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オリックス福良監督による「怒カン」連発が象徴する日本球界の問題点

豊浦彰太郎Baseball Writer
(ペイレスイメージズ/アフロ)

オリックスのキャンプでの福良監督の再三の「怒カン」が話題になっている。一連のカミナリ投下は、日本球界が内包する以下の点に関する問題点を象徴しているようだ。

監督者の役割

報道されている部分で判断する限り、監督者たる福良淳一氏は鬼軍曹の役割を担っている。また、選手の稚拙な技術の改善にも熱心なようだ。しかし、監督の役割はコーチングではない。それは、コーチなりインストラクターが担当すべきことで、監督がダイレクトにその分野に参入すると、彼らの立場を曖昧にしてしまう(コーチに「鬼」になれ、と言っている訳ではない)。監督はそのことよりも、バントが下手な選手や体重―オーバーの選手がいることを踏まえ、ベストな編成を組み、ベストな結果を引き出すことに集中すべきだと思う。

監督と選手のあるべき関係

プロ野球チームという、個性的な特殊技能者集団をまとめ上げるには色々なアプローチがあるが、福良監督は懲罰を用いる脅迫型マネジメントのようだ。ぼくは、選手がプレーし易い環境(設備のことではない)を整え、鼓舞してあげるほうが遥かに効果的だと思っているが、彼はそうではない。イマドキ、NPBも変わりつつあるようだが、それでも彼は決して特殊な部類ではないように思える。

昼食を抜くことが午後のトレーニングにどれだけ効果的か疑問だし、同じ練習を数時間繰り返させることは、それが自発的でない限り手中力の維持と言う点でも意味はないと思う。技術が伴わない選手には、出場機会を失うという最大のペナルティが待っている。それなのに、ファンやメディアの前で恥をかかせることが必要だろうか。そのような選手を諫める必要があるなら、人目に付かぬところで行うくらいの配慮が欲しい。

また、体重オーバーの選手に対し、それだけで降格を命じるのも理解しがたい。体重オーバーは褒められたことではないが、選手は球団と契約関係にある個人事業主であり、監督やコーチの弟子ではない。降格はあくまでグラウンド上の「結果」に依らなければフェアではない。これは不当な虐待だろう。

ファンダメンタルへの信仰

バントやヒットエンドラン、進塁打をそつなくこなせることはとても大事なことだ。しかし、それ以上に大事なことはしっかりした打力、選球眼、長打力を備えていることだ。福良監督を始め、日本球界指導者のファアンダメンタルへの傾倒ぶりは、ぼくには行き過ぎた信仰のように思える。仮に懲罰として昼食を奪うことが必要なら、その餌食になるのは撃練習で凡打を繰り返す選手であるべきだ。

メディアの役割

パワハラまがいの管理に対しても、メディアは一向にジャーナリスティックな提言がない。もっと端的に言えば、日本のスポーツメディアは球団に批判的な書き方は決してしない。このことは、彼らが取材対象と健全な距離や関係にはないことを示しているように思えてならない。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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