Yahoo!ニュース

広島の黒田博樹は、演出されたセレモニー登板ではなく最高の真剣勝負で現役を去る

豊浦彰太郎Baseball Writer
今回の引退決意は、2年前の日本復帰に通じる自らの信念への忠実さを感じさせる(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

黒田博樹が日本シリーズ後の引退を発表した。キャリアのどのタイミングで引退を決意するか、それをいつ発表するか、これは難しい問題だが黒田らしさが現れていたと思う。

黒田は41歳で迎えた今季もしっかりローテションを守り、2年連続で規定投球回数をクリアし2ケタ勝利を挙げている。「9回を投げられない体になった」とも語っていたが、加齢により自身が満足できるパフォーマンスが発揮できなくなったと言える水準ではない。彼は「リーグ優勝がひとつの区切り」だったとも述べている。引退の主たる理由は、2年前に日本球界復帰を決意した段階から心に決めていた「NPBで、カープで成し遂げたいもの」を達成したから、と考えるべきだろう。

ぼくは多くのファン同様に黒田を敬愛している。プレーヤーとして卓越していることはもちろんだが、もはや野球選手という枠を超え、一人の人間としてリスペクトすべきだと思う。

その理由は、「世俗的な価値観に惑わされず、自らの信念に沿った決断を下している」ことだ。人間、誰しも世間一般の価値観や周囲の人々の意見に影響を受けがちだ。「周りがどうであれ、自分はどうしたいのか」ということに忠実になるのは難しいことだが、それを実践したのが今回の引退の決断であり、2年前のNPB復帰だった。あの時は、メジャー球団の20億円を超えるオファーを断って広島復帰を選択したため、「カネより古巣への愛を優先した」ことが話題になったが、ぼくはそれが偉いとは思っていない。

この場合は、世間一般の価値観が「カネ」であり、自らの信念が「カープ愛」だっただけで、この二者が全く別物でも黒田の偉大さは変わらない。極端な例として「みんなが帰属意識を優先する中で、プロとしてより高い評価をしてくれる球団を優先する(言い換えれば、カネを優先する)」なら、そのブレない信念にぼくは敬意を表する。したがって、「カネよりもカープ愛を優先した」こと自体は一つの価値観でしかなく、普遍的にそうすることが美徳なわけでない。

また、引退発表のタイミングが良かった。この選択肢としては、シーズン終盤、日本シリーズ前、そしてシリーズも含めすべてが終わった後、の3つがあったと思う。近年のトレンドはシーズン終盤だ。その場合、公式戦でセレモニー色の強いお別れ登板がセットされた可能性が高かったと思う。黒田の場合は実力がまだエース級なので、DeNAの三浦大輔のケースのようなチームの勝利度外視の「感動登板」とはならなかったと思うが、メジャーで7年間を過ごした彼は、公式戦でこのような行為がシーズン終盤に恒常化している現状を良しとしなかったのでは、と思いたい。かと言って、日本シリーズが終わった後では、ファンに現役選手として別れを告げる機会がない。必要以上に自らの進退で周囲を騒がせずに、別れを惜しむ機会をファンに確保はできる。そんな過不足ないタイミングがシリーズ前ではなかったか。最後の舞台が、セレモニー登板ではなくこれ以上はあり得ない真剣勝負であるのは、彼に相応しい。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

豊浦彰太郎の最近の記事