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「ヤンキース ジラルディ監督、ARODを打者1人だけ守備に」引退試合の演出への美学に関する日米の違い

豊浦彰太郎Baseball Writer
(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

ジラルディ監督は、ARODをヤンキースでの最後の試合での最終回に打者1人だけ守備につかせた。こもあたりに公式戦でのサヨナラ試合の演出に関する日米の違いが見られ、興味深い。

アレックス・ロドリゲスがヤンキースで最後の出場を終えた。ちなみに彼は「引退」とは一切口にしていない。巷噂されているように、マーリンズあたりに移籍する可能性は皆無ではない。しかし、ヤンキースの一員としてはもうこれ以上の出場はないはずだ。今回は、ARODの最後の試合を通じて、「引退試合」を考えてみたい。

日本ではあと1ヶ月半もすると「引退試合」の季節を迎える。そのシーズン限りで引退するベテランたちが最後の別れをファンに告げるため、ある者は特別にスタメン出場の機会を与えられ、ある者はそのために2軍から昇格して来たりする(逆に言えば、だれかが登録を抹消される)。そして、最後の打席なり登板で、対戦相手は明らかに手心を加えた対応をする。わかりやすく言えばわざと打ちやすいタマ投げたり、意図的に空振りしたりするのだ。ぼくは公式戦でこの八百長まがいの行為が横行していることに辟易としているのだが、多くのファンは感動し素直に受け入れている。おそらく、球界全体のフェアネスやこのゲームへのリスペクトという大局的な見地ではなく、愛する球団や思い入れのある選手に対する視点のみで見守っているからだろう。

で、ARODの(ヤンキースの一員としての)引退試合である。その12日のレイズ戦、ジョー・ジラルディ監督は、彼を3番DHでスタメン起用した。ARODが7月下旬以降、ほとんど干された状態であったことを考えると、公式戦でのこのような「NPB的」起用にぼくは戸惑ったが、基本的にはつい先日まで中軸打者であったのだから、これはギリギリ許容範囲と考えるべきかも知れない。

実は、その寸前のボストンでのシリーズ最終戦でも、彼はスタメン出場しているのだが、その時はジラルディに「三塁手で起用してくれ」と頼み、断られている。2014年の出場停止期間後は、彼は基本的にDHで起用されている。このジラルディの判断を「矛盾している」と指摘することもできるが、「引退試合」と公式戦という「真剣勝負」の線引きに関するジラルディなりの美学が感じられ、興味深い。

そして12日のレイズ戦の最終回、ジラルディはDHのロドリゲスを三塁守備に守備につかせた。しかし、先頭打者が三振に倒れたところで、ARODは退いた。大歓声と拍手が彼を見送った。「何で、スリーアウトまで守らせてあげないのか?」と思った方もおられるかも知れない。これは、ファンにロドリゲスを見送り別れを告げる機会を与えてあげるためのジラルディの配慮だった、と考えるべきだろう。イニング終了まで守備につかせるとそのための時間を持つことができなくなるからだ。また、ここにも「一線」に関する彼のフィロソフィーを見てとることができる。

NPBでは、かつて引退試合のベテラン選手が最後の外野守備につくと、相手打線まで必死になってそこに打球を飛ばそうとする滑稽な場面があったが、ジラルディの判断は大スターの引退試合における演出とペナントレースへのリスペクトを微妙なバランスで両立させたファインプレーだったと言えるだろう。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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