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MLB、引退する「世紀の誤審」の審判は、あのWBCでの判定で知られるデビッドソンではない

豊浦彰太郎Baseball Writer
「世界のオー」も困惑表情のデビッドソン審判の判断だったが・・・(写真:ロイター/アフロ)

現地時間の2月21日、MLBの4人のベテラン審判の引退が発表された。その中には、2006年WBCの日本対米国戦での議論を呼んだ判定で知られる、あのボブ・デビッドソンも含まれていたため、多くの日本メディアは「世紀の誤審の審判が引退」という論調でこのニュースを報じた。しかし、現地では同じ「世紀の誤審」でも、違う人物にスポットを当てた報道が圧倒的に多かったように思う。

それは、現在61歳のジム・ジョイスだ。メジャーで29年間審判を務めた彼は、選手間の評価もとても高かったのだけれど、「世紀の誤審」で球史に名を残している。

その「誤審」は、2010年6月2日、デトロイトのコメリカ・パークでのタイガース対インディアンス戦で起きた。タイガースの先発投手アーマンド・ガララーガは、9回2死まで相手打線をパーフェクトに抑える完璧な投球を披露。最後の打者(となるはずだった)ジェイソン・ドナルドも一塁ゴロに打ち取った。一塁手のミゲール・カブレラが捕球し、ベースカバーに入ったガララーガにトス。ベースを踏んだガララーガはその瞬間歓喜の表情を見せた。しかし、塁審ジョイスが下した判定はセーフ。打者走者の着塁のほうが早かった、と判断したのだ。この瞬間、完全試合どころかノーヒットノーランも水の泡に。しかし、ガララーガは気落ちせず、次打者を打ち取り完封勝利は記録した。

ジョイスのコールは誰の目にも誤審に見えたが、試合後、ガララーガは「自分では完全試合を達成したと確信している」としながらも、「完全な人間などいやしない」とジョイスを庇った。また、ジョイスも「あれは誤審だった」と認めている(もっとも、ビデオのリプレーでは、打者走者よりガララーガのほうが早かったのは明白で、あれを多くのファンが見ている以上、自らのジャッジの正当性を主張するのは不可能だった)。翌日には、球場でもジョイスはガララーガに謝罪。この2人のスポーツマンシップは大きなニュースとなった。問題のプレーでの一塁ベースは、その後クーパースタウンの野球殿堂博物館に寄贈されている。また、この一件は、当時まだホームラン判定にしか適用されていたなかったビデオリプレーの用途拡大の議論に影響を与えたことは間違いなく、それは2014年からのチャレンジシステムの導入となって実現した。

もっとも、この感動劇が「ビジネスになる」と踏んだしっかり者もおり、翌年2人は共著という形でこの一件に関する本「Nobody's Perfect (誰も完全じゃない)」も出版した( アメリカでは著名人の口述筆記本では、必ず共同ライターの名前も併記される。したがって、この本はライターのダニエル・ぺイズナーも含めた3人の著作だ)。この本の出版以降、MLBは規約に則り、ガララーガの所属する球団の試合で、ジョイスは審判を務められないことを発表した。2人はいわばビジネスパートナーだからだ。

話をもう1人の誤審王?デビッドソンに戻そう。日本では、彼を語る際には「誤審」「誤審」「誤審」の一辺倒だが、ぼくはこれにはやや抵抗がある。ベースボールにおいては、映像での確認を併用するか否かを問わず、審判のジャッジこそが「正」であるということには変わりはない。2006年のWBCでも、ルール上は三塁走者のタグアップ(タッチアップというのは和製英語だ)は球審の判断となっていた。実際に、三塁走者の西岡剛の離塁とアメリカの左翼手ランディ・ウィンの捕球のどちらが早かったかは大いに議論の余地があるが、責任審判が下した判定こそが正なのだ。

したがって、ある意味ではベースボールの世界に誤審は存在しない、とも言える。例外があるとすれば、それこそ2010年のジョイスのように、審判自身がそれを認めた場合だろう。だからぼくは、21日に引退を発表した4人の審判のうち、「世紀の誤審の」という形容に相応しいのはジム・ジョイスだけだと思っている。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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