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「串から外さないで」と主張する焼き鳥店は正しいか? 飲食店の「こだわり」がもたらす功罪

東龍グルメジャーナリスト
(写真:アフロ)

焼き鳥は串から外すか

焼き鳥を食べる時に、串から外して食べますか。それとも、串に刺したたまま食べますか。

<「焼き鳥は串から外さないで」 飲食店の訴えに賛否両論>という朝日新聞の記事に端を発した質問です。

参鶏湯(サムゲタン)をウリにしている田町の「鳥一代」本店が「焼き鳥は串から外さないで」食べてという主旨の看板を掲げました。その看板の写真がSNSで拡散されると、肯定や否定など様々な意見がネットで飛び交って、話題となりました。

看板に記載されていたのは、次のような文言です。

「焼き鳥を串から外してシェアをして召し上がっているお客様が多く見受けられます。凄(すご)く…悲しい」「僕ら、一生懸命一本一本刺しているんです!!これでは切った肉をフライパンで焼いても同じ」……。そしてメッセージの最後には、「串から外さず ガブリついて食べて下さい」。

出典:朝日新聞

飲食店が多かれ少なかれ持つ、こういった「こだわり」について考えてみます。

飲食店のこだわり

飲食店は料理を提供することを主な業務としているので、料理そのものに対する「こだわり」があるのは当然のことです。従って、料理をどう作るかといった「こだわり」は少し脇へ置いておきます。

では他に、飲食店にはどういった「こだわり」があるのでしょうか。

私は「こだわり」は以下の2つに大別されると考えています。

  • 何を食べるか
  • どう食べるか

客が「何を食べるか」、客が「どう食べるか」ということに関して、飲食店の「こだわり」が現れているのです。

前述の「焼き鳥は串から外さないで」食べてというのは、飲食店が「どう食べるか」に「こだわり」を持っていると分類できます。

何を食べるか

私の「Yahoo!ニュース 個人」トップページに「Carte Blanche」=「白紙メニュー」をイメージした画像が掲載されていますが、まさにこれが「何を食べるか」における「こだわり」です。

飲食店が「何を食べるか」を決めるので、客は食べるものを決められません。おまかせコースだけを注文して、コースの中で何を提供するかは飲食店が決めるのです。客が何を食べるかに加えて、いつそれを食べるかということも、飲食店が決めることになります。

おまかせコースは、高級なフランス料理店やイタリア料理店、もしくは、コース料理に力を入れている飲食店ではごく普通に提供されているものです。

もちろん、客が何かアレルギーを持っていたり、苦手な食材があったりする場合には考慮されますが、「これとこれは食べられない」と除外するものを指定するだけです。そういった意味ではやはり、飲食店が決めていることに変わりはありません。

「何を食べたい」「何を食べたくない」「いつ食べたい」「いつ食べたくない」に関して強い意志を持っている客にとっては、あまり歓迎されない「こだわり」でしょう。

しかし、この「こだわり」にはよいこともあります。それは、アラカルトやプリフィックスでは絶対に注文しないようなものを食べる機会に恵まれることです。普段であれば食べないものを食べることによって、食わず嫌いが改善されたり、新しい食への好みが開拓されたりすることもあります。

飲食店が「何を食べるか」を決められることによって、最もパフォーマンスを発揮できるというのであれば、思い切って任せてみて、提供されたものを順番に食べてみてもよいでしょう。

どう食べるか

もう一つの「こだわり」として、「どう食べるか」が挙げられます。

例えば、最初に何も調味料を加えずにそのまま食し、次に塩を付けて食し、最後は特別のソースを付けて食べてるなど、提供したものに対して、特定の手順を用いて食べてほしいというような「こだわり」です。

私は「どう食べるか」の範囲をもっと広く捉えています。食べている時には私語を慎む、提供された料理をすぐに食べる、小学生未満の子供を連れて来てはならないなど、飲食店での振る舞いもここに分類しています。

おにぎりは絶対に手で食べる、フォアグラのポワレには甘いソースを合わせる、お造りには必ず醤油をつけるなど、経験に紐付いた既成概念がある客にとっては、慣習にそぐわない振る舞いをすることは居心地が悪く感じられるかも知れません。

しかし、全く思いつかないような食べ方を案内されることは、食の体験を広げるのに有用です。食べる順番や合わせる調味料を変えるだけで体験は一変するでしょう。

一昔前の分子ガストロノミーのような新しい料理の場合には、そもそも、どのように食べたらよいのか分からない料理が多いので、「どう食べるか」は飲食店に委ねられます。

ただ、「どう食べるか」は料理人やサービススタッフによって案内されますが、手足を制御されているわけではないので、最終的に「どう食べるか」は客の判断によるところです。

今回の焼き鳥の場合

2つの「こだわり」をみてきましたが、冒頭の「焼き鳥は串から外さないで」食べてというのは、「どう食べるか」という「こだわり」になります。

私は「どう食べるか」は「何を食べるか」に比べれば、アレルギーや苦手な食材といった問題も少ないだけに、割と従い易い「こだわり」だと思っています。それだけに、作った本人が「こう食べるのが最もよい」と考えているのであれば、騙されたと思って従うのがよいのではないでしょうか。

もしも、従ったのに期待したほどよくなければ、もうそれ以上のものはないということで諦めがつきます。しかし、「こう食べるのがよい」と言われたのに従わず、その結果満足できなかったとしても、自らが選択したことなので文句も言えなくなるでしょう。

ただ、冒頭の記事にも書かれていた「みんなでシェアしたい」というような理由であれば、串から外す以外に方法はないので、客が「こう食べる」と主張するべきです。と言うのも、「何を食べる」「どう食べる」は、あくまでも食の体験を高めるためにあるべきだと考えているからです。

「みんなでシェアしたい」という明確な体験を目指しているのであれば、そちらが優先されなければなりません。主従関係が反転してしまっては、本末転倒になってしまうでしょう。

料理そのものに対する「こだわり」の他に、「何を食べるか」「どう食べるか」という「こだわり」は、飲食店をより個性的にし、魅力的にすると考えていますが、あくまでも食の体験を高めるものであってほしいと、私は飲食店の「こだわり」に対して「こだわり」があります。

グルメジャーナリスト

1976年台湾生まれ。テレビ東京「TVチャンピオン」で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。

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