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日本の近代化を問い続けた小津安二郎と原節子

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(188)

極月某日

週の初めの風邪が忘年会続きで一向に良くならない。そのため原節子の事を書きたいと思いながら集中力が高まらずにいた。でも書くしかないだろう。フーテンにとって昨年の高倉健、菅原文太と同様に原節子の訃報は胸にズシンときた。演じた世界と役柄を現下の政治状況と重ね合わせてしまうからだ。 

勿論、高倉健や菅原文太と原節子とはまるで異なる役者の世界を生きた。高倉健と菅原文太は、明治から大正、昭和、そして戦後の焼け跡から高度成長期にかけて、国家権力の近代化政策が地縁、血縁の共同体を破壊するのに抵抗したヤクザを演じたが、原節子は日本の戦争と敗戦を生きた女性、そして日本の美しさを演じたように思う。特に小津安二郎監督とコンビを組んだ一連の映画での品格ある美しさは忘れることが出来ない。

原節子は1935年に15歳で映画界にデビューした。大きな目と高い鼻という日本人離れした容貌はドイツ人監督の目に留まり、すぐ日独合作映画のヒロイン役に抜擢される。日独防共協定と時を同じくして映画は公開され、原節子はナチス・ドイツに大歓迎された。これでスターになった原節子は日本の戦争が拡大すると「上海陸戦隊」、「ハワイ・マレー沖海戦」、「望楼の決死隊」など数々の戦意高揚映画に出演する。

それが敗戦によって日本は連合国に占領された。日本映画は戦時中内務省によって検閲されたが、今度は占領軍がすべての映画を検閲する事になる。そのため「軍国主義」「国家主義」「封建主義」と思われる映画は上映が禁じられた。

検閲を行う部署の中で日本の映画人に最も嫌われたのがデヴィッド・コンデという男である。コンデは軍閥や財閥を批判し労働組合を称賛する映画を奨励し、キスシーンを挿入する事を「民主化」だと言って強要した。そのコンデの指導で作られたのが黒沢明の『わが青春に悔いなし』や木下恵介の『大曾根家の朝』、今井正の『民衆の敵』である。いずれも名作と言われるがしかし本質は民主主義を扇動するプロパガンダ映画である。原節子もこの時代にはプロパガンダ映画に出演させられた。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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