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萩野公介が失速したわけ はじめての経験を今後のレースに活かせるか?

田坂友暁スポーツライター・エディター

遠かった金メダル 突然の失速から5位に沈む

「まだ実力が足りない。悔しいですね」

7月28日から8月4日、8日間の日程で行われた、第15回世界水泳選手権。ロンドン五輪前から掲げられてきた日本水泳連盟のスローガンである『センターポールに日の丸を』が、スペイン・バルセロナの地で「今までにないくらい、速く泳げた」と言う若武者、瀬戸大也によって達成された。大会前にメダルを確実視されていた、萩野公介は5位。レース後、萩野が口にしたのが、冒頭の言葉である。

世間の注目は瀬戸ではなく、ロンドン五輪の400m個人メドレー銅メダリストの萩野に集まっていた。4月に行われた日本代表選考会を兼ねた日本選手権で、前人未踏の5冠を達成。得意とする個人メドレーでは、200mと400mともに今までの日本記録を大幅に更新し、400mでは当時の世界ランク1位となった。

そして、世界水泳選手権でも多種目の挑戦を表明する。200m、400mの個人メドレー、100m、200m背泳ぎ、200m、400m自由形の6種目。さらに4×200mリレーを加えた全7種目の出場は、日本人では初で、個人メドレー以外の種目においてもメダルを狙える位置にいた。

萩野は自分でも「チャレンジ」という言葉を口にしていた。もともとアメリカのマイケル・フェルプスやライアン・ロクテのように、多種目でメダルを撮るような選手になりたいと言っていた。そのチャンスが訪れたのだ。今年の4月から指導する平井伯昌ヘッドコーチも「個人メドレー以外の種目は初の世界大会。すべてが萩野の経験になる」と話す通り、リオデジャネイロ五輪に向けたチャレンジを世界大会という最高の舞台で行えるのである。

その期待に応えるように、萩野は初日に行われた400m自由形で銀メダルを獲得する。200m個人メドレーでも順当に銀メダルを、獲得。6日目が終わった時点でメダルが2つ、100m、200m背泳ぎ、200m自由形でも決勝進出を果たしていた。記者が必ず聞く質問にも、ひょうひょうとした表情で「疲れはありません」と答える。そしてレースのなかった7日目を挟んで迎えた最終日、誰もが予想しなかった展開になったのである。

普段通りに入場してくる萩野。大きく息をつきながら、会場を見渡す。ゆっくりとスタート台に立ち、上を見上げてから構える。見た目には、普段通りだった。

号砲が鳴り、最初のバタフライで飛び出したのは萩野。100mを1位で折り返すと、背泳ぎで他を一気に引き離す。200mの時点で2位との差は身体ひとつ開いていた。次は少し萩野が苦手としている平泳ぎ。背泳ぎで稼いだアドバンテージをどれだけ保てるかが、萩野のレースである。順調に見えた萩野の泳ぎにかげりが見え始めたのは、250mを過ぎてから。最後の自由形に向かう300mのターンで、瀬戸に逆転されてしまう。だが、メダルを獲得している自由形で再逆転をするだろう、と誰もが思った。

しかし、何かがおかしい。瀬戸が離れないのである。350mでは萩野がトップを取り返したものの、ターン後のドルフィンキックにキレがない。そして運命の375m。萩野の脚がぴたっと止まる。替わりに抜け出したのが、瀬戸だった。追いすがる周りの海外選手たちを振り切り、4分08秒96の自己ベストを大幅に更新して優勝。萩野は4分10秒39の5位。瀬戸は電光掲示板を振り返ると、憔悴した様子でコースロープにもたれ掛かる萩野を後目に一気に感情を爆発させた。

最初のバタフライが予兆だった この結果を受けた萩野の今後の展開に注目

現地で取材をしていた私は、どうにも納得がいかなかった。萩野の泳ぎは悪くなかった。前半から軽い泳ぎで、疲れもないように見えていた。だが、あれほどキックが打てなくなった選手をなかなか見ることはできない。「緊張はなかったですけど……、自分のレースをしよう考えていて、前半は思い通りのレースができた。いちばん最後にすごい悔しい思いをしましたが、これを生かして頑張りたいと思います。本当にいろいろな部分で自分を成長させてくれたと思います」と、萩野のコメントから原因までは探れなかった。

そこで帰国後、あらためて400m個人メドレーのレースを見直してみる。すると、失速の予兆は確かにあった。

まず、いつも通りに見えた入場後の仕草。表情がやはり少し固い。ほかのレースではほとんど叩かなかった上半身を脚よりも多く叩いている。極めつけはバタフライであった。軽く見えた泳ぎだったが、1ストロークごとの進み具合がおかしい。調子の良い萩野のバタフライは、少し上下動しながらも、第2キック(腕が入水したときに打つのが第1キック、呼吸時に打つのが第2キック)と同時に腕をかき切る勢いを利用して飛ぶように進んでいく。しかし、明らかにぎくしゃくして、重たい。飛ぶようなフォームは同じだが、上下動は微妙に大きく、呼吸時に空中で進む距離も短いのだ。にも関わらず、日本記録を樹立したときと変わらないラップタイムで100mを折り返している。つまり、今まで以上にキックの力を使いながら、前半から飛ばしていたのだ。その歪みは、背泳ぎのターン後に行うバサロキック、そして最後の自由形のターン後のドルフィンキックに大きな影響を与え、最後の25mで力つきてしまったのである。

考えられる原因は2つ。ひとつは、各種目予選と決勝しかなかった日本選手権とは違い、200mまでの種目には準決勝が入ったこと。そのため同じ6種目であっても、大会期間中に泳ぐ本数は増える。さらに世界大会なので、予選から力を温存する、という余裕がない種目もあった。大会期間も8日間の長丁場。気力、体力ともに切れてもおかしくはない。萩野自身は「そういうのはあまり考えないようにしています」とは言うものの、緊張の度合いも1レースごとの負荷も、日本選手権とは比べものにならなかっただろう。

もうひとつは、7日目にレースがなかったことだ。身体を休める日があったほうが、一般的には良いかもしれない。しかし、身体の芯にある本当の疲れは、集中力が持続しているうちは感じない。1日空いてしまったことが、6日間の疲れの目を覚まさせたのかもしれない。さらに、長い距離を得意とする選手は、身体を単純に休めるよりも、刺激を与え続けたほうが良いパフォーマンスができることも多い。萩野もそちらのタイプだと考えて良い。400m個人メドレーの予選後、昨日はどれくらい泳いだのか? という質問には「1時間くらい軽くです」と答えていた。疲れを考慮するあまり、身体を動かす量を減らしたことが、身体のキレに影響したとも言える。

しかし、今大会で日本人が誰も挑戦しようとしなかったことに、萩野は果敢に立ち向かった。誰も歩んだことのない、先も見えない暗闇のなか、自分で少しずつ作り上げながら進むしかない道を萩野は歩み始めたのだ。今回の経験から、大きな目標にしているリオデジャネイロ五輪での金メダル獲得への道筋を見つけた違いない。フェルプスやロクテのように多種目でのメダル獲得という目標をブラさずに強化を続けていくのか。それとも確実に個人メドレーでの強さを磨いていくのか。来年以降の萩野の姿を見れば、今回得た答えを明確に示してくれるだろう。

スポーツライター・エディター

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かして、水泳を中心に健康や栄養などの身体をテーマに、幅広く取材・執筆を行っている。

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