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人生相談「転勤族の妻で難病持ちだったら、どう生き、働くべきですか?」

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
先日、地方に行った際に出会った、素敵な空間。地方在住×難病について考えた。

無料メルマガをやっている。隔週で発行していている。もう47号になる。有料メルマガを出していた時代もあり、それを合わせると結構な本数になる。

特に人気のあるコンテンツはグルメコーナーと人生相談コーナーだ。前者は私が本当に美味しいと思ったお店を紹介するコーナー、後者は北方謙三先生の「試みの地平線」風の感じで。人生相談コーナーには、様々な相談がくる。生き方、働き方に関するもの、恋愛・友情など青春の悩みなども。

今回、これまでで最も深刻な相談がきた。「転勤族の妻で難病持ちだったら、どう生き、働くべきか?」というものだ。メールを頂き、涙が出た。何度か読み返し、どう返信をしようか考えた。私がメールを受け取ったあと、配信日までに答を考えている途中、ちょうど、朝日新聞に掲載された、難病と闘いながら研究を続ける大野更紗さんに対する稲葉振一郎先生の言葉が話題となり。返事をする勇気をもらい。6月8日の午前に配信したのだが、反響を呼び、多くの方から感想を頂き。ご自身が難病と闘っている方や、お医者さんからも賛同のメールを頂き。

ご相談頂いた方にメールでお伝えすると、大変、感激していた。この方が誰なのか、具体的にどんな病気なのかは詳しくは分からないのだけど。こういう人がいることを知って欲しいとのことで。ご了解を頂いたので、こちらに全文を転載することにした。

ご覧頂きたい。

5.陽平先生のホームルーム

Q.転勤族の妻で難病持ちだったら、どう生き、働くべきか?

常見陽平様

いつもメーリングリスト、楽しみに読んでいます。常見先生の現実的なところと、夢をいつもお忘れにならないところ、そして、ルックスが好きで応援させていただいております。

さて、今回は、相談にのっていただきたいことがあり、メールしました。

長文になってしまいましたので、相談内容だけ先に書きます。

『仮に、常見先生が女性として生まれ、転勤族の妻で難病持ちというスペックだったとしたら、どのような生き方、職業をお選びになりますか?』

**********

私は、36歳無職の女性です。10年近く、東京の出版社で編集者として働いてきました。が、夫の転勤が決まり退職。田舎では、編集者の職は見つかりませんでした。夫は、超多忙で、毎日早朝から深夜まで仕事です。孤独で退屈な暮らしがつらくなり、夫を地方に置いて単身上京。再び出版社に勤務し始めました。

新たな勤務先で激務を続けるうちに、体調がおかしくなり、病院を受診。国が指定する難病にかかっていることが判明しました。医師からは、「今の医学では完治しないが、投薬を続ければ普通の生活ができる」という説明を受けました。体力が以前の6割ほどになってしまい、多忙な編集職を続けることは難しくなりました。定時で終わる校正の仕事に移りましたが、それすら自分の体には厳しかったようです。昨年、倒れて、長期入院することに。初めて「死にかける」という経験をして、健康と普通の生活のありがたみが、骨の髄まで染みました……。

退院後は、夫の転勤先である地方で暮らすことに。現在は、退院から半年が過ぎたところです。通院と投薬を続けながら小康状態を保っております。特にどこにも勤めず、家事や読書をする日々です。半年から1年後には、また夫の勤務地が変更になりそうです。体のこともありますし、私はもう、どこかの会社にお勤めに出るということは、難しいのかなと思っています。

編集者として働いていたころは、編集長として雑誌の創刊をさせてもらったり、企画を考えたり、取材したり、本当に充実していました。当時は、つらいこともたくさんありましたが、今となっては楽しかったことばかりを思い出します。

ずいぶん早く隠居生活が始まったような気分です。スケールはまったく違いますが、あの清原選手も、プロ野球引退後はこのような空しさを嫌というほど感じたのではないかと、勝手に想像しています。

前置きが長くなってしまいました。

本題の相談内容ですが、常見先生が、私のような立場(転勤族の妻で難病持ち)だったら、どのような生き方、職業をお選びになりますか? また、私におすすめの職業や生き方を、何かご提案いただけないでしょうか。

転勤族との結婚や、病気といった理由だけでなく、女性は、男性よりもプライベートの事情により生き方、働き方を変化させなければいけないことが多いと思います。天才プロボクサーから人気コメディアン(?)になられた具志堅用高さんのように、切り替えを素早く行い、臨機応変に生きられたら良いなと思うのですが、なかなかうまくいきません。

夫婦仲は良好です。無職の状態で暮らせるなんて、ラッキーだと思います。恵まれているからこそ、こんなふうにモヤモヤしてしまうのかもしれませんが、いまだに、編集職への未練があります。

これからまだまだ生きるだろう身として、無職を続けるのは心苦しく、夫だけの収入に頼っていくことにも不安を感じています。何か、アイディアを頂ければ幸いです。よろしくお願いします。

ps:お忙しいとは、思いますが、くれぐれもお体は大事になさってください!

ご自分の健康以上に大切なものは、この世の中に、本当に本当に存在しないと思います。いまさら、私がこんなことを書くのもどうかと思いますが……。よろしくお願いします! 新刊、楽しみにしています!

(アンドレ・ザ・ジャイアントと同じ日に生まれて。 地方在住 36歳 女性)

A.まず生きよう 生きていることを記録しよう

生きましょう。

生きていることを記録しましょう。

メールを頂き、読んでいて涙が出てきました。これまでも生き方、働き方や、恋愛や友情のことなどの青春の悩みまで様々な相談を受けてきましたが。過去の人生相談の中で、最も深刻なものだと思います。

私の経験を話しましょう。このメルマガなどでは何度か書いてきましたが、私は病人の多い家庭に生まれました。なんせ父は大学院時代から脳腫瘍と闘っており。私が生まれた頃にはすでに歩行が困難でした。それでも、当時は杖をついて歩くことができたのですが。寝たきりになり、私が小学校5年生の時に39歳の若さで亡くなりました。祖父は人工透析をしていました。祖母は元気な方でしたが、心臓が悪く。母が海外出張中に倒れ、救急車で運ばれたなんていうドラマもありました。そういえば、母方の祖父も癌でした。

父とは11年しか一緒に生きていないわけですが、病室では半身不随で寝たきりなのにも関わらず、いつもペンを握り、洋書を読んでいました。書いていて、泣けてきましたが、健康でまだ若い私はそこまで真剣に研究をしているのか、学んでいるのかと反省しました。彼は病気と向き合うこと、生きること、研究を続ける姿を見せることで、短い時間ではありましたが、私に生きるとはどういうことかを教えてくれたのだと思います。

病気になりたいと思う人は、基本いません。まあ、風邪をひいて会社や学校を休めてラッキーなんて考える人はいますが。もっとも、スティーブ・ジョブズがそう言ったように、誰にでも死はやってきます。健康に気をつけていても、病気にはなるはずです。難病に関してはなおさらです。父が闘った脳腫瘍も珍しい病気ではありませんが、大変な病気です。

ここで「病気とは何なのか?」ということを考えてみたいと思います。これをどう捉えるのか、と。父の闘病生活を支えた母が、ある日、こんなことを言っていました。それは、付き合っていくものだ、と。そして、「違い」「個性」の一つだ、とも。

難病で苦しんでいる方に軽々しいことを言うつもりはありません。メールを頂き、涙が出ましたし、一方でどれくらい苦しいのか、悲しいのかも簡単には想像できないのも事実で。軽々しく、同情するとか、応援するというのも違うと思っています。

病気と向き合うこと、病気であることから見える視界と向き合うこと、それを共有することなどを考えてみてはいかがでしょうか。

編集者は、著者と読者をつなぐ仕事であるはずです。一個人として、難病患者の代表として、社会とつなぐ取り組みをしてはどうでしょう。たとえば、ブログやソーシャルメディアで発信する、などです。まあ、いろいろ無理すると疲れるので、可能な限りで、気が向いたらでいいです。

焦らず、日々を可能な限り穏やかに生きること、人生を記録することから始めてみてはどうでしょう。

応援しております。

(初出:常見陽平メルマガ陽平界通信 第47号 2016年6月8日配信)

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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