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「PL学園野球部休部」、メディアが報じたのは問題の核心ではなく感傷だけだった

豊浦彰太郎Baseball Writer
PL学園の人文字応援も甲子園を沸かせた。(写真:岡沢克郎/アフロ)

7月15日、PL学園が夏の高校野球大阪大会の初戦で敗退、その歴史に幕を閉じた。当日のニュースでは、これを「最後の夏」としての感動物語として扱い、スタンドで観戦するOBの元プロ野球選手や11人(故障者がいたため実質9人)の部員の姿を追い、主将の涙を全国に伝えていた。

この試合の結果を報じるには多くの切り口がある。盛者必衰、栄枯盛衰の物語というのもそのひとつだろう。しかし、この高校野球の歴史に残る強豪が休部に追い込まれた背景にこそ、この日の試合を通じて人々に伝えるべきメッセージがあると思うのだが、そういう視点での報道は(予想通りだが)ほぼ皆無だった。

高校野球が感動的であることに異論は全くないが、理不尽な上下関係や部内での暴力行為など、高校野球が抱える数多くの問題を象徴しているのがPL学園だったことは間違いない。そして、それらの問題点は積極的にメディアで語られることはない。同校の場合は、死者まで出たことがあるようだが、それとて同様だ。

高野連は部員による不祥事が起こると対外試合禁止の処分を与えている。この軍隊まがいの連帯責任制度では、その不祥事が部内での暴力行為だったとすると、被害者の部員まで加害者同様にプレーの機会を失うのだ。理不尽なことこの上ない。しかも、延々と続けられているこの処分が、どれだけ効果を挙げているかが発表されたという話を聞いたことがない。効果が検証されない対策を長年継続しているとは、「Plan→Do→ Check」という概念は高野連には存在しないのだろう。ぼくは、対外試合禁止を課すより大事なのは、問題を起こした学校と一緒になって再発防止策を検討し、その実行をモニタリング、効果があればそれを成功事例として全国に紹介することだと思う。

結局、臭いものに蓋をするだけなのだ。

PL学園最後の夏の報道も、そうなってしまった核心には一切触れずお涙ちょうだいの部分のみにフォーカスしていた。メディアも高野連同様だったということだ。

高校野球の闇の部分も象徴していたPL学園野球部の休部は、この国民的行事の在り方が変わらねばならないという警鐘として高校野球ファンや関係者は真摯に受け止めねばならなかった。しかし、その報道が伝えたのは感傷や郷愁だけだった。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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