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私は何故Yahoo!個人を更新しなかったのか?システムと編集者 ニュースサイトの構造的な問題を考える

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

明日、「Yahoo!ニュース個人オーサーカンファレンス2014」という超絶意識が高そうなイベントが開催される。ご招待頂いたので、参加することにした。

秒速で卒倒しそうなくらい、意識が高そうなイベントだ。ヤフー・ジャパン社長のスピーチに、他社の編集長なども含めた豪華なパネルディスカッションなどまである。懇親会もあるそうだ。ユーキャン新語・流行語大賞の授賞式に参加するので中座するのだが・・・。私なんかに声をかけて頂くだけで有り難いのに申し訳ない。

せっかくお呼ばれするので、自分はYahoo!個人で何を書いてきたかを振り返ってみた。しかし、記事の一覧を見て、悶絶した。全然、書いてないじゃないか。しかも、申し訳ないのだが、面白いこと、影響力のある記事を書けていないことに気づいた。私がYahoo!個人に加えて頂いているだけでも申し訳ないのに、絶望してしまった。

一重に、書かないのも、さらに書いた文章の質が低いのも、私が悪い。猛反省した次第だ。いっそ、辞退しようかと思ったのだが、とはいえ、せっかく頂いた機会なのでなんとかしなくてはと思った。

しかし、このYahoo!個人でしばらく書いてなかった、しかも面白いことを書けていなかった問題というのは、実は今のネットニュース界というか、ネット論壇というか、そういったものが直面している課題なのではないかと思ったのだ。そして、私「だけ」が悪いわけではなく、システムの問題なのではないかと思った次第だ。

私は何故、Yahoo!個人で書かなくなったのだろうか?理由は次のようなものだ。

1.忙しい。

2.ノルマや締め切りが課せられているわけではないので、ついついサボってしまう。

3.原稿料が見えない(Yahoo!個人は成果対応課金)。

4.他の執筆担当者が大御所揃いで、硬派な記事が多く、下手なことを書いてはいけない空気が漂っている。

5.4と近いが、なんせ、Yahoo!JAPANに載るので、影響力があるので、やはり下手なことは書けない。

6.とはいえ、スマホ時代になりそのYahoo!の力も以前ほどじゃないような気がしている。

7.編集部から褒められるわけでもないので、いまいちモチベーションがわかない。

8.(なれの問題だが)入稿システムが使いにくい(と感じる)。

反省しつつ、振り返ってみたが、こんな感じだ。はっきり言って、開き直りでしかなくて、40歳の中年男子がこんな言い訳をしていること自体、恥ずかしいのだが・・・。とはいえ、精神論、プロ論を振りかざし、私を攻撃しても始まらないと思う。私の自己批判だけでは、世の中変わらないと思う。常識と感情を手放して議論するならば、これはシステムの問題なのかなとも思ったりする。

つまり、オーサーがガンガン書きたくなる仕組みになっていないのではないかと思うのだ(逆にそれで、記事が粗製乱造されることを防いでいるというのなら、わかるのだが)。

思ったことを思ったように書き、金銭的見返りをほぼ求めていない私の個人ブログ以外で言うならば、これほど「書きたい」というモチベーションがわきにくいシステムはないのではないかと思ったりする。

いま、私がネットニュースの連載で、最も力を入れているのは次の3つだ。

東洋経済オンライン

しらべぇ

WEBRONZA

である。

これらのサイトは何が違うか?それは、編集者が熱く、面倒見が良いのである。この3つのサイトは、編集者が一生懸命な上、良いサイトをつくろうという熱を感じるのである。

「東洋経済オンライン」は、なんせPVが4ヶ月連続で伸びている。この後も伸びそうだ。そうそう、いかにも「佐々木紀彦氏が編集長を退任して大変だ」的なことを言う人がいるが、佐々木後の方が、PVは伸びている。これ、重要。なんせ、面白いコンテンツをつくろうという熱を編集者から感じるし、見出しの一字一句まで激論したりする。対談、企業の経営者やヒット商品担当者への取材が中心なのだが、人選、テーマなど、編集者と一緒に練り上げている。

「しらべぇ」は博報堂の社内ベンチャーなのだが、これもまた、編集部の人たちに熱を感じるのだ。面白い愉快犯であろう、何でもやってみよう、というような。

「WEBRONZA」は真っ赤に燃える朝日新聞のサイトだからとか、オワコンだと揶揄する人もいるわけなのだが、これもまた、PVなどとは関係ない言論空間をつくろうという熱を編集者から感じ、応援したくなるのだ。

編集者が介在することにより、プロデュースしてもらうことにより原稿の質が上がるわけだが、それだけではなく、書き手のモチベーションが上がるというのもひとつの価値だと思う。

そう、編集者がついているサイトは「この記事はアクセストップでした」とか「社内でも評判になった」など教えてくれるので、モチベーションが上がるのだ。逆に「常見さんはそろそろこういう記事はやめた方がいいですよ」などという声も頂くので有り難い。ウサギは寂し過ぎたら死んでしまうので、こういうフィードバックはうれしいのだ。

Yahoo!個人やハフィントン・ポスト(このサイトでは初期の担当者、ライターとのトラブルを未だに根に持っているので、一生書かない)などは、システム、プラットフォームを作って、そこが自走していくモデルを志向していると感じるし(実際は、問題のあるコンテンツの管理、炎上対策などは相当行っていると思うが)、その方がレバレッジもきくのだろうが、この編集者がついているモデルというのは、コンテンツの質をあげる上でも書き手を囲い込む上でも、もっと注目されて良いのではないかと思うのだ。

忘年会シーズンだ。今年は、ネットニュースの忘年会が盛んで、関係者を呼んだパーティーが多数行われている。呼んでもらってうれしい。ただ、やや斜に構えた見方をするならば、どこもライターの囲い込みに必死なんだなあとも感じる。そう、サイトの数に対して、「ちゃんとPVのとれるネットニュースを」書けるライターが少ないのではないか、と。

システムが勝つか、人が介在するサイトが勝つか。

そもそも、そのシステムは優れているのか。

これも、今後、残るサイトの論点ではないか。

Yahoo!個人の更新をサボっていたことの言い訳なのだが、これはネットニュース、ネット論壇の構造的な問題ではないだろうか?

と、書いたところで、世の中は何ミリ変わるのだろうと思い寂しくなった。

というわけで、明日のカンファレンスでの議論を激しく傍観しようと思う。楽しみだ。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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