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「お前がジャーナリストを名乗るな」 もうひとつの「ジャーナリズムの危機」

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

徳力基彦氏のエントリーが熱い。

滾っている。いちいち正論だし、愛を感じる。

相手をウソつき呼ばわりする前に、本当のジャーナリストならやるべきことがあるのでは?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tokurikimotohiko/20160228-00054873/

例の藤代裕之氏による「Yahoo!嘘つき」問題に関連してである。

取材に対してウソをつく組織「Yahoo! JAPAN」が信頼と品質など担保できるわけがない

http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20160224-00054718/

私も昨日、Yahoo!個人でもこの件で書いた(その前に個人ブログでも書いていて、BLOGOSにも配信された)。

ヤフー宮坂社長は藤代氏をスルーしてもいいのではないか ジャーナリズムとは何なのか問題

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tsunemiyohei/20160227-00054837/

一部でアホ呼ばわりされたが、TwitterでこのURLをエゴサーチする限り、概ね好意的なご意見を頂いているようだ(あくまでTwitter上での反応ではあるが)。

余計なことでバカにされないように、今回も徹頭徹尾、冷徹に斬る。1秒たりとも笑えないエントリーだ。腐敗しきったウェブジャーナリズム界に檄を叩きつける。欺瞞に満ちた日本社会に正義の鉄槌を振り下ろす。

楽しい週末の余韻にひたりたい人、月曜日の通勤時間を無難に楽しく過ごしたい方は即刻、このエントリーを閉じて頂きたい。

藤代裕之氏とはお会いしたこともない。かなり初期段階からのウェブ上の有名人という認識だった。擁護するつもりはまったくない。私の中での彼の評価はストップ安だ。

ひとつだけ評価するとしたら、良い反面教師になってくれたということだろう。ウェブジャーナリズムの著名人が、ジャーナリストを名乗っているのに(少なくとも、そう呼ばれているのに)、然るべき努力を怠っているという事実が可視化されたからである。ジャーナリストを名乗り、ジャーナリズムを語る人というだけで「すごい人認定」してはいけない。その人はちゃんとしかるべき仕事をしているか、何を根拠に言っているか、確かめるべきだということを。メディアリテラシーの基本なのだけど。

与党からの報道に関する要望や、報道番組のキャスター交代などが起こるたびにネット上では「ジャーナリズムの危機」が叫ばれるのだが、「ジャーナリスト」を名乗る(あるいはそう呼ばれている)人が、その基本を全うしていないという点もまた、もうひとつの「ジャーナリズムの危機」ではないだろうか。

時代によって「ジャーナリスト」像は変化するし、取材の手法も発表手段も倫理も変化するのだけど、基本もまた変わらないように思う。その基本が失われているという事態が可視化されたのではないだろうか。もちろん、藤代裕之氏問題を一般化するつもりはないものの、とはいえ、他にも多くないか、こういうこと。

これもまた「ジャーナリズムの危機」だ。

報道の自由が失われることは大問題だが、業界にいる人間の能力低下というもうひとつの問題である。

いや、これも丁寧に語らないといけない。「ジャーナリスト」を名乗る人は、もちろん丁寧な仕事をしている人はいるわけで。そちらが多数派だと信じたい。もっと言うならば、いかにもネット上の意識高い系が揶揄する「マスゴミ」と言われるような、従来のメディアの方は「ジャーナリスト」などと名乗らずとも、一記者として誠心誠意の仕事をしているわけである。

安易に「ジャーナリスト」を名乗られたり、「ジャーナリズム」を語られた日には、真面目にやっている人に迷惑だ。

あくまで私見だが(違っていたら、ぜひ批判して欲しい)、ウェブジャーナリズムというのは、先進的なようで甘やかされていたのではないかと思う。既存メディアへの反骨心があり、なんせ新しいことをやっているからかっこよく見える、と。それは、ロックなどでも新ジャンルが立ち上がる時に、別に実力派ではなくても売れてしまうことと似ている(ただ、売れるのはそれはそれで偉いと思うのだが)。もっと言うならば、社員はもちろん社長ですら顔が見えない大企業が、ベンチャー企業と比較されて劣っているように論じられる構造とも似ている。

これは意識高い系や、ベンチャー企業の肩書き問題と似ていると思う。あるいは、ちょっと大学院に通い、変わった研究をしていたら「社会学者」と名乗る問題とも通じるものがある。もちろん、何か名乗ってしまうことで、その肩書きにふさわしいように努力し、成長するという可能性は否定しない。

「ごっこ遊び」のようなものと化していないか。

真面目にやっている人に失礼ではないか。

私は、社会学者を名乗らない。博士号を持っていないし、学術的なアウトプットはほぼないからだ。博士号をとるまで、社会学者を名乗らないつもりだ。

ジャーナリストも名乗らない。いや、自分が取材したことで問題提起したいと思っているが、単に書き散らしているだけでジャーナリストと名乗れるだけのクオリティの仕事はできていないと思うからだ。

以前は人材コンサルタントと名乗っていたが、今もコンサル業の仕事やそれによる収入があるものの、メインではなくなっているので、そう名乗らない。

ただ、組織に所属しているし、教育活動はそれなりの期間おこなっているので所属先をもって千葉商科大学国際教養学部専任講師とは名乗るし、大学教員とは名乗る。それほど読者数は多くないが、ブログは11年書いているので(その前身のさるさる日記から数えると16年だ)、ブロガーとは名乗っていいと思っている。

肩書きというのは重いものなのだ。安易に名乗るなというのが私の考え方だ。とはいえ、肩書きがないような存在でも、無力ではない。そのマインドは代表作『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)にも強く書き綴っている。

これを機会に「ジャーナリスト」などと名乗る人の仕事ぶりを直視し、仕分けをするべきではないか。いや、あくまで読者、個人レベルでの話であるが。「ジャーナリスト」と名乗るだけの価値のある人か、見分けるべきだろう。ちゃんと取材しているかどうか、調査しているかどうか、何を論拠に言っているか、これまでの実績、取材対象や読者との向き合い方を元にして、である。

それこそ、Yahoo!JAPANは、Yahoo!個人で書いている人の肩書き表記を一度、疑ってみるべきではないか。ジャーナリストと名乗る、取材も批判的検討もしない連中が多すぎないか。

幼い頃にジャーナリストに憧れ、志し、そうなれなかった者の愚痴である。

Yahoo!個人の読者の皆様、目を覚ましてください!

PS 読めばわかると思うが、表題の「お前がジャーナリストを名乗るな」というのは、藤代裕之氏のことだけを言っているわけではない。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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