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無内容な文章を論理的っぽく見せるためのフレーズ「××の本質」「真の××」「過度の××」「××の暴走」

寺沢拓敬言語社会学者

重要事項が大切だ

本当の事実が真実だ

悪習は悪い

不倫は非道徳的だ

上のような文は明らかに無内容だ。「頭が悪そう」と思われたくない人はまず書こうとしないだろう。

しかし、レトリックをちょっといじると、この無内容さは表面上は消えてしまう。しかも何か深いことを語りだしているようにすら見えてしまう。

たとえば、

○○論についてはその表面的な内容に目を奪われず、本質を理解しなければならない

従来の国際理解は偏った議論に基いていた。いまこそ真の国際理解が必要である

過度の援助は様々な問題を生じさせてしまうため有効ではない

正義そのものは大切だ。しかし、正義の暴走は社会に多大な不幸をもたらす

上記のフレーズの構造はつぎのとおり。

最初の2つが、

  • 【ポジティブな意味の言葉で形容した現象】→【ポジティブな価値判断】

後の2つが

  • 【ネガティブな意味の言葉で形容した現象】→【ネガティブな価値判断】

要はどちらも、「良識は良い」「悪習は悪い」という無内容なフレーズを長々と横に伸ばしただけである。

「無内容なくせに何か深いことを言っている」―――これがこの手のレトリックの厄介なところである。他人を騙すだけならまだいいが(いや、良くないが)、いっそう厄介なのは「よし書けた!この文章は実に論理的だなあ!」と自分自身をすら騙してしまう点である。

たとえば、「正義の暴走」という表現を好んで使う人の98%は正義の適正状態を定義しない(当社調べ)。にもかかわらず、「正義そのものは重要だが、暴走することに注意すべきだ」という、実務的には無意味な文で何かを言った気になってしまう。そして、この手の言説に共感したい人は意味をなそうがなすまいが中身を考えず共感する。

「悪習は悪い」とか「不倫は非道徳的だ」というレトリックは実務的には何の意味もないしそもそもアホっぽいけど、「《正義の暴走》は良くない」だとワンクッション置かれるせいか、アホっぽさはだいぶ薄れる。そのワンクッションが厄介なのだけど。

ついでにいうと、次のようなものならば「正義」を定義しなくても一応意味を成す。

自分を正義と思い込んだ者が、いつも正しいとは限らない

正義感に突き動かされた感情には注意しましょう

これが意味をなすのは、「正義」という概念を主題にせず、人や感情に焦点を当てているおかげである。だから、「正義」の定義を一応免れられる。

とはいえ、面白みのない、ごく凡庸なフレーズに成り果ててしまっている。そんなことわざわざ言われなくても、「自分を正義と思い込んだ人」がややこしいことくらいみんな知っているし、「感情」というのは時として注意しなければならないことも周知の事実である。

一方、オリジナルの「正義の暴走」は逆説めいている。「正義」なのに「暴走」するなんて、ちょっと深い感じがしないだろうか。だからこそよく受ける言説ではあるが、まあ、不正確なので、凡庸さを恐れず正確に言葉を使いましょう。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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