Yahoo!ニュース

バトラー後藤裕子著『英語学習は早いほど良いのか』(岩波新書、2015)

寺沢拓敬言語社会学者
画像

読んだ。

「英語学習は早いほど良いのか」というキャッチーなタイトルがついている。この問いを「日本人にとって早くから英語を学習するのは効率的か」と理解する人が大多数だと思うが、この意味の問いを直接扱っているのは第6章および第7章のみである。以下の目次参照。

一方、それ以外の章はそうではない。1章・2章は第一言語の臨界期を、3章・4章・5章は第二言語の臨界期(あるいはもう少しゆるく「敏感期」)をそれぞれ扱っているからだ。

目次

  • 第1章 逃がしたらもう終わり?―臨界期仮説を考える
  • 第2章 母語の習得と年齢―ことばを学ぶ機会を奪われた子どもたち
  • 第3章 第二言語習得にタイムリミットはあるか
  • 第4章 習得年齢による右下がりの線―先行研究の落とし穴
  • 第5章 第二言語学習のサクセス・ストーリー
  • 第6章 外国語学習における年齢の問題
  • 第7章 早期英語教育を考える

より正確には「言語習得と年齢の関係」

より正確な(しかしキャッチーさには欠けてしまう)タイトルは『言語習得と年齢の関係』あたりになるだろうか。本書は、英語だけを念頭においてるわけでも、第二言語学習だけを扱っているわけでもないからだ。むしろ、第一言語習得を含めた言語学習全体を扱い、とりわけ臨界期の問題を詳細に説明している。

参考英語学習と臨界期(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース

さらに、「早いほど良いか・良くないか」という意思決定に関わる問いよりも、「なぜ早いほど●●なのか」というメカニズムに関して多くのページを割いている。その点で、早期英語教育の有効性の検証を期待して本書を手にとった人は肩透かしを食らうかもしれない(じじつ、私も肩透かしを食らった)。

言語習得を理解する上で区別しなければいけないこと

本書の特徴は、多数の有益な区別を提示している点だ。「分かるとは"分ける"こと」という金言があるが、本書はまさにそれを地で行っている。言語能力を構成する各要素の区別(文法、発音、語彙、リテラシー等々)、第一言語獲得と第二言語習得の神経学的区別および環境上の区別、第二言語環境と外国語環境の区別などなど、選択次第で結論が180度変わってしまうような重要な論点を丁寧に「分ける」ことで、言語習得と年齢の間の複雑な関係を詳述している。

以上のように本書は多くの有益な「区別」を紹介しているが、私からすると、もうひとつ「区別」して欲しかった論点がある。その点を以下に述べる。

「ネイティブらしさ vs. 全体的な熟達度」の区別

それは、「ネイティブらしさ」と「全体的な熟達度」の区別である。

「ネイティブらしさ」とは言語能力を便宜的に「0」(能力皆無)から「100」(ネイティブ並み)というスケールにおいた時の、「100になるか否か」である。第二言語習得研究の臨界期研究では(少なくとも主題は)この種の問いを前提にする。リサーチクエスチョンの例としては「英語への接触がX歳より早ければ、言語能力=100になる確率は何倍上昇するのか?」のようなもの。

その一方で、「全体的な熟達度」はまさに「0~100」のスケールであり、たとえば「英語学習を1歳早くはじめれば何ポイント言語能力が上昇するか?」という問いを検討する。

早期英語学習の効率性に関する問いと親和的なのは、後者の熟達度である。反対に、前者「ネイティブらしさ」はほとんど関係ない論点である。なぜなら、小学生段階から初めても「ネイティブらしさ」の獲得には完全に手遅れであることがほぼ定説になっており、政策を考えるうえで臨界期的な問いはナンセンスだからである。

もちろん著者自身も、熟達度を対象とした研究なのかネイティブらしさを対象とした研究なのか(あるいは両方とも対象しているのか)、きちんと明記している。しかしながら、本書の記述、特に6章には熟達度系の研究とネイティブらしさ系の研究が交互に登場しており、これらの理論的な区別はやはり省略したと見るのが妥当だろう。また、5章でも母語話者と遜色のないレベルに至った非母語話者を「語学の達人」として紹介しているが、もともとの研究――この達人たちの存在は臨界期研究では有名である――の問題関心は「一見、完全に母語話者のように見える人でも、詳細に分析したら、遅い学習開始による痕跡は残っているのか」である。その意味で、「どうやったら達人になったのか」という熟達度向上に深く関わる問いではない(そもそも日常語で「英語達人」と言う時、「英米人らしさ」は必ずしも前提にしないのではないだろうか。たとえば、日本語アクセントが色濃く残っていたり独特のコロケーションを使っていたりしても英米人たちと英語で丁々発止のやり取りをするような人も「達人」と呼ばれるはずである。その意味で、若干ミスリーディングな表現でもある)。

というわけで、「早期英語学習の効率性をめぐる科学的事実」を期待する読者は、この点の区別を念頭に置きつつ本書を読めば、「結局どうなんだ・・・???」と混乱する危険性は回避できると思われる。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

寺沢拓敬の最近の記事