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英米の「接ぎ木」が日本の民主主義をおかしくする

田中良紹ジャーナリスト

明治以来、日本人は「欧米に追いつき追い越せ」との意識を強く植え付けられてきた。近代化に遅れた日本が国際社会で生きるためにはそれが最優先の課題だったからである。しかし今や日本は欧米に劣らぬ先進国の一員である。それでも日本人は今でも欧米モデルに追い付くことが「進歩」だと思い込まされている。

明治の日本人は追いつくべき対象として「欧米」をひとつと考えたが、「欧」と「米」とはそれぞれ異なる国家原理に立っている。「欧」からの移民で作られた「米」が民族的に近い事は確かだが、真逆の国家原理を持つ事もまた確かである。ところがそれを認識する日本人が少ない。その認識の欠如に付け込んで政府はしばしば「欧米先進国」という言葉を国民を騙す道具に使う。

例えば、法人税について政府は「欧米並みに下げるべき」と言うが、しかし「欧」と「米」の法人税は同レベルでない。日本の現行法人税は確かに「欧」より高いが「米」よりは低い。それでも「欧米並みに」と言われると、日本人はなんとなく「下げる」ことが先進国と肩を並べる事のように錯覚するのである。

福田康夫政権では道路特定財源の暫定税率廃止問題で同じことがあった。政府は「日本のガソリン税は先進国と比べて高くない」と主張して廃止を認めず、OECD各国の税率と比較したが、その中にアメリカは含まれていない。そもそも福祉国家という「大きな政府」を目指す「欧」と、福祉を悪と考え「小さな政府」を目指す「米」の税制は大きく異なる。政府は明治以来植え付けられた日本人の意識を利用して「先進国」を使い分け、都合良く誘導しているのである。

この「欧」と「米」との違いを認識しない事が、日本の民主主義をおかしくする最大要因だと私は思う。それがしばしば「政治とカネ」の問題となって日本の政治を麻痺させる。発展途上国ならいざ知らず先進国でこれほど「政治とカネ」の問題が頻発する国も珍しいが、日本の民主主義を疑わせる原因はそこにあると思う。

安倍総理は自らが任命した閣僚の「政治とカネ」の問題に対し、「これは民主主義のコストをどうするかという問題だ」と国会で答弁した。「政治とカネ」を民主主義の基本問題とすることで、政治の世界全体が責任を負うようにし、自らの任命責任を免れようとする意図だろうが、そう開き直るのならそれはそれでけじめをつけてもらいたいと私は思う。

国際社会は日本の政治をイギリスと同様の立憲君主制とみている。そして日本の政治はイギリスと同じ議院内閣制である。そのため日本の政治は限りなく「英」に近いと考えられるが、戦後アメリカに占領された事からアメリカの影響を強く受け、「米」との「接ぎ木」が強いられた。

アメリカの占領政策は日本の天皇制を存続させる事で、永続的に日本をアメリカの支配下に置く事を目指し、税制、教育制度、警察制度など多くの仕組みをアメリカ流に変えた。戦後作られた国会もイギリス型の本会議中心主義からアメリカ型の委員会中心主義に変えられた。イギリスと同じ議院内閣制を持つ国が議会制度はアメリカ型になったのである。

この「英」と「米」との「接ぎ木」は、良い所を接着できれば花も咲くのだろうが、アメリカは世襲の君主を認めない大統領制の国である。政治の仕組みと考え方は水と油と言っても良い。無理な「接ぎ木」では花が咲くどころか逆効果になる。私には残念ながらこの「接ぎ木」が日本の民主主義を混乱させているようにしか思えない。

例えば、アメリカ民主主義の原点は町のタウン・ホールに住民が集まり議論するところから始まる。その住民の代表を国政に送り込む選挙では、選ばれるのは代表にふさわしい資質の人物である。そのため候補者の過去の実績や物事への対応能力が試される。候補者が自らをアピールするために集める選挙資金の金額は重要な資質の証明とみなされる。そして選挙で選ばれた政治家には選挙民への利益誘導が大きな仕事となる。

一方、イギリスは個人ではなく政党の政策を選ぶのが選挙である。そのため政党はマニフェストを作り、選挙で政策を競い合う。候補者を選ぶ選挙でないため、候補者は自分を売り込む必要がない。マニフェストを配るだけで事務所もポスターも街宣車も要らない。そのため選挙に金はかからず、地縁、血縁も関係ない。その代り候補者は政党の命令に従わなければならない。当選すれば党議拘束に縛られる。一方のアメリカに党議拘束はない。選挙民が支持すれば所属政党と異なる行動を取る事も自由である。

この「英」と「米」とを「接ぎ木」した日本はどうなったか。ポスターとタスキと街宣車で名前を覚えてもらうのが公職選挙法で認められた選挙である。「米」と同じく個人を選ぶ選挙であり、そのためには金がかかるが、「米」と異なり国民には選挙に金をかける事を民主主義に反すると考える風潮がある。すると金をかけないためとの口実で選挙期間が短縮され、新人候補には不利、現職有利の仕組みになった。

そして日本には「英米」とは異なる独特の仕組みもあった。中選挙区制を採用し、38年間も政権交代のない政治を実現させた。その結果、万年与党の自民党の中に派閥が生まれ、派閥同士が熾烈な選挙戦を戦った。同じ政党の候補者同士に政策の競い合いはない。地縁と血縁とサービス合戦が何よりも重要となったのが日本流の民主主義だった。

その弊害が指摘されるようになると、日本が目指したのは「英」の民主主義である。中選挙区制を小選挙区制に改め、政党がマニフェストを作って選挙の主体となり、政策を競い合う事にした。「米」にはなく「英」で認められている政党助成金制度も採用され、国民の税金が政党に投入された。

ところが日本は全面的に「英」の原理を採用せず、「米」との「接ぎ木」をその後も続けた。選挙はマニフェストを配るだけの「英」と異なり、ポスターとタスキと街宣車で個人名を訴える。だから選挙にはアメリカほどではないが金がかかる。しかし金のかかる政治はけしからんという風潮はアメリカと違って強い。

すると政党助成金に抜け道が作られた。政党支部を作って政治家個人が金を受け取れるようになる。一方で政治家は地元で政党のマニフェストと異なる事を発言してもとがめられず、それなのに国会の採決では厳しく党議拘束に縛られる。

この何が何だか分からない状態を整理しないと、「日本は民主主義だ」と胸を張って言う事など出来ないと思うが、それを誰も指摘しないし発言もしない。そうした中で安倍政権の閣僚が抜け道を使った資金集めをしている実態が明らかになった。それを安倍総理は「民主主義の基本にかかわる問題」との認識を示して抜本的な議論を求めた。

その意図がどうであれ、これは誠にこの国の戦後の在り方に関わる問題である。これこそが「戦後70年」の節目の年に「戦後以来の大改革」として取り上げるにふさわしいテーマである。そして安倍政権が日本の民主主義に関わる大改革に取り組めば、それを「70年談話」に盛り込むことができる。それこそが安倍総理の国会答弁が指し示す日本の未来像だと思うが、この私の考えご理解いただけるだろうか。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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