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デーブ・スチュワートがDバックスのGMに就任。26年前のワールドシリーズで敵味方だった監督の去就は?

宇根夏樹ベースボール・ライター

2014年9月25日、デーブ・スチュワートがアリゾナ・ダイヤモンドバックスのGMに就任した。9月5日にケビン・タワーズを解雇したDバックスは、新たなGMを探していた。

Dバックスは5月17日に、トニー・ラルーサを編成部門のトップ、チーフ・ベースボール・オフィサーとして招聘している。スチュワートがラルーサの下で働くのは、今回が初めてではない。ラルーサとスチュワートは1986年~1992年と1995年に、オークランド・アスレティックスで監督と選手という間柄だった。

「スモーク」のニックネームを持つスチュワートは、その呼び名に違わぬ全盛期を、ラルーサが指揮を執るチームで過ごした。1987年から4年続けて20勝以上を挙げ、エースとして1988年からのリーグ3連覇に大きく貢献した。アスレティックスが――現時点では最後の――ワールドチャンピオンとなった1989年にはワールドシリーズMVPに輝き、翌年はリーグ・チャンピオンシップシリーズMVPを受賞した(リーグ・チャンピオンシップシリーズMVPはトロント・ブルージェイズ時代の1993年にも受賞)。

スチュワートにGMの経験はなく、これまでは代理人をしていた。顧客にはマット・ケンプ(ロサンゼルス・ドジャース)やチャド・ビリングズリー(ドジャース)、クリス・カーター(ヒューストン・アストロズ)がおり、7月に引退したエリック・チャベスもその一人だった。

だが、スチュワートは1995年を最後に選手生活に別れを告げた後、アスレティックス、サンディエゴ・パドレス、ブルージェイズのフロントで働いてきた。間に投手コーチを挟みながら、サンディ・アルダーソン(現ニューヨーク・メッツGM)、タワーズ、ゴード・アッシュ(現ミルウォーキー・ブルワーズGM補佐)の下で経験を積み重ね、スチュワートはGMへの道を歩んでいた。

2001年のオフにブルージェイズのGMがアッシュからJ.P.リッチアーディ(現メッツGM特別補佐)に代わった時には、GM補佐だったスチュワートも候補に挙がっていた。スチュワートが代理人になったのは、2002年のシーズン途中にブルワーズの投手コーチを辞めてからだ。

スチュワートのGMとしての初仕事は、監督人事になるだろう。カーク・ギブソン監督を続投させるのか、それとも解雇するのか。ちなみに、ギブソンが代打サヨナラ本塁打を放った1988年のワールドシリーズ第1戦で、スチュワートは8イニングを投げた。9回裏にデニス・エカーズリーがマウンドに上がった時、スコアは4対3で、アスレティックスがロサンゼルス・ドジャースをリードしていた。

なお、代理人の仕事は、スチュワートとともにスチュワート・マネージメント&パートナーズを運営しているデーブ・ヘンダーソンが仕切るという。ヘンダーソンもスチュワートやエカーズリーと同じく、リーグ3連覇を成し遂げたアスレティックスのメンバーだ。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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