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小学校英語教科化をめぐって、日本人と英語にまつわる誤解

寺沢拓敬言語社会学者

先週の水曜日、TOKYO FMのタイムラインという番組に電話出演しました。

8月10日(水)飯田泰之●小学校の英語教育強化から考える、日本人と英語にまつわる誤解 | TIME LINE-今日のニュースと考えるヒント - TOKYO FM 80.0MHz

番組では約10分間インタビュー形式で英語教育政策についてお話しました。私はアドリブがきかないので、「だいたいこういうことを答えよう」とあらかじめコメントを準備していました。以下、こういう話をしたよという報告を兼ねて、そのメモをアップします。(ただし、以下はあくまで「話す予定」であり実際には話していない部分もあります)

●2020年度からの学習指導要領の審議まとめ案で、英語教育の強化が示されました。小学校5,6年生の英語は授業へと格上げされ、年間35コマから70コマへ倍増とのことですが、これで効果が出ると言えるでしょうか?

「効果」を何と考えるか次第ですが、一般の人が思っているような「効果」は出ません。

たとえば、英語をビジネスでばりばり使うような日本人が10年後に増えるかといったらそんなことはないと思います。

英語と日本語は、言語としての距離が非常に離れている言語なので、習得にたいへんな時間が必要だと言われています。ひとつの目安ですが、アメリカ国務省での外交官のための日本語トレーニングでは2200時間が必要とされているそうです。

ひるがえって、日本の中高6年間の学習時間は平均700時間前後です。

この700時間が、小5・小6の計140コマほどの増加で、どれだけ増えるでしょうか。

45分×140コマ=105時間(※)ということで、中高の授業時数とあわせても800時間程度にしかなりません。つまり、前述の「2200時間」という数字からは程遠く、劇的な英語力向上はまず期待できないでしょう

語学は膨大な量の自助努力が必要です。今回の「早期化」によって得られる授業増は英語習得という点に関して言えば焼け石に水でしょう。学習量の総量がいずれにせよわずかな状態であれば「早くから始める」ことそのものにもたいして意味はありません。この点は、ほとんどの英語教育学者・言語習得研究者に共通した認識だと思います。

8月17日追記:8月15日にアップした記事では計算を間違えて「140時間増」と書いていました。訂正します。

2011年から5,6年生には「外国語活動」が必修となっていました。2020年からは3年生からスタートするとされています。早くから英語教育を始めることの意味とはなんでしょうか。

2020年度に実施予定の英語教育早期化に焦点を絞ってお話します。

今回の早期化に意味があるかどうか、あるとすればどのような効果かということに関して、英語教育学者の意見は一致していません。私が見た限り、だいたい次のような3つのパタンに分かれるようです。

一つ目は、典型的な反対派ですね。つまり、「早くしたって意味がないからやめるべきだ」というタイプ。

二つ目が「ちりも積もれば山となる」と考えるタイプの学者です。「たしかに早く始めても週2時間程度じゃ劇的な効果はのぞめないよな~」と考えつつも、「それでもやらないよりはマシだろう」ということです。

そして、三つ目が「意識改革にはつながるよ」というタイプです。「たしかに英語力に効果はないかもしれないけど、英語に親しめるようになるよ。英語への抵抗感はなくせるよ。負担感も減るよ。そういう意識改革ができれば英語学習に積極的に取り組むようになって、長期的に見れば英語力はあがるでしょう」という考え方です。

私個人としては、一つ目の立場を支持しています。

「意識改革」とか「ちりも積もれば」程度のメリットであれば、中学高校の英語教育を改革したほうがよっぽど早い。色々な条件整備(たとえば教員研修や教材の開発)も最低限で済みます。小学校に英語教育が入るというのは史上初めての大改革で混乱も相当引き起こすものですから、この程度のメリットで気軽に導入されるのは本当に困ったものだと思います。

グローバル化=英語が必要、という一般の認識は間違っているのでしょうか。

グローバルビジネスに携わる限り、英語は必要です。これは間違っていません。しかし、グローバルビジネスに携わっている日本人が年々増えているかというとそんなことはありません。ごく一握りの人です。

私は、昨年出版した『日本人と英語の社会学』で、信頼できる統計にもとづいてどれくらいの人が英語を使っているか試算したことがあります。ほぼ毎日使う人だと人口の1パーセント未満、ときどき使うくらいの水準でも10パーセントです。そしてさらに重要な点は、2000年代後半には英語使用者が確実に減少したというデータが出ている点です。

なお、上記の1%という数字も、日本の人口の1%ですから100万人はいるわけで絶対数としては決して少なくありません。自分がその100万人の中に含まれるはずだという強い信念があるならば、英語学習をバリバリ続けていくべきだと思います。(ただ、なんとなく「よくわからないけど必要かなあ~」と思う程度でしたら、あまり信じないほうがいいかもしれませんね)

ということは、極端な話…グローバル化しても英語は必須ではないのでしょうか?

国際ビジネス、つまり第一言語が違う人同士の共通言語はすでに英語になりつつありますから、ビジネスのグローバル化が進めば英語のニーズも増えます。

ただし、ビジネスのグローバル化はある程度のところ頭うちになるだろうことも事実です。当然ですが、日本には日本語でサービスを受けることを希望する人が1億数千万人います。これは非常に大きなマーケットです。日本の外側がどんなにグローバル化しようとも、ドメスティックなマーケットでは日本語が使われ続けるでしょう。人口減少が言われていますけれど、この非常に大きなマーケットがすぐ弱体化するとは思えません。

これから、英語を含めた外国語教育に必要な視点とは?

ひとことでいえば、全体的に見て合理的な教育を提供しなければいけないということです。

今回の英語教育5・6年での「教科化」や、3・4年での外国語活動必修化は、率直に言えば、局所的合理性の産物です。経済界は「日本人の英語力を伸ばせー、英語を小学校から始めろー」と文科省や地方自治体にずっとプレッシャーをかけてきてたんですが、それを徹底的にやりたくても行政にはお金がまわってきません。財務省が出してくれないからです。ここで、苦肉の策として、「英語教育」じゃなくて「外国語活動」にしましょうとか、とりあえず小学校の担任を中心として週に2時間やってみましょうという「あまりお金をかけないで済む逃げ道」が用意されるわけです。

文科省単体で見ればたしかになかなかの工夫です。しかし、結局それは、局所的に見て合理的なだけであって、教育全体の目的を見失っているとしか言えません。もっと大局的に見た英語教育政策が必要だと思います。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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