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松中信彦の引退は「自分から売り込む」ことになった時点から残念ながら必然だった

豊浦彰太郎Baseball Writer
最後の三冠王にして第1回WBC優勝の貢献者もバットを置かざるをえなくなった(写真:ロイター/アフロ)

現役継続を目指し所属先を探していた松中信彦は、結局引退することになったようだ。残念だが大方の予想通りだったと言えるだろう。

松中自身の意欲は強く、各球団に電話で売り込んでもいたようだが、彼が積極的に出れば出るほど球団側は引いていったというのが実情ではないか。それもそうだ。彼くらいの超大物になると、取り敢えずテストの機会を与えてしまうと、「テストの結果不合格です」と伝えるのは何かと抵抗感があるものだ。その意味では、オフの間どこからもオファーはなく、キャンプインの時期からは「古巣の新日鉄でトレーニングを継続しながらNPB復帰を目指し売り込んでいく」という形態になった時点で、可能性は潰えたと考えるべきだろう。

日本にもメジャーのキャンプのような、「ノンロースター・インバイティー」(登録外の「招待選手」と訳されるが、「招待された」というより「参加を許された選手」というのが実態に近い)制度があれば良かったのにと思う。メジャーでは登録枠は40人だが、キャンプ開始時点ではマイナーリーガーや事実上のテスト選手も含め計60人くらいが参加する。そして、1ケ月半前後のキャンプ期間の間にどんどん選別され「カット」されるのだ。したがって、松中の場合も舞台がアメリカなら「そうか、現役継続希望か。なら取り敢えずノンロースター・インバイティーでキャンプに参加しろよ」となる。そして、日本とは異なるドライな文化もあり、キャンプ中に「これではだめだな」となれば容赦なくカットされるのだ。

その点、今回の松中のケースでは、そもそもNPB球団がテストをオファーすること自体が、やっかいな問題を抱えることになるのだ。それが、どこからも機会をもらえなかった理由ではないか。必ずしも松中本人が嫌われたとか、不要と判断されたという訳ではないだろう。率直に言って「戦略ミス」なのだが、彼はアスリートであって、フィクサーやビジネスマンではない。彼自身の責を問うのは酷だ。むしろ、代理人が不在で選手組合がサポートしてあげていないことを問題点として指摘しておきたい。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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