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猛暑の記憶

田中良紹ジャーナリスト

日本列島は記録的な猛暑である。8月12日に高知県四万十市で観測史上最高の41度を記録した。それまでは2007年8月16日に埼玉県熊谷市と愛知県多治見市で記録した40.9度が最高で、今年は6年ぶりの猛暑という事になる。

安倍総理は猛暑の東京を避け、山梨県の別荘でゴルフ三昧の夏休みを送ったが、6年前は猛暑の中で苦悶していた。7月29日に行われた参議院選挙で自民党が歴史的大敗を喫したからである。自民党は選挙前の64議席を37議席に減らし、32議席を60議席に増やした民主党に参議院第一党の座を譲り、国会は衆参ねじれの状態となった。

自民党結党以来、参議院選挙に敗れた総理は宇野宗佑氏と橋本龍太郎氏の二人だけだったが、二人とも責任を取って直ちに総理を辞任した。ところが安倍総理は参議院選挙を政権選択の選挙ではないという理由で続投を表明する。しかし選挙で安倍総理は「私を選ぶか、民主党の小沢さんを選ぶのかの選挙だ」と国民に訴えていたのである。

おそらく安倍総理は惨敗の原因を自らの責任ではなく小泉構造改革に対する国民の不満のせいだと考え、小泉路線からの脱却を図るために続投を表明したのではないかと思う。しかし自民党はこの未熟な総理に見切りをつけていた。とはいえ公然と最高権力者の足を引っ張る訳にはいかない。自ら退陣するように首を絞める作業が開始された。

安倍総理が国際公約したテロ特措法に民主党が反対すれば、ねじれ国会では成立に90日以上の時間を確保しなければならない。11月1日に期限の切れるテロ特措法を継続するには8月中に国会を開き、衆議院で可決しておく必要があった。

ところが月内召集を指示した安倍総理に対し、中川秀直幹事長、二階俊博国対委員長らが抵抗した。8月8日には月内召集の見送りが固まる。その時点で安倍総理は国際公約に違反し海上自衛隊にインド洋からの撤退を命令する総理になることが確定した。一方メディアには「内閣改造の身体検査には時間がかかるものだ」という解説が流され、そうした事情が見えないようカムフラージュされた。

同じ8日に訪米中の小池百合子防衛大臣が急遽チェイニー副大統領と会談するというおまけがつく。防衛大臣がカウンターパートの国防長官より格上の副大統領と会談するのは極めて異例である。安倍総理に代わる候補として小池大臣をアメリカにお披露目させているように見える。おそらく小泉前総理が裏で演出したのではないかと思われた。

そして公明党の北側一雄幹事長もこの日に集団的自衛権の容認に反対する意思を明確にして安倍総理に打撃を与えた。続投を表明してから10日後に安倍総理の首は絞まり始めたのである。猛暑の中で悶々としながら安倍総理は27日に党役員人事と内閣改造を行い、麻生太郎氏を幹事長に据え、麻生幹事長が小泉政治を批判して小泉離れを鮮明にした。しかし9月に入り国会が召集されると退陣せざるを得ないところにまで追い込まれていた。

今年の夏は同じ猛暑でも安倍総理には真逆である。7月の参議院選挙で自民党は34議席を65議席に増やし、民主党は44議席を17議席に減らした。衆参のねじれは解消し、安倍総理は国民から白紙委任状を得ることが出来た。まさに地獄から天国に上った心地ではないか。

するとその違いが8月15日に行われた全国戦没者追悼式の式辞に象徴的に現れる。6年前の8月15日、苦悶の中にある安倍総理は次のような式辞を述べた。「我が国は、多くの国々、とりわけアジア各国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して深い反省と共に、犠牲となった方々に、謹んで哀悼の意を表します。(中略)我が国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し、世界各国との友好関係を一層発展させ、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していく事を誓います」。

それが今年の式辞にはない。その部分は「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」に変わった。アジアに対する「加害責任」も、「深い反省」も、「不戦の誓い」も式辞から消えた。

8月20日、ドイツのメルケル首相はナチス時代の強制収容所を訪れ、「深い悲しみと恥ずかしさを感じる」と述べて過去の歴史を反省し、そのうえで「通貨を共有する国は戦争しない」とヨーロッパの統一を呼びかける演説を行った。第二次大戦の敗戦国として同じ立場にあった日本とドイツは、戦後アメリカの従属下に置かれたが、冷戦が終わった頃から異なる進路を歩むようになった。

ドイツは過去の歴史を反省し、周辺国との連携を促進して地域共同体を作り、ドルの支配から逃れるように統一通貨ユーロを作りその中心に位置するようになった。一方の日本は冷戦構造を巧みに利用して格差の少ない経済大国を実現したが、冷戦後はアメリカの論理に屈してさらなる従属下に置かれ、周辺諸国との関係を悪化させている。その関係悪化がさらにアメリカ依存を強めさせる悪循環を生む。それは「一億総中流」だった日本が先進国の中で最も格差が大きく、貧困化率の高いアメリカに近づく事を意味する。

そのアメリカ化を促すTPP交渉がいよいよ山場を迎える。しかし自民大勝の選挙結果は日本の交渉力を弱めさせる結果を生む。かつての自民党は決して野党の存在感を弱めさせることをしなかった。野党の存在を理由にアメリカを揺さぶる交渉力を発揮した。それがなくなった今、しかも周辺諸国との関係悪化でアメリカ依存を強めざるを得なくなっている今、アメリカと対等に渡り合える力はそれだけ失われている。

権力者は絶頂期に墓穴を掘ると言うが、8月15日の安倍総理の二つの式辞と8月20日のメルケル首相の演説を重ね合わせると、冷戦後を生き抜く日本の国家戦略に大いなる疑問を感じてしまうのである。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:3月31日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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