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「協力ブロガーをdisるヤフー・ジャパンは自由な意見を言える素晴らしい会社」なのか 意見と所属

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

Facebookを開いたら、永江一石氏のエントリーが話題になっていた。簡単に言うと、Yahoo!個人で自分の書いたエントリーについて、ヤフー・ジャパンの社員がdisりコメントをしたところ、もうYahoo!個人で書くのは辞めることにした、という話だ。それは個人の意見なのか、会社を代表する意見なのかということが議論になっているようだ。

よりシンプルに考えたい。意見は意見である。それだけだ。そして、ネット上の論争というか、炎上というか、トラブルというのはいつもこんな風に起こるのだ

さらに言うならば、人間は所属する組織から逃げることができない。

世の中、そんなもんである。

■理想をいったん手放して、「意見」について確認しておきたいこと

ネットで議論を深めよう、ネットが個人の意見を解放するなどと言われて久しいけれど、とはいえ、私たちはネットで数々の失敗を繰り返してきた。

今回の件でも、人間の「しょーもない」習性を確認しておこう。

1.「何」を言ったかだけでなく、「誰」が言ったかが大事である。

これは、「Yahoo!個人」というサービスを提供している「ヤフー・ジャパン」の「佐野氏」がコメントしたから特に問題になったのであって、「名無し」の人の、よくある匿名disりコメントだったら、永江氏はスルーしていたかもしれない。よくある光景だ。

「誰」が言ったかが問題だ。

2.「所属」は責任を伴う

今回のコメント主はサービス提供元であることで問題になったわけだが、さらに「ヤフー・ジャパン」という大企業だったから話題になったと言えるだろう。

「佐野氏」という人を、私は知らない。おそらく、普通の人は知らない。でも、「ヤフー・ジャパン」という大企業の社員だから(それなりに)有名になってしまった。しかも、サービスの提供元だ。名も無きベンチャーの社員だったら、ここまで話題にならない。

人は人をレベルだけでなく、ラベルで見ている。

サラリーマンでソーシャルメディアをやっている人は、「慶應経済/上場IT企業勤務/ジョブズを崇拝/優しい革命/マイクロファイナンス/セミリタイヤして高知に移住」なんていう意識の高いプロフィールの隣に「※発言内容は所属する組織とは関係ありません」などと書いていたりする。

しかし、だからと言って、何を言ってもいいというわけではない。いや、言ってもいいのだけど、とはいえ責任は発生する。「人類の次の進化のためには核兵器による浄化が必要だ」「ラプラスの箱は絶対に封印しなければならない」なんてことをツイートしていたら「危ない人だな」と思ってしまう(元ネタは『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』と『ガンダムUC』な)。

それが、ちょっと有名な企業に勤めていたりすると、「◯◯社の社員がバカなことを言っていた」という話になる。発言した人は、所詮、◯◯社ほどは知名度がないので、◯◯社の社員という肩書がひとり歩きしていく。

社名は、いくら隠しても、いくつかのつながりを見ていったら、特定できたりするし。

3.何かを発信する人は承認を求めている

→なんだかんだ言って、情報を発信する人は、好意的な意見、承認する意見を求めている。「しょーもない記事だ」という反応はこれ自体が「しょーもない意見」なのだけど、意見は意見である。

ただ、disりコメントよりは、承認コメントを人はどこかで期待していないか?

というわけで、このシンプルな法則というか、「しょーもない」習性を確認しておきたい。

今回の「佐野氏」の発言自体も「しょーもない」感じでなかなか残念なのだけど、これは組織内の個人が何か言うことの難しさを可視化してはいる。

私自身、サラリーマンを3社で15年経験してフリーランスになった。サラリーマン時代に著者デビューしていたし、ブログもずっと書き続けてきたわけだが、「所属」するものがネット上で何かを発言する場合は、いくら釈明しても「所属」の責任は伴うものである。特に、2社目の大手メーカーを辞めたのは、所属しながら本を書いたり、ブログを更新することに対して(特に前者に対して)制約を感じたからだ。

とはいえ、組織人が意見を発信することは大事だと思う。いや、「意見を発信」というほど立派なものではなくても、何かを発信する自由というものはあるのだ。責任も伴うのだけど。

「サラリーマンブロガーの書くことは面白くない」なんて意見も聞いたような気がするが、いやいや、組織に所属せずふらふらしている人よりもよっぽど勉強している人、面白い意見を持っている人(発信するかどうかは別)はいるわけで。

本人たちや、所属する企業の感情を、いったん無視して言うならば、そもそも永江氏がネット界でそれなりに有名だから話題になったわけで、個人のFacebookのやりとりなら、よくあるエントリーとそれに対する反応という感じだ。

これで、「サービス提供元なのにも関わらず、意見を言うYahoo!社員すげえ」「協力ブロガーをdisることを黙認するヤフー・ジャパンってすげえ」という話にならないこと、「ちゃんと読んでくれてありがとう」という話にならず、それなりに話が大きくなるということは、みんなの物の見方は硬直しているし、一方でネット界って実は平和なのかもしれない。

何かを発信すれば、それなりに嫌な思いもする。しょうもないエントリーもあれば、しょうもないツッコミもある。で、しょうもない意見も、意見ではあるし、しかし、そのしょうもない意見によって「こいつバカだな」と思われるリスクを抱えている。ネットとはそういうものだ。

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しょうもない意見だって、反応してくれるだけマシだ。この前、早稲田で「演説」したが、この無視されっぷり、すごいだろ。4月に書いた本でも激しく意見を書きまくったが、おかげ様で一部のメディアでは取り上げてもらえたが、話題になっているわけではない。普通に書いたエントリーに反応してもらえているだけで幸せだ。

そして、人間は所属というものから逃れられない。

世の中、そんなものということを再確認した次第である。

まあ、私も自分のエントリーに対する「個人的な意見」でダイヤモンド社の社員がイケダハヤトと一緒に私をdisったのとか(最後のコメント欄を見よ)それ以外にも諸々嫌な想いをし、同社とは仕事しないことにしたけどな。なめきった、非道い対応をしたハフィントン・ポストとは絶対に仕事しないけどな。

こういう風に、今日も日々は続いていく。

また明日がくる。

世の中、平和だな。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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