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高橋由伸の長嶋茂雄そっくりの「昭和っぽい引退と監督就任」

豊浦彰太郎Baseball Writer
(写真:アフロスポーツ)

高橋由伸が巨人からの監督就任要請を受諾したようだ。プロ野球の監督は、日本で12人分しかない貴重なポストだ。その職に乞われて就くことは、とてもおめでたいことだ。現役からそのまま監督に就任するのは、巨人ではあの長嶋茂雄以来だ。

前回の東京オリンピックより前に生まれたぼくには、長嶋茂雄引退は鮮明だ。「あの日」は、ウィークデイのデイゲームでのダブルヘッダーだった。少しでも早くテレビ中継を見たかったぼくは、放課後学校から最も近い友人宅で正座して、最後の打席を、試合後のスピーチを食い入るように見た。

ぼくは泣いた。いや、球場の観客もテレビの前のファンも、多くの日本人がその日涙を流した。でも、この涙はとてもビミョウなものだった。大スターの長嶋茂雄が引退することは間違いなく哀しいことだったのだけれど、一方でヒーローとの別れに涙すること自体に、多くの日本人が陶酔していた。

長嶋の引退と監督就任がいつ決まったのかは分からない。しかし、昭和49年のシーズンが始まった時から、公式発表は何もなかったのだけれど「長嶋最後のシーズンの幕が上がった」とお茶の間でも、学校でも、(おそらく)職場でもみんながそう認識していた。そして、引退後はそのまま監督に就任することを疑っていなかった。みんなが悲しんでいた。みんなが別れを惜しんでいた。そして、みんながそれに酔いしれていたのだ。

そんな風に周囲をがっちり固められ、長嶋茂雄は「いや、わたしはまだまだ現役でやりたいんです」とは言いだせなかったのではないか。

世間の倫理観も、現代より遥かに団体の利益が優先の時代だ。

でも、僕の勝手な思い込みかもしれないが、彼はまだまだ現役としてフィールド上を駆け回りたかったと思っている。

あれから、40年以上の月日が流れた。巨人は今でもプロ野球界No1の人気球団だが、あの頃より球団間の人気の格差は格段に是正された。ドラフト前には「在京セでないとお断りします」と、多くの有望なアマチュア選手が宣言していたが、いまや指名された段階で「夢は将来のメジャー挑戦」と堂々と宣言している。時代はすっかり変わったのだ。

それでも、高橋由伸の引退と監督就任は40年前の長嶋茂雄のそれを思い起こさせる。40歳になった高橋は、もはや衰えは否定できないのだけれど、今季も少ない打数ながら代打で別格の存在感を示した。ぼくたちが思っている以上に彼自身は、「まだやれる、出場機会さえ与えられれば十分チームに貢献できる」と思っていたはずだ。

でも、彼は未練を残しつつ現役を引退する。単純に損得勘定からすると、この選択は全く正しい。でも、「いや、あと1年現役で勝負させて下さい」と敢えて率直に言いだすのが、多くの人々にとって、21世紀的価値観だと思う。実利的な損得を超えて。

しかし、彼はそうしなかった。この選択は高橋らしいとも言える。ハンサムな慶応ボーイで、巨人一筋のスタープレーヤーで、故障などの困難にも屈することがなかった。金銭的なトラブルの噂がなかった訳ではないが、審判に悪態をついたり監督やフロントと揉め事をおこすこともなかった。日テレの女子アナと結婚した。

野球人としてこれ以上はあり得ない完璧な履歴書だ。彼が、巨人の監督に就任すること自体は誰も不思議には思わない。しかし、それを今受けねばならなかったのか?数年後ではだめだったのか?

このあたりはとても昭和っぽい。高橋は、結局一度も「メジャー挑戦」を表明しなかった。

そんなことに関心がなかったのかもしれないし、松井秀喜がチームを離れる中「オレも」と言いだせなかったのかもしれない。どちらにせよ昭和っぽい。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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