任者

1979年東京都生まれ。16才で単身フィリピンのハイスクールに留学。 フィリピンの子ども支援NGOを経て、2010年より現職。「多様性が豊かさとなる未来」を目指して、海外にルーツを持つ子どもたちの専門的日本語教育を支援する『YSCグローバル・スクール』を運営する他、日本語を母語としない若者の自立就労支援に取り組む。 日本語や文化の壁、いじめ、貧困など海外ルーツの子どもや若者が直面する課題を社会化するために、積極的な情報発信を行っている。2021年:文科省中教審初等中等分科会臨時委員/外国人学校の保健衛生環境に係る有識者会議委員。

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