カープは、黒田博樹の「15」欠番化を機に過去のレジェンド達への評価も議論して欲しい
広島が今季限りで引退する黒田博樹の背番号「15」を欠番にするという。とても良いことだ。
理由として、「お金以外の価値観」を示したことも挙げられている。
このことは、事実としては否定しないが、それは第三者が述べることであって選手にサラリーをオファーする立場にある球団側がそう語っては苦笑するしかないが、選手の功績を欠番にするという行為で示すこと自体は大賛成だ。メジャーに比較すると、NPBでは背番号をお相撲さんや歌舞伎役者の名前のように「受け継ぐもの」とする風潮を感じるが、欠番は偉大なプレーヤーの功績を語り継ぐには良い手段だ。欠番認定に関心を示さない球団も少なくはないが、これを機に他球団にも広まって欲しい。
ただし、その広島にも課題はある。黒田の「15」の欠番化にはなんら異論はないが、すでに野球殿堂入りすら果たしている外木場義郎の「14」、北別府学の「20」、大野豊の「24」等との整合性をどうするのか、というバランスの問題だ(同じ殿堂入りでも、津田恒美の14*に関しては実績の面で、ぼくは賛同できないが)。また、「18」を背負った長谷川良平のような創世記の名選手や黄金期を率いた「72」の古葉竹織に対する評価も、これを機に大いに議論して欲しい(彼らも殿堂入りしている)。
- 当初15と記しておりました。彼の全盛期である球宴転向後は14であることを見落としておりました。お詫びして訂正いたします。(豊浦彰太郎)
NPBで永久欠番の風習が定着しないのは多くの理由があるが、その1つがここに上げた公正性の確保や欠番化のロジックの難しさだろう。それに、球団によっては経営母体が異なる時代をどう扱うかという問題もある。球団の歴史に詳しいスタッフも、あまりいないのかも知れない。メジャーでは、ドジャースなどはフロントオフィスに公式のポストとし「ヒストリアン(歴史家)」を配置しているが。
いずれにせよ、今回の黒田の欠番化がアドホック的なアドバルーンで終わらぬことを望みたい。