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「ミラーがいながらチャップマンも」38年前にもあったヤンキースの被る守護神獲得

豊浦彰太郎Baseball Writer
ゴッセージ(中央)やウィンフィールド(右端)も「被る」補強だった(写真:ロイター/アフロ)

ヤンキースが、レッズから「人類最速男」アロルディス・チャップマンを獲得した。放出したのは若手4人だが、トッププロスペクトと呼べるレベルの有望株は含まれていない。現時点では、ブライアン・キャッシュマンGMは「チャップマンを獲得しても、アンドリュー・ミラーとデリン・ベタンセスのブルペンの2枚看板は放出するつもりはない」とコメントしている。ベタンセス、ミラー、チャップマンという極めて強力な7-8-9回トリオが誕生することになりそうだ。

現時点では、キャッシュマンはこうコメントするしかないだろう。チャップマンは恋人へのDV容疑でMLB機構より出場停止処分を言い渡される可能性が高いからだ。残る2人の放出を回避したところで、来季3人が揃い踏みする時期がどの程度確保できるかは不透明なのだ(余談だが、停止処分が予想以上に長く課せられたところでヤンキースはそれほど痛くはない。仮に来季のチャップマンの有効在籍日数が138日に満たない場合は、彼がFA権を得るのは来季終了後ではなく1年繰り延べされるからだ。そうなると、ヤンキースは1年長く彼を拘束できることになるし、そもそも停止処分中はサラリーを払う必要はない)。個人的には、チャップマンの処分が明確になった暁には、ヤンキースはミラーを放出して故障持ちだらけの先発投手陣のテコ入れを図る可能性はあると思っている(もともとこのオフ、ヤンキースは商品力の高いミラーをトレードの餌に交換相手を物色していた)。

それはともかく、ヤンキースが3枚看板に拘ったのも近年では2014-15年のロイヤルズのケルビン・ヘレーラ、ウェイド・デービス、グレッグ・ホランドの7-8-9回トリオを好例に、強力ブルペンの効果が再認識されたからだろう。

しかし、ヤンキースが今季38のセーブ機会で36セーブを記録したミラーという絶対的なリリーフエースがいながら、4年連続33セーブ以上のチャップマンを獲得したことは、まだFA制度導入から間もない77年オフを思い起こさせる。

この時もチームにはこの年サイ・ヤング受賞の守護神スパーキー・ライル(26セーブ)がいた。それなのに、ジョージ・スタインブレナー・オーナーはオフにはパイレーツからFAとなった同じく同年26セーブのリッチ・“グース”・ゴッセージ(彼は08年に殿堂入りしている。また、90年にダイエーに在籍したことをご記憶の方も多いだろう)を大枚はたいて獲得したのだ。

当時の守護神は、現在のように最終回だけを「締める」クローザーではなく、終盤のピンチの場面から登板し試合終了まで投げ切る「火消し」のファイヤマンだった(ライルは自分の結婚式では、消防車に乗って会場入りした)。したがって、両者が共存できるはずもなかった。翌78年、ヤンキースはゴッセージをメインの「火消し」として使用し、戦力的にダブついたライルは9セーブに終わり、オフには放出された。

要するに、まだFA補強のノウハウの蓄積がなかった当時、ヤンキースは自軍にはどんな戦力が必要か?という分析に基づいて必要なFAを獲得するというより、発生した有力選手を後先考えずにゴソっと獲る、という傾向にあった。

ちなみに、当時のヤンキースはこのような「被る」補強が他にもあった。80年オフのことだ。当時の主砲は言わずと知れた「ミスター・オクトーバー」の異名を持つレジー・ジャクソン。この年41本で3度目の本塁打王となった彼は、強烈なプライドの持ち主の「お山の大将」だった。なのに、スタインブレナーはパドレスからFAの超目玉選手デーブ・ウィンフィールドを、当時としては空前の10年総額2330万ドルという契約を提示し迎え入れた。自身の契約は5年296万ドルでしかなかった(それでも契約時点では相当な高額だった)ジャクソンは面白くない。フテた?彼は契約最終年の81年は低調に終わり、FAとしてエンジェルスに移籍。82年は39本塁打を放って、4度目の本塁打王に返り咲いた。

ヤンキースは、62年に20度目のワールドチャンピオンになった後、長い低迷期に入った。その理由としては、黒人選手の採用に出遅れたことに加え、65年にはドラフト制度が導入され、それまでのような知名度を利した有望なアマチュア選手の獲得ができなくなったことが挙げられる。

そんなヤンキースの復活に大いに寄与したのが、76年のFA制度の導入だった。スタインブレナーは、ジャクソンのようなスターFAを次々と買い漁って瞬く間に強豪チームを作り上げたのだった。それで、77-78年には連続世界一になるなど「カネでペナントを買った」のだが、ウィンフィールド加入初年度(ジャクソン最終年とも言える)の81年にリーグ優勝を果たしたのを最後に、再び長い低迷期に入る。前述のような、「取り敢えず獲っとけ」的な補強の限界が露呈したのだ。

その再びの低迷期が終わったのは、「買って来た選手」とデレク・ジータやマリアーノ・リベラらの生え抜きの若手スターがうまくシンクロするようになった90年代後半のことだった。

今回のチャップマンの獲得とミラーらとの棲み分け案は、40年近くを経て高い授業料を払いながら蓄積した経験とノウハウがあってこそ、と言えるかもしれない。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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