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デジタル経済への転換で成長を図る英国

津田建二国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長

英国には、アイザック・ニュートンやジェームズ・ワットなど技術革新につながる大発明・大発見を行ってきた歴史がある。イノベーションは英国の強みである。イノベーティブな伝統的は今でも生きている。半導体ビジネスで新しいビジネスモデル「IPビジネス」を打ち立てたARM、ハードウエアを変えずにソフトウエアを変えることで様々な機能を実現するマシン「コンピュータ」の概念を打ち立てたアラン・チューリング、音楽の世界でもビートルズやローリングストーンズなど英国から生まれた。ボブ・ディランでさえ、英国ウェールズ出身の詩人デュラン・トーマスから、その芸名をとった。英国にはイノベーションが実に多い。ARMは日本と米国で稼ぎ、コンピュータは米国で誕生した。音楽では米国で英国ミュージシャンの活躍が顕著に表れた。

しかし、悲しいかな、イノベーションをビジネスにつなげることはあまり得意ではない。だからこそ、商用化があまり上手ではない英国では、大学の優れた研究をビジネスにつなげ、経済成長を図ろうとするプロジェクトを進めている。ドイツのフラウンホファー研究所をモデルとした産学共同の仕組み「デジタル・カタパルト」である。カタパルトとは、Y字形の小枝にゴムを付けて小石を飛ばすパチンコのこと。「勢いをつけて成長する」という意味合いを含んでいる。

この政府主導のプロジェクトでは、大学や国立研究所の基礎研究を商用化する道筋をつけるために活動する。特に研究に経済的価値を創出しようとしており、ビジネスや業界とのつながりを強めることに集中する。そのためには、公的機関と地方行政、大企業(多国籍企業)、ベンチャー企業などが協力して面白い研究とビジネスをつなげ、エコシステムが働くように取り計らっていく。

図1 デジタル・カタパルトの主席コンサルタントだったPaul Egan氏
図1 デジタル・カタパルトの主席コンサルタントだったPaul Egan氏

具体的には、英国全土にある大学や産業界をつなげ、商用化するためのエコシステムを形成している。英国には、800年以上の歴史を持つケンブリッジ大学をはじめ、昔からアカデミアに強いという伝統がある。「さらに工業界のプレゼンスと、商用化のエコシステムがあり、それぞれが専門的な拠点を持っているため、それらの間でシナジー効果を創出できる」とデジタル・カタパルトのPrincipal Consultant(主席コンサルタント)であったPaul Egan(ポール・イーガン)氏(図1)は言う。

このデジタル・カタパルトは英国全土で11ものプロジェクトがあり、それらがつながっている。高付加価値製造(High Value Manufacturing)プロジェクトは全土にあり、ケンブリッジには高精度医療プロジェクト、スコットランドにはオフショア再生可能エネルギープロジェクトなどがある(図2)。高付加価値製造では、航空機エンジンを製造しているRolls Royceから一人のベンチャーまでもが揃っている。さらに、細胞と遺伝子治療カタパルト、などがある。スコットランドにあるオフショアの再生可能エネルギープロジェクトでは、企業に電力エネルギーを提供し、研究開発に生かす。英国の中央にはエネルギーシステムのカタパルトがあり、ここに多くの発電企業が集まっている。ここでは発電に関するテクノロジー開発が行われている。

図2 英国全土に広がるデジタル・カタパルト拠点
図2 英国全土に広がるデジタル・カタパルト拠点

金融の街、ロンドンには、デジタルエコノミーの企業が集まっており、ここでデジタル経済を強くしていく。2016年はじめのEconomist誌によると、英国におけるデジタルブロードバンド化はわずか7%しかなく、韓国の11%強に比べると低い。ここで古い経済をブロードバンド化したデジタル経済に変換していかなければならない。デジタル経済に変換すれば経済を活性化できる。簡単に言えば、デジタル・カタパルトとは、英国経済のデジタル化を支援することだといえる。

デジタル・カタパルトは、未上場企業であり、NPO(Non-Profit Organization)のように利益は出さない。収入は、政府の支援が1/3、共同研究開発プロジェクト(欧州大陸のHorizon 2020などから)が1/3、ビジネス活動が1/3となっている。

デジタル・カタパルトが支援するビジネス活動とは何か。オープンイノベーションの仕組みを使って、世界中の大企業や中小企業と一緒に開発し、商用化することである(図3)。特にイノベーションの開発に迫られている企業と一緒に開発する。英国内の企業だけではない。海外の企業とも組んでビジネス化へつなげていく。

図3 デジタル・カタパルトに参加する企業には多国籍企業も
図3 デジタル・カタパルトに参加する企業には多国籍企業も

図3 デジタル・カタパルトに参加する企業には多国籍企業も 出典:Digital Catapult

ロンドンのデジタル経済カタパルトでは、例えばクレジットカード大手の金融企業VISAと一緒に支払いの認証システムについて開発しているという。デジタル・カタパルトセンターがプログラムを運営し、20社のイノベーターを紹介する。完全にオープンなセッションで、VISAと認証システムについて研究する。バイオメトリックスや物理的な方法をはじめ、ありとあらゆる方法について調べ、よりよい方法を編み出す。デジタル・カタパルトは、大規模なアセットを持ち、すべてのコミュニティとつながっている。まるでマフィアのようだと言われることがあるとPaul Egan氏は冗談交じりに苦笑する。

デジタル・カタパルトは英国政府が立ち上げた組織である。6~7年前に、有名なアントレプレナーであるHermann Hauser(ハーマン・ハウザー)氏が設立したAmadeus(アマデウス)というVCがメンバーにいる。彼はARM社の前身であるAcornコンピュータを設立した人物だ。彼は2016年に辞任したデビッド・キャメロン首相が在任当時、首相に尋ねた。「なぜUKは、イノベーションをたくさん持っているのか。実に大規模イノベーションを生み出してきた。UKは偉大なアイデアが多く、最初に発明・発見したことも多い。しかし、ビジネスはうまくない。だからこそ、現状をしっかり把握すべきだ」と進言したという。

今、日本のエレクトロニクス、ハードウエアメーカー、半導体メーカーはやや委縮している。霞が関はIoTを叫ぶものの、具体的に何をどうしようとするのか、明確ではない。ソサエティ5.0だの、CPS(Cyber Physical System)だの、抽象的な言葉だけが並ぶ。筆者が知らないだけのことかもしれないが、情報化社会であるソサイエティ4.0と政府が打ち出したソサエティ5.0の違いが全く分からない。ソサイエティ1.0は狩猟社会、2.0は農耕社会、3.0が工業化社会である。4.0の情報化社会と5.0との違いは全く見えない。ウェブで資料を探してもそのことについて触れられたものを見たことがない。政府は、言葉を煽るのではなく、中小企業、大企業が自ら動きだせるように支援することこそ、重要なミッションではないか。研究開発とビジネスの橋渡しをすることに知恵を絞るべきではないだろうか。

(2017/01/15)

国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長

国内半導体メーカーを経て、日経マグロウヒル(現日経BP)、リードビジネスインフォメーションと技術ジャーナリストを30数年経験。その間、Nikkei Electronics Asia、Microprocessor Reportなど英文誌にも執筆。リードでSemiconductor International日本版、Design News Japanなどを創刊。海外の視点で日本を見る仕事を主体に活動。

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