Yahoo!ニュース

ミスコン問題を蒸し返す アウティング自死事件が起こった一橋大学でミスコン再開

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
ミスコンは誰のもの?(写真:アフロ)

ミスコンの審査員をしたことがある。1995年の秋だ。当時、私は大学3年生で、一橋大学世界プロレスリング同盟の会長だった。同団体が認定する一橋世界ヘビー級チャンピオンになったばかりの頃だった。学内有名人枠で呼ばれたのだった。人生で最も天狗だった頃だ。主催は広告研究会だったと記憶している(正確には分からないが、要するに企画系サークルだ)。なぜか自治会系の人と、さらにスペシャルゲストで、泉麻人さんが一緒だった。思ったことを思ったようにコメントした。頼まれたからやっただけだ。それなりに光栄だったのだけれども。

その頃は、参加者はすべて他大生だったと記憶している。いや、大学生以外もいたように思う。当時、女子学生の比率は全体で2割を超えていなかったし、学部によっては1割程度だった。学内には女子学生が少なかった。ただ、そもそもミスコンに対する拒否感も根強かったように思う。仮に他大生が出るにせよ、ミスコンを実施するのはどうなのかということは話題になっていた。この手のミスコンの是非論争は、ネットのない時代ではあったが、学内の新聞だけでなく、一般のメディアでもよく話題になっていたように思う。

母校は本日が学園祭だ。ミスコンが復活するという。私が卒業した後、ミスコンは一橋大学の女子学生が登場するイベントとなった。その後、戸籍上男性である学生がエントリーしたことに伴い論争が起き、廃止になったという。そのミスコンが再開される。

このサイトに候補者が紹介されており投票できる。

公式Twitterはこちらだ。

学内で賛否の声は起こっていないのか?

学内メディアである「一橋新聞」がミスコンの問題について書いていた。主催している団体の学生、ジェンダー研究者、ミスコンファイナリストの意見が掲載されている。これがなかなか興味深い。主催者の時代錯誤感というか目標設定と打ち手のズレ(というか、目標設定からしてズレている)、ジェンダー研究者の的確な指摘、ミスコンファイナリストの生の声のギャップが明確だ。LGBTのムーブメントなどもあるし、一橋大学ではアウティングによる自死問題が起こったのにも関わらず、主催者の大義名分がまったく説得力がないのが興味深い。

私も大学関係者であり、母校ではあるが、「他大さん」だし、「学生さん」が行ったことである。コメントするべきか迷った。メディアは掲載スペースも限られているし、発言が切り取られたり、まとめられたりする可能性だってある。だから、主催者の真意なるものは、伝わっているかどうかは分からない。しかし、この主催団体の代表のコメントは、脱力せざるを得ないし、無神経だと言わざるを得ない。以下、抜粋する(長い引用で申し訳ない)。

―なぜミスコンを開催するのですか?

特に地方部において、一橋の知名度を上げるためですね。ミスコンは大学の認知度を広げるのに最も手っ取り早い方法だと思います。それと、「一橋は最近落ち目だ」と石原慎太郎は言ってるんですけど、それを見返してやりたいという気持ちもあるんです。

―ミスコンには批判も多いですが

過去に一橋でミスコンが廃止になったことは知っています。そのためミスキャンパス一橋は容姿が一定の水準以上であれば、男性も女性もエントリーできるようにしていくつもりです。また、容姿だけではなくパフォーマンスも見てもらえるようにしようと考えています。

ミスコンには確かにリスクがあるんですが、一度始めた以上、継続して行っていく予定です。

出典:一橋新聞

呆れ返ってしまった。これだけの論拠で、ミスコンの反対論を押し切れると思ったのだろうか。「地方」での「知名度」を上げるなどは愛校心の現れなのかもしれない。ただ、同じ大学の中でも盛り上がるかどうか分からないミスコンが、地方での知名度アップに貢献するのは未知数だ。いや、目的と手段がズレていると言えるだろう。一橋大学の今の課題は「知名度」だろうか。「知名度」というか「期待値」に対する実態のズレこそ問題ではあるまいか。石原慎太郎が「一橋は最近落ち目だ」と言っているのは初耳だが、見返す必要などあるのだろうか。見返すにしろ、方法があるはずだ。安心しろ、石原慎太郎も落ち目だ。

ミスキャンパス一橋は容姿が一定の水準以上であれば、男性も女性もエントリーできるようにしていくつもりです。

出典:一橋新聞

という発言もいかがなものか。LGBTのムーブメントをまったくわかっていない。「容姿が一定の水準以上」という言葉事態が配慮を欠いている。

もっとも、この手の問題は私のような外野の、若き老害がどうこう言うのではなく、現役の学生と教職員、そして社会がどう判断するかだ。サイトや公式Twitterで紹介される画像は、候補者も楽しんでいる風だった。都内有名私学のミスコンは、メディアで報道されるし、ファイナリストがアナウンサーになったりしている。イベントとして普通に定着している。

しかし、男女という枠自体が人を苦しめたり、生きづらくしている世の中において、ミスコンの意味は問われ続ける。ミスコンが価値基準を押し付けるシステムであること、一部の人を傷つける可能性を我々は忘れてはいけない。いかにも80年代、90年代的な議論のようで、私たちはこのミスコン問題について、何度でも蒸し返し、議論しなくてはならないのだ。

常見陽平公式サイト試みの水平線より転載

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

常見陽平の最近の記事