代弁できないから「マスゴミ」になる

■現実社会のあり方を代弁しない「ゴミ」

最近注目されるカジノ法案報道などを見ていると、ギャンブル依存症を問題視するのであれば、カジノよりもまずはパチンコだろうと僕は思うのだが、当初の報道にはパチンコとギャンブルを直接結びつけるものは少なく、識者のコメントの一部に見られる程度だった(カジノ解禁IR法案成立へ ギャンブル依存症の境目は)。

ただ、あの2ちゃんねる創始者のひろゆき氏は別で、はじめの頃からカジノ法案などは飛ばしてパチンコ業界を直撃し揶揄する記事を連発した(HOME>社会> 警察・政治家もズブズブ! ひろゆきらが語る、日本からパチンコがなくならないワケ「パチンコは国力を低下させている」 ひろゆきらが語る、年間20兆円を生む業界の闇と、そこからの脱却方法)。

ひろゆき氏はおそらくセレブなので必死にマスコミ業界にぶら下がる必要もないため、スポンサー的にマスコミが深く掘り下げることができないネタなど関係ないかもしれない。だから普通の庶民感覚でパチンコ業界を直撃するのだろうが、そのこと自体が、マスコミが現実にはマス・コミュニケーションでもなくジャーナリズムでないという事実を浮かび上がらせる。

僕は長らくひきこもり・ニート支援を行なってきたが、そのうち男性当事者の多くが2ちゃんねる利用者だった。普通言われように2ちゃんねらーは別に右翼でもなく普通の心優しいヒューマニストのおにいちゃんたちなのだが、いずれもアンチリベラルであり、アンチ左翼だった。

それは言い換えると、アンチ・マスコミということであり、そのマスコミ不信ぶりは、マスコミではなく「マスゴミ」という呼び名に尽きる。

マスコミは、社会から抑圧される存在にされた若者たちにとって、現実社会のあり方を決して代弁していないようにみえる「ゴミ」なのである。

■下流層は単純に「たたく」

カジノ法案だけではなく、この宮台真司氏のインタビューなどを読んでいると(「◯活」が流行する背景に人々の巨大な勘違いがあることを指摘しました)、2ちゃんねらーがマスコミやリベラリスト(宮台氏は本人の自覚とは別にその代表だろう)を嫌う理由がよくわかる。

それらはなんとなく、ピントがズレているのだ。

ピントのズレ方は一読しただけではわからない。いつもの宮台節だなあと僕はますますファンにファンになるのであるが(そう、僕は宮台ファン)、なんとなく、「あれ、なにかが足りないぞ」と思い始める。

そう、引用インタビューには「階層社会」への言及がほとんどない。宮台氏が批判するのはそれは当然日本の中流階層に対してであって、下流階層ではおそらくないだろう。

それは、中流階層が8割を占めていた90年代半ば頃までは非常に説得力ある議論だった。日本社会とはこうであるという断定は、日本の中流層はこうであるという議論とほぼ同義であり、中流階層の「堕落」批評の得意な宮台氏のような人の独壇場だった。

が、いまや4割が下流層であり、彼ら彼女らは単純にエグザイルやワンピースが好きであり(ヤンキーは「海賊王」がすき~階層社会の『ワンピース』)、自分よりちょっと「下」の者たちをたたく(ブルーハーツ「トレイン・トレイン」)。

中流層は「堕落」するが、下流層は単純に「たたく」。そのリアリティーを、宮台氏や従来のマスコミ的感性ではキャッチできないようだ。

■「無意識の存在抹消」パフォーマンス

ひきこもり・ニート層の源泉は中流層にある。彼ら彼女らの親たちは中流層であることが多い。が、現在のひきこもり・ニート層の多くは、下流層(のおそらく上のほう←生活保護世帯は少ないという意味で)に属する。

社会学者の古市憲寿氏の言うような「絶望社会内での幸福な生活」を送っているように映りながらも、日々、社会の中心層に対してルサンチマン(価値転倒に基づいた怨恨)を抱く。

そのルサンチマンが、現在の下流層を無視するマスコミ(アカデミズムやNPO等も広義には含む)を敵視し、「マスゴミ」とラベリングする。

そのラベリングは滑稽だ。

が、みなさんも実際に現在のマスコミの現場にいる、特に権力を握る記者やディレクターたちと会えば、そのルサンチマンの意味がわかるかもしれない。

実際に上流階層出身であることが多い彼ら彼女らは、時々的はずれな質問をしてくることがある。その具体的発言までは僕も生活があるので書けないけれども、まあピントはずれではある。聞けば、彼ら彼女らの出身は有名富裕地域で、出身大学は東京の有名大学であることが普通だ。

身も蓋もない現実ではある。が、その身も蓋のなさが、下流にいるものの「ことば」をもつ人々、たとえば2ちゃんねらーたちをしてマスコミを「マスゴミ」と呼んでしまう。初期大江健三郎的な四国の片田舎で少年時代を過ごした僕とすれば、その感覚のズレはよくわかる。

自分の立場からは見えない対象を黙殺し封印し存在を消す。その「無意識の存在抹消」パフォーマンスが、抹消される側にとっては絶望的ディス・コミュニケーションとなる。それがたとえば「マスゴミ」という反抗の言葉となる。★