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安倍政治の断末魔が始まる

田中良紹ジャーナリスト

安保法案で「戦後日本の安全保障政策を大転換させる」と豪語していた安倍総理は、法案成立後に胸を張って国民の前に出てくることをしない。内心では胸を張っているのかもしれないが、しかし国民の前でそれを表現することが出来ない。

19日未明に安保法案を成立させた直後に安倍総理は記者団を前に、「国民の命と平和を守り抜くために必要な法制で戦争を未然に防ぐもの」と短い声明を発表したが、最後に「まだこれから粘り強く説明を尽くしていく」と課題が残されている事を認めた。

その後は産経新聞と日本テレビのインタビューに応じただけで他のメディアの取材に応じず、山梨県の別荘にこもって連日ゴルフを行い、22日に祖父岸信介元総理と父安倍晋太郎元外務大臣の墓参りをした際にようやく報道各社のインタビューに応じた。

そこで安倍総理は今後の政権課題を「強い経済を作るために全力を挙げる」と強調した。「60年安保闘争」で危機に瀕した自民党の支持を回復させたのが池田内閣の「所得倍増計画」であった事から、国民の目を「安保」から「経済」に移せば、危機を乗り切れると考えているようだ。

では安保法案の「粘り強い説明」と、「経済に全力を挙げる」ことで安倍政権は危機を乗り切ることが出来るだろうか。私は否定的である。安保法案の成立過程が綱渡り的であったように、これからの政権運営はさらなる綱渡りを強いられると思う。

本来、安保法案の成立は万全で安倍総理は「歴史的大転換を図った」と大見得を切れる筈であった。なぜなら三度の選挙に勝利して、衆議院では公明党と合せて三分の二を超える議席を、参議院でも過半数を超える議席を有して「ねじれ」はない。

さらに野党にも「応援団」がいて平沼赳夫氏の「次世代の党」や「維新」の橋下徹氏とは気脈を通じている。しかも法案は米国の要求に応えるものであるから米国が全面的に協力してくれる。安倍政権にとって綱渡り的な政権運営など念頭にあるはずはなかった。

法案について憲法改正を行わずに集団的自衛権を認める「解釈変更」は、内閣法制局と公明党が主導して作り上げた。集団的自衛権をあたかも個別的自衛権の枠内で行う理屈の創出である。その理屈さえ押し通せばそれで良かった。

ところが国会審議が始まる前に米国議会で成立の時期を約束するという、どこの国の総理か分からない事をやったところからシナリオは狂い始める。まるで国会と国民を無視する安倍総理の所業は「民主主義」と「立憲主義」を国民に思い起こさせた。

選挙で選ばれた最高権力者がすべてを決めてしまうのなら国会は不要である。政策は国民投票で決めれば良いだけの話になる。しかし国民の選択には間違いの可能性があり、だから国会での議論が必要なのだ。議論して問題点を掘り下げ、少数政党の意見も取り入れるところに民主主義の本質はある。

また最高権力者の政策が憲法に違反していないかを判断する事も必要である。ところが憲法学者の多数はこの法案を「違憲」と判断した。にわかに国会審議は波乱含みとなり、安倍総理は強行採決でそれを押し切った。論理よりも選挙結果を優先させたのである。

これに国民は怒りの声を上げ、同時に自民党を含む参議院も反発する。鴻池安保特別委員長は問題発言を行った総理補佐官を委員会に呼んだ際、「参議院は衆議院の下部組織でも官邸の下請けでもない」と発言し、安倍官邸に厳しい姿勢を見せた。

尾辻元参議院副議長が野田聖子氏を自民党総裁選に擁立しようとして安倍総理の肝を冷やしたように、鴻池委員長は最終的には法案を成立させるものの、連休明けまでは成立させず、安倍総理をきりきり舞いさせるのではないかと私は見ていた。すると官邸が法案採決を求めた16日に鴻池委員長は理事会室に閉じこもって委員会を開かず、また17日の強行採決もぎりぎりまで時間をかけさせた。

本人は「強行採決ではない」ととぼけた事を言うが、誰が見ても強行採決に見えるようにしたのは鴻池委員長である。そもそも衆議院では自公に加えて次世代の党が賛成した採決を「強行採決」とメディアは報じた。参議院では5党が賛成したから「強行採決」でないと政府は言うが、実態は自公に加えて「次世代の党」と次世代から分かれた「日本を元気にする会」、それに「新党改革」の1名が賛成しただけである。衆議院の構図より賛成が1名増えたに過ぎない。

最終場面で官邸に最も抵抗していたのは鴻池特別委員長であると私は見ていた。そのため鴻池委員長の不信任案を提出した野党議員は口をそろえて鴻池委員長を礼賛する奇妙な不信任劇が演じられた。

法案の成立過程を見て、「一強」と言われるが、安倍政権に対し自民党内部には様々な思いのある事が分かった。党利を考えれば表には出さないがマグマが沈潜しているのである。それが噴出する事態がやってこない保証はない。国民の批判の目を怖れる自民党議員は次の選挙を目指して地元対策を始めた。議員は今後すべからく選挙を意識して行動するようになる。

その時に共産党がこれまでの方針を変えて野党の選挙協力に乗り出す意向を表明した。それがもし成功すれば、自公にとっては重大な脅威となる。自公の強さは公明党が候補者を出さずに自民党を応援し、その代り権力の内側に入るところにある。

これまで共産党は権力に入る事を是とせず、「野党」である事に専念して他党との協力を拒んできた。そのため他の野党と競合し、自公に権力の座を与えてきたのである。もしこの方針が本物なら、小沢一郎氏がかねてから主張していた「オリーブの木」が実現する事になり、政権交代の可能性が確実になる。安保法案はそうした政治状況を生み出した。

ところで安倍総理が国民の目を移そうとする日本経済の現状はどうか。米国の格付け会社S&Pが先週日本国債の格下げを発表し、日本経済は中国や韓国よりも悪いと判断された。アベノミクスは経済成長につながっていないというのである。国民1人当たりの平均所得が減少している事、日本経済がデフレから脱却できていない事、そして巨額の財政赤字を抱えている事などが格下げの理由である。

これに麻生財務大臣は「格下げで市場金利は上がっていない。格付け会社の影響力はなくなった」と無視する姿勢を示した。しかし少子高齢化を迎えた日本が巨額の財政赤字を抱え、社会保障費の増大にどう対応していくかの道筋が見えなければ日本経済の評価が下がるのは当たり前である。財務大臣がそんな認識なのに「経済に全力を挙げる」と言われてもまともに受け止める事はできない。

「経済に全力を挙げる」と安倍総理が発言した日、ロシアでは日露外相会談が行われた。プーチン大統領の年内訪日を実現するためにである。ところがロシア側は「領土問題は協議しない」と明言し、さらには安保法案に批判的な発言を行った。記者会見では岸田外務大臣の発言にラブロフ外相がことごとく反論し、岸田外務大臣が不愉快な表情を見せる異常な場面があった。つまり安倍政権は足元を見られ揺さぶりをかけられている。

安保法案で敵国扱いされた北朝鮮や中国も同じ揺さぶり外交をやってくる可能性がある。安倍政権は「拉致問題」が政権の中心課題であり、政権浮揚のためには北朝鮮の協力を得たいところだろうが、それをすれば即足元を見られる事になるだろう。

中国は習近平国家主席がまもなく米国のオバマ大統領と首脳会談を行うが、もはや安倍政権など視野に入れない大国としての振る舞いを見せる可能性がある。中国に敵対して米国との同盟関係を強化するため安保法案を強行した安倍政権が、米中首脳会談でどう扱われるかは注目する必要がある。現時点で私は日本が対等の発言力を有しないジュニアとしてしか扱われないのではないかと恐れている。

安倍総理が「戦後日本の大転換」と大見得を切った安保法案は成立したが、その先に日本の未来が開かれているように私には見えない。むしろ安倍政権の先行きには「断末魔の始まり」を感じてしまうのである。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:3月31日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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