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【FIA-F4】ホンダ系ドライバーで最初の優勝は大滝拓也。スカラシップ落選からの大逆転!

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
FIA-F4 鈴鹿で優勝した大滝拓也

ランキング16位の選手が初優勝!誰もが予想だにしない結果だった。

8月27日(土)、SUPER GT「鈴鹿1000kmレース」の前座レースとして開催された「FIA-F4選手権」第11戦でポールポジションから独走で優勝したのは大滝拓也(おおたき・たくや/20歳)。若手ドライバー育成に主眼を置いたフォーミュラカーレースとして知られる同選手権で、ホンダ系若手ドライバーの中で初めての優勝を勝ち取った。

FIA-F4 第11戦で優勝した大滝(中央)【写真:MOBILITYLAND】
FIA-F4 第11戦で優勝した大滝(中央)【写真:MOBILITYLAND】

2015年、スカラシップ落選

2015年から始まった「FIA-F4選手権」はSUPER GTを統括するGTアソシエイションが主宰する若手育成を主体としたフォーミュラカーレースである。ホンダ、トヨタのドライバー育成枠を勝ち取った優秀なティーンエージャーに加え、トップドライバーを目指す期待の若手が参戦。人気絶頂のSUPER GTに帯同して開催されるため、エントリー台数は毎戦30台を超える盛況ぶり。日本のトップドライバー候補生はまさにこの「FIA-F4」に集まっているといえよう。

FIA-F4 第11戦のスタート 【写真:MOBILITYLAND】
FIA-F4 第11戦のスタート 【写真:MOBILITYLAND】
大滝の胸にスカラシップ生であることを示すホンダのマークは無い。
大滝の胸にスカラシップ生であることを示すホンダのマークは無い。

そんな中で第11戦・鈴鹿で初優勝を飾った大滝拓也はホンダ系の育成枠で今季から「FIA-F4」に参戦。ホンダ系チームとしては4台がエントリーし、SRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ)の卒業生がそのマシンをドライブしている。そのうちの3人が「HFDP/SRSコチラレーシング」というエントリー名であるが、大滝拓也だけは「SRS コチラレーシング」という異なる名前。そう、彼は「HFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)」の冠が無い=ホンダのスカラシップを得ていないドライバーなのだ。

佐藤琢磨、松田次生らのトップドライバー、さらには山本尚貴、野尻智紀、松下信治らのホンダ系プロドライバーを数多く輩出しているレーシングスクール「SRS-F」。成績優秀者にはホンダのスカラシップとして翌年のレース参戦が支援される。大滝も「SRS-F」に昨年挑戦し、最終のスカラシップ選考会まで駒を進めていた。ホンダのスカラシップ枠を得られるのは2人というのが恒例。卒業レースを経て、首席卒業が阪口晴南(さかぐち・せな)、次席卒業が牧野任佑(まきの・ただすけ)。この2人にホンダのスカラシップが与えられた。

鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(2015年卒業レース)
鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(2015年卒業レース)

大滝はスカラシップ選考に落選したものの、次席の牧野と先輩ドライバーが全日本F3選手権に昇格したことで枠が一つ空き、「SRS コチラレーシング」からの参戦枠が与えられた。とはいえ、大滝はスカラシップを得られていないため参戦費用は自分で工面しなければならない。苦しい立場ではあるが、何とかその枠に滑り込むことができたのである。

スカラシップ生を退け、2015年、16年を通じて「FIA-F4」でホンダ系ドライバーとしては初めて優勝した大滝拓也とはどんなドライバーなのだろう?

FIA-F4を戦う大滝拓也【写真:MOBILITYLAND】
FIA-F4を戦う大滝拓也【写真:MOBILITYLAND】

山形生まれ、ゲームから始まったレースへの道

大滝拓也はすでに20歳になっている。東北・山形で生まれた彼をレースに導いたのはプレイステーションのゲーム「グランツーリスモ」だったという。3人兄弟で仲良く自宅で「グランツーリスモ」を楽しんでいた時にドライビングの世界に興味を持った。

今から5年ほど前、「グランツーリスモ」をオンラインで楽しみ、世界中のゲーマーたちと腕を競い合っていた大滝はヴァーチャルの世界で鈴鹿サーキットを走り、世界ナンバーワンのトップタイムを叩き出していたという。「グランツーリスモ」には「GTアカデミー」というリアル(現実)のレーシングドライバーを目指すプログラムがある。日本でもルーカス・オルドネスやヤン・マーデンボローなどのニッサン系の選手が「GTアカデミー」を勝ち抜き、現実の世界でプロドライバーとして活躍していることは既におなじみだ。

「ゲームを通じて走ることに興味を持ちました。(ゲームの中の)鈴鹿で世界一のタイムを出して、F1ドライバーになりたいと思いました。でも、当時、日本人には実車を使ったプログラムに参加する枠は無かったんです。ゲームの世界しか知らなかったから、F1ドライバーになるにはどうしたらいいのかも分かりませんでした。そんな時にたまたまテレビでレーシングカートのレースを見て、14歳、15歳っていう同年代の選手が出ているのを見て、レーシングカートに乗ってみたいと」

父親に懇願して始めたレーシングカート。ただ、既に中学生から高校生になろうという年頃だった。親がレース好きでカートを4歳くらいから乗り始めるという近年の典型的なパターンとは異なり、大滝はゲームから始まり、カートに乗り、しかも年齢的には遅いキャリアスタートを切ったのである。

F1を目指したいからSRS-Fを選んだ

大滝はレーシングカートのレースに参戦すると、カートソレイユ最上川、スポーツランド菅生などのローカルレースでチャンピオンに輝く。

「最高峰の全日本カート選手権に参戦する金銭的な余裕はありませんでした。参戦していたレース(ROTAX MAX)で世界大会に行く道もありましたが、世界一になってもF1に行けるわけではないので、レース活動を休んで、お金を貯めることにしました」

カートのレース活動を休止した大滝は日当の高いアルバイトを選び、2年間働き続けたという。同時に山形大学・工学部にも進学したが、サークル活動などのキャンパスライフを楽しむ暇もなく、ひたすら働いた。彼には目標があったからだ。

「僕はF1ドライバーになりたい。F1を目指す上で、F1までルートが繋がっているのはホンダだから、SRS-Fの存在を知ってチャレンジしたいと。2年間、アイドルのコンサートスタッフとかもやりました。アイドルは全然興味なかったですけど、我慢してやっていましたね」

鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)
鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)

そして、SRS-Fを受講するも、ライバルとなる同期にはレーシングカート界で数々の輝かしいキャリアを持った面々が揃いに揃っていた。ホンダが再びF1に参戦するようになり、ホンダの育成枠を目掛けてライバル達がこぞってやってくるのは当然である。

「2015年のレッスンが始まった頃、僕は(同期の)ライバルから2秒離されていました。みんな昔からカートをやっているので、講師の皆さんとも顔見知り。でも、僕のことはサーキットで見かけることもなかったから、講師の先生方も、お前、大丈夫か?って感じでしたね。そんな中で、スカラシップ選考会に進んで、トップタイムを取ることができました」

残念ながらホンダのスカラシップは獲得できなかったが、レースキャリアを休止しながらも1年のスクールで目覚ましい成長を見せた大滝の姿を講師陣はしっかりと見ていたのだろう。別格とも言えるキャリアの持ち主だった阪口、牧野だけでなく、大滝にも「FIA-F4」への参戦がオファーされた。

スカラシップ発表前の大滝拓也(一番右)
スカラシップ発表前の大滝拓也(一番右)

子供の頃から培った探究心

今季、「FIA-F4」に滑り込みで参戦することができた大滝拓也。参戦するために自らスポンサー交渉をし、その思いが通じて地元、山形では多くの企業やメディアが注目してくれるようになる。そして、今は通学する山形大学もスポンサーとなり、大滝のレース活動を支援している。それに応えるべく、彼は「FIA-F4」のレースに集中した。

岡山国際サーキット、富士スピードウェイ、スポーツランド菅生。経験がライバルに比べて圧倒的に少ないサーキットでは予想通り苦戦した。最高位は8位が2回。残り2大会となる鈴鹿サーキットに来るまで、ランキングは16位と低迷していたのだ。そんな中での突然の優勝。彼の中でいったい何があったのだろう?

ポールポジションの位置につく大滝拓也
ポールポジションの位置につく大滝拓也

「結果が残せていなかったので今回(鈴鹿)も不安でした。僕は元々、走りに対する理想が高いんです。だからコーナーでも頑張りすぎて、ブレーキで無理やり突っ込んでって(タイムにつながらない)。シーズンを通じて自分のドライビングを煮詰めていって、今回やっと理想に持っていくことができました」

走り慣れた鈴鹿だから良かったのか?いや、彼と話を進めていくと、彼が急に速さを見せたのは子供の頃からの環境に理由があるとも感じる。

「ゲームをやっていた時代から、僕は探究心旺盛でした。ゲームの中でもどこでどのくらい差が付いているのかを常に考えて走っていました」と大滝は語る。何度もやりなおしがきくゲームの世界。考えながら走るという方法はゲームの時代からやっていたことなのだ。

やってきたことは間違っていなかった

「FIA-F4」は全車が同じ車体、エンジン、タイヤを使用するワンメイクレース。条件は同じ、イコールコンディションである。とはいえ、自動車レースの世界では同条件といえども僅かな個体差やメンテナンスガレージによる部品管理などの違いから、そこが差となってあらわれることがある、というのが定説。良いチーム体制、良いクルマが無ければ、自動車レースでは勝利できない。しかし、大滝はクルマに対する言い訳はしない。

「正直、車の差は感じ取れません。自分がこうすれば速くなるという理想があって、単にそれができていないだけです。スクールの頃からライバルは速いけど、彼らも決して完璧な走りではないと思ってきました。生まれていた差は自分のドライビングで改善できると思っています」とキッパリ。

「僕がやってきたことは間違いじゃなかった。その辺は安心しました。優勝して、チームの皆さんがかけつけて自分のことのように喜んでくれているのが嬉しかったです。やっとライバルと同じレベルにまで来れたと思います。これから今回以下の結果は無いと思っています。だから、最終戦・ツインリンクもてぎでは3レースともポールからの優勝を狙います」

大滝拓也
大滝拓也

ゲームに興じ、ヴァーチャルの世界で走り込んで研究した鈴鹿サーキット。その時代から5年、現実の世界で初めて出場した鈴鹿サーキットの公式レースで、大滝はいきなり優勝を飾った。その表彰台で、彼は感極まり、大粒の涙を流した。本人は泣く気は無かっただろうが、いろんな思いがこみ上げてきた。彼の現実での戦いはまだ始まったばかり。大滝拓也の強みは「速さに対する探究心」そのものだ。

【大滝拓也(おおたき・たくや)】

1995年10月11日生まれ。山形大学・工学部在学の大学生レーサー。2016年は「SRSコチラレーシング」より「FIA-F4選手権」に参戦。フォーミュラカーでの実戦レースは今季がデビューイヤー。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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