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“東京芸人のリーダー”渡辺正行が若手芸人たちに教えるたったひとつのこと

てれびのスキマライター。テレビっ子
渡辺正行((C)ホリプロコム)

都内某所の貸しスタジオに40組にのぼる若手お笑い芸人たちが集まった。

既にネタ番組常連の若手有望株から、かつてテレビを賑わわせたベテランカルト芸人、さらにまだまだ無名の新人まで多種多様の芸人たちだ。

30年の伝統を誇る「ラ・ママ新人コント大会」のために事前に行われる「ネタ見せ」である。

今回、その「ネタ見せ」を取材させてもらった。

「ラ・ママコント大会」は現在、一本ネタ・準一本ネタ・コーラスラインと芸人のレベルに応じて分けられている。

そのうち、準一本ネタとコーラスラインに出場するメンバーを、この「ネタ見せ」で選抜するのだ。

この日の「ネタ見せ」は14:00から始まり、20:00過ぎまで、ほぼ休憩なしで実に6時間以上続けられた。

「ネタ見せ」を見るのが、コント赤信号のリーダー・渡辺正行である。

渡辺は、「ラ・ママコント大会」を始めた経緯をこう語る。

僕が30歳くらいの時に、周りにいた若手の連中から「コントを教えてくれ」って言われて、自分だって教えれるような人間じゃないから、場を作るからそこでやってみればって言って始めたのが「ラ・ママ」です。やってみてウケれば自分たちの勝ちだし、スベったらまたやり直せばいい。当時は若手がやる場所がなかったんだよね。だから事務所の垣根を取っ払ってできる場所を作って、定期的にやっていこうと。当時、各事務所にお笑い芸人はいたんですけど、横のつながりがほとんどなかったんですよ。だから関東のお笑いの横のつながりを作って、みんなが切磋琢磨して上がっていけるようにしたい。それが最初の狙いでした。

会場となっている「渋谷ラ・ママ」はもともと音楽用のライブハウス。実は当時、コント赤信号が所属していた石井光三オフィスがそのライブハウスの入っているビルの上にあった。

今のライブハウスになる前は、あそこはピアノ・バーだったんですよ。その頃からそこのオーナーとうちの社長が知り合いだったんです。ライブハウスに変えても最初はまだそんなに有名じゃないから借り手がいない。借り手がこないと経営が成り立たないからお笑いにも貸してくれたんですよ。100人くらいお客さんが入るし、セットもあって、照明、音響も金がかからない。だからコント赤信号のネタ卸しをラ・ママでやってたんですよ。じゃあ、そのスペースでやればいいんじゃないかって。

爆笑問題やオードリーへの助言

そうして始まった「ラ・ママコント大会」の出演希望者は回を追うごとに多くなった。多くなった出演者を少しでも多く出すために始めたのが、ゴングショー形式の「コーラスライン」。その出場者を選ぶために「ネタ見せ」も始めた。

いくら自らが立ち上げたライブとはいえ、始まった当初ならともかく、軌道に乗った以降も、ネタ見せにまで参加するのはなかなかできることではない。普通は裏方のスタッフに任せてしまいがちだ。いまでこそ、事前に選抜され1回40組に抑えられているが、多いときは100組近くの芸人が参加していたという。

だが、渡辺は自ら「ネタ見せ」まで参加するのにこだわった。

それは芸人の生理を痛いほど分かっているからだ。

僕も若い頃、ネタに対してマネージャーとかプロデューサーとかに言われても、「何言ってるんだよ、俺のほうが面白いんだよ」って思ってたんですよ。でも言われるからちょっと直したように装ったりしてた。だからあんまりネタのことをとやかく言われても僕は嫌だったんですよ。でも(ネタを)やっている人の意見や感想なら素直に聞けるって彼ら(出場者)も言いますね。

だからこそ、渡辺自らがネタを見て、アドバイスをする。

だが、必ず渡辺は事前に芸人たちに「アドバイスは言うけど聞いても聞かなくてもいい」と伝えている。それはいくら他人が言ったとしても、自分が本当にそうだと気づかない限り、変えても意味がないと知っているからだろう。

彼がするアドバイスは一貫している。笑いの核となるネタの部分を批評することはほとんどない。指摘するのはある一点のみだ。

たとえば90年代前半、ラ・ママに立ち続けた爆笑問題。

彼らは、事務所独立問題の際にも、しがらみが一切ないラ・ママにだけは出続けることができていたのだ。

当時、彼らは下ネタとか差別ネタとか、酷いネタばかりやってましたね。「それはいまは構わない、いまどんなネタをやってもかまわないから、ウケる感覚だけを覚えておいたほうがいい」って言いました。ウケる感覚が分からなくなっちゃうと、やっぱり鈍っていっちゃうから。

初めはコントだったんですけど、漫才に切り替えたんですよね。切り替えたときにすごいウケたんですよ。それが僕は印象的ですね。僕は舞台の衝立ての後ろにいるんですけど、鳥肌が立つくらいウワーっとウケて、こいつらスゴいなあって。

そんな爆笑問題に渡辺がしたアドバイスは以下の様なものだった。

とにかく服装が汚いんですよ。短パンにTシャツみたいな格好で来て、そのまま舞台に出るんですよ。「お前らそれは違う。舞台に出るっていうのは人前に出ることなんだからちゃんとした格好しなさい」と。短パンとTシャツでふたりとも揃ってるわけでもないし、それじゃダメだからって言うんだけど、そういうのには爆笑問題は無頓着でしたね。でもいまはちゃんとスーツ着てやってますよね。いまになると「あの時言ってたのが分かるだろ?」「はい」って言うんだけど当時は全然響かなくて(苦笑)。ビジュアルをしっかりすると見え方だけで人が違って見えるんだから、ステージに出るときはそういうものを意識したほうがいいってダメ出しはしましたね。

つまり、渡辺がするアドバイスは、ネタそのものの内容ではなく、「お客さんからどう見えるのか」、その視点を教えるのだ。それは服装に限らない。

こうすると見やすくなるとか、もっと分かりやすくするためにこういう言い方のほうがいいんじゃないか、とかはアドバイスしますね。そのためにこういう過去のものを見たほうがいいよとかね。自分たちのセンスで笑いはできあがってるんだけど、どこかを突っついてあげると、カッと形になったりする。僕らの一言かもしれないし、他のものかもしれないし、何がきっかけになるかはわからないけど、僕らの言葉がヒントになって成長してくれれば、嬉しいですよね。

オードリーは渡辺のアドバイスで大きく成長したコンビの一組だ。

オードリーは他のライブでは全然評価されずにいたんですけど、僕らの「ネタ見せ」に来て漫才を見ると、漫才として出来上がっていたんですよ。「君ら技量としては『M-1』を目指せるくらいの漫才だよ」と。ただ、春日くんがボケると若林くんが額を叩く。ボケる、ツッコむで全部叩くから、春日くんのこめかみが赤く腫れてくる。「それだとお客さんは引いちゃわないか?」って聞いたら「ウケるときはウケるけど引くときは引いちゃいます」って言うから、「『これはネタだからこういうふうにやってるんだ』ってなにかで見せられないかな」って言ったら、次にもってきた漫才に「お前それ本気で言ってるのか?」「本気だったら2人で漫才やらないよ」「エヘヘ」って笑うくだりを入れてきたんです。「ああ、そういう感じ、そういう感じ。そしたら柔らかく見えてくるから」って。

観客視点で見ると引っかかってしまいそうなところを改善したオードリーは、渡辺の見立てどおり、『M-1グランプリ』を勝ち進んでいく。

「敗者復活」で上がってきたとき(2008年)、審査員でいたんですよ。そこでやったときに最初の一本目がダントツに面白くて。そこで出し尽くした感があって決勝ではいまひとつになっちゃって優勝はできなかったんですけどね(笑)。でも上がってきたのは嬉しかったですね。「キタキタキタ!」って。

ラ・ママの打ち上げでは、『M-1』や『キングオブコント』などのテレビの賞レースの決勝進出者にご祝儀をあげるのがいつの間にか恒例になっている。芸人本人たちからせがまれると「なんだよぉー」と嫌がりながらもどこか嬉しそうにご祝儀を渡している。

素人同然みたいな感じから「ネタ見せ」でネタを見て、それが育っていって賞レースの決勝に残っていく。だから、「みんな、がんばれ、がんばれ!」って感じだったんですよ。最初は何組かしかいないわけですよ。最近はどんどん出てくるんで、おいおいおいって(笑)。でも、嬉しいですよね。ラ・ママのライブでは本当に交通費程度しか、お金も払ってあげられないから、そのお返しの意味もありますね。

いまや、賞レースの決勝に進む東京を主戦場にする芸人のほとんどがラ・ママ経験者。まさに渡辺正行は東京芸人の“リーダー”だ。

貫かれる芸人目線

現在、「コーラスライン」のコーナーでは、「一本ネタ」に出場する芸人が舞台上で囲んでネタを見る。こうした形式にしたのも、芸人の思いを反映させたものだった。

以前、打ち上げで飲んでいる時に、「テレビでひな壇に出ても一歩出られないですよね」って悩んでいる芸人がいたんですよ。「それは勇気しかない、一歩前に出ようと思うしかない。それは俺らがアドバイスできるものではない。出なかったらそれまでだし、出てスベったとしても他の人がフォローしてくれるし、とにかく一歩出てみればいい」って言ったんだけど、ああ、そういうのをみんな悩んでるんだって分かって。じゃあ、コーラスラインをひな壇の練習ができるような形にしようと。お客さんも芸人さんの反応を見て相乗効果で面白くなるし、僕もみんなと絡める。一本ネタに出て、ネタだけやって帰ってももったいないじゃないですか。

採算が取れているわけではない。「ネタ見せ」を含め、多くの時間と労力が割かれている。それでも渡辺正行はあくまでも芸人目線で彼らの望む舞台を作り続けている。

「ボキャブラブーム」が終わったあたりでお客さんがガーっと減ったんですよね。60人くらいしか集まらない月が何回か続いて、もうこれは役割が終わったのかなって思ったんです。他のライブも出てきましたしね。で、みんなと話して「一回休憩しましょうか」って。「でも一回休憩しちゃうとまた立ち上げるの大変だよ」「そうですよねえ」って結局続けて、そしたらまたお客さんが戻ってきたんですけど。やっぱり波はありますよね。

裏でみんなドキドキしてるじゃないですか。そいつらが、出ていってウケる。僕もそういうことを経験しているから「ああ、ウケたらこういう気持ちなんだろうな」って、同じ気持ちで見ていられるんですよね。若い頃の気持ちを思い起こしてくれるし、いまこういうのがウケるんだってセンスをもらえる。みんなを紹介しているだけだけど、その中で逆にエネルギーをもらっている感じはしますよね。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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