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オバマ広島訪問はパンドラの箱を開け戦後史の嘘を暴く契機

田中良紹ジャーナリスト

映画監督のオリバー・ストーン氏ら米国の有識者70人がオバマ大統領に書簡を送り、被爆者との面会を強く求めた。また書簡は謝罪に加え原爆投下の是非についても言及するよう求めている。

米国内にはこれとは逆に謝罪すべきではないとする根強い世論がある。日米の戦争は日本軍の卑劣な真珠湾奇襲攻撃から始まり、「一億玉砕」を叫ぶ狂信的な国民との戦争を終わらせるために原爆投下は正しい選択であったという米政府の公式見解があるからだ。

しかしオリバー・ストーン監督は2012年にテレビ・ドキュメンタリー「もう一つのアメリカ史」(シリーズ10本)を製作し、第二次大戦時の原爆投下から現在の「テロとの戦い」に至る米国の過ちを政府の見解とは異なる視点で告発した。

それは監督自身が正義と信じて戦場に赴いたベトナム戦争で、子供の頃から教えられてきた米国の歴史に疑問を抱くようになったからである。米国人が正義と教えられてきたことは果たして正義だったのか。その思いが語られることのなかった戦後史を探求させることになる。

「もう一つのアメリカ史」は1945年7月16日にニューメキシコ州の砂漠で行われた原爆実験のシーンから始まる。その実験の成功を確認したうえでトルーマンは翌日から開かれたポツダム会談で英国のチャーチル、ソ連のスターリンと戦後処理を話し合った。

対日戦争を終わらせるための米国の戦略はソ連に参戦を促すことで、ルーズベルトとスターリンの間ではドイツ陥落後3か月以内にソ連が対日参戦する密約が交わされていた。

1945年5月にドイツが降伏すると、ソ連は8月中旬までに参戦する準備を進めていたが、一方で日本はソ連に和平工作を依頼し戦争の終結を探っていた。その情報はソ連から米国に知らされており、日本の降伏が時間の問題だったことは米国も知っていた。

第二次大戦を指揮したアイゼンハワーもマッカーサーも原爆投下には反対だった。彼らは原爆投下がなくとも戦争が終わることを知っていた。さらに米国が核を独占してソ連に力を誇示すれば、ソ連はそれ以上の力を持とうとし、第二次大戦後の世界に核競争が起こることは必至だった。

それでもトルーマンはソ連に力を見せつけようとした。ポツダム会談が終わるとすぐ8月6日に史上初の原爆が広島に投下された。しかし日本は降伏の意思を見せない。そこでスターリンは日程を繰り上げ8月9日に対日参戦する。その日、米国は長崎に2発目の原爆を投下したが、結局、日本に降伏を決断させたのはソ連の仲介による和平工作が消滅したからである。

オリバー・ストーン監督は、トルーマンではなくルーズベルトの下でニューディール政策を実施したヘンリー・ウォレスが大統領になっていれば、原爆投下もその後の東西冷戦と米ソ核競争もなかったと訴えている。しかし歴史は常に権力者によって書かれる。ルーズベルトの後継争いでトルーマンに敗れたウォレスは忘れ去られ、国民は虚構の歴史認識を信じ込まされた。

私も社会人となり日本の権力構造や世界各地を取材するうち、学校で教えられたことと現実とのギャップを嫌というほど感じさせられた。そのため学校で教えられた「常識」をいったん白紙にし、一からまっさらな目で現実を見ることを心掛けるようになった。

そうした中で米国議会を10年余見続けたことが私に「建前」と「本音」の差を教えてくれた。新聞やテレビの日本人特派員が伝える米国情報はネタ元が米国政府であるから、日本人に米国をどう見せたいかを十分に計算しつくした情報である。基本は、かつての敵国同士がいまでは世界で最も重要な二国間関係を築き、日本を最強のパートナーと持ち上げるストーリーだ。

一方、私が見続けた米国議会ではそれと異なる「本音」が語られていた。基本は、日本は米国に戦争で敗れた国であり、米国に逆らうことなど許されない。米国と対等になろうと思うなら、もう一度戦争して勝ってからやれ。これが「本音」のストーリーである。

1990年代に宮沢総理が国会答弁で米国のマネー資本主義を批判し、「額に汗して働くことが尊い」と発言した時、新聞が「アメリカ人は怠け者」と報道して米国議会は大騒ぎになった。「怠け者が戦争に勝てるのか。日本人はまだわかっていない。もう一度原爆を落として目を覚まさせろ」。議員たちは怒りをあらわに宮沢総理を糾弾した。

しかしメディアはその情報を日本に伝えない。日米関係はあくまでも「建前」の世界の中に封じ込められてきた。それが日米両政府にとっては最も都合がよいのである。その結果、沖縄の基地がもたらす弊害も、首都東京の周辺が米軍基地だらけであることも、東京の空の管制権が日本にないことも、不都合な真実に国民の目が向かわないようコントロールされてきた。

ところが現職大統領として初めてオバマ大統領は広島訪問を決断した。米国を代表する公人であるから、米国内の様々な声に耳を傾けながらの訪問になる。それが謝罪ではなく追悼という位置づけになった。しかしそれが謝罪ではなくとも原爆犠牲者を追悼することの意味は大きい。

何が大きいかと言えば、私は「建前」で封じ込められてきた戦後史の中に「本音」を蘇らせる機会が作られたと思うのである。日米の政府同士はあくまでもこれを「建前」の中に封じ込め、「日米同盟の深化」というキーワードを押し出してくるだろう。しかし被爆者が今なお存在し、被爆の記憶が消えていない以上、訪問は「建前」だけに終わらない。

オバマ大統領が広島で何を感じ取り、被爆者たちが訪問に何を感じるか、それを全世界が注目する。そこから戦後史を封じ込めてきたパンドラの箱が開くと私は思っている。だからメディアには様々な立場の様々な「本音」を掬い上げ、それを国民に知らしめて、考える機会を作ってもらいたいと思うのだ。

時を同じくして沖縄では基地があるが故の悲惨な事件がまた起きた。戦後の日米関係を考えるとき、きわめて重要な二つの問題を重ねて考える機会を我々は得たのである。パンドラの箱を開いてみれば二重構造でそれが同時に開くという話である。

おりしも米国大統領選挙での「トランプ現象」はまだ勢いが衰えない。私は当初からトランプに惹かれる米国民の感情に関心を持っていたが、「建前」を信じそれに従ってきた米国民が誰も口にしない「本音」を語るトランプに、「建前」の破壊を求めているのではないかと思うようになった。

「建前」とは、原爆投下を巡る嘘から始まる戦後史の積み重ねである。原爆投下を正当化し核の独占を図ったことが米ソの核競争をもたらし、東西対立がベトナム戦争で米国民に建国以来初の惨めな敗戦を経験させた。

またソ連の崩壊を資本主義の勝利と喜ばされたが、それによって米国は唯一の超大国を目指すことになり、それが軍事的にも経済的にも負担を増大させ、米国民の幸福度は減少の一途をたどる。米国民はもう「建前」は聞きたくないのである。

そうした時のオバマ広島訪問である。私にはパンドラの箱を開け戦後史の嘘を暴く契機になると思えるのである。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:3月31日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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