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2999安打と3000安打の間。リーチをかけてから10打数無安打の打者もいた

宇根夏樹ベースボール・ライター
デレク・ジーター/3000安打達成(左はケーシー・コッチマン)(写真:ロイター/アフロ)

2999本目のヒットから3000本目までは、足踏みするものなのか。それとも、立て続けにヒットを打ち、すんなりと3000安打クラブに入会しているのだろうか。

1942年6月19日に達成したポール・ウェイナー以降の23人について、調べてみた。

なお、その前の6人は記録に不明な点があるため、今回は除外した。タイムマシンが発明された暁には――すでに存在していて、それを使わせてくれるのなら今すぐにでも――それぞれの時代を訪れて確認したい。

2999本目と3000本目を同じ試合で打った選手は、23人中9人を数える。彼らのうち、ポール・モリター(1996年9月16日)はライトフライの1打席を挟んだが、他8人は間を空けずに2999本目と3000本目を打った。

直近では、デレク・ジーターがそうだった。2011年7月9日、ジーターは1打席目のシングルヒットで2999本とし、2打席目にホームランを放って3000安打に到達した。ジーターはさらに、3打席目に二塁打、4打席目にシングルヒットを打つと、同点で迎えた5打席目はシングルヒットで決勝点となる走者を生還させ、快挙に華を添えた。3000本目を打った試合で5安打は最も多く、他には、ジーターのすぐ前に達成したクレイグ・ビジオ(2007年6月28日)しかいない。ビジオもまた、2999本目と3000本目を続けて打った。

トニー・グウィンSr.は同じ試合ではなく、2999本目は1999年8月5日、3000本目はその翌日だが、それぞれのヒットは試合の最終打席と1打席目に打っており、こちらも打席は連続している。また、ウィリー・メイズは1970年7月17日の最終打席であと1安打に迫り、翌日の2打席目に3000本目を打った。7月18日の1打席目は四球だったので、打数としてはメイズも続けて打っている。

一方、カール・ヤストレムスキーはリーチをかけた後、達成までに足踏みをした。1979年9月9日の最終打席で2999本目のヒットを打ったが、翌日と翌々日は無安打に終わり、3000安打に到達したのは9月12日の最終打席だった。その間は12打席に及び、10打数無安打(2四球)だった。

ヤズが記録した2999本目から3000本目までのブランクは、2試合、12打席、10打数のいずれも最も長い。他には、ハンク・アーロン(1970年5月17日)とロベルト・クレメンテ(1972年9月30日)が無安打を1試合挟み、打席と打数のブランクはロビン・ヨーント(1992年9月9日)の7打席と6打数がヤズに次ぐ。

とはいえ、たとえ足踏みが続いても、2999安打でキャリアを終えた選手はいない。

3000安打に最も近づきながら届かなかったのは、1915~34年にプレーし、2987安打を記録したサム・ライスだ。リー・アレンとトム・ミーニーが著した「キングス・オブ・ザ・ダイヤモンド」には、ライスのこんな言葉が載っている。

「実は何本のヒットを打っているかなんて知らなかった。引退から数年後、(セネタースのオーナー)カール・グリフィスがそれについて言い、セネタースでカムバックしてあと13本打ちたいか訊ねてくれた。でも、もう身体がなまっていたし、もう一度やり直す気にはなれなかった。今日なら、選手が打席に入るたびにラジオやテレビのアナウンサーが記録のことをしゃべっているから、自分もヒットの本数を知っていて、たぶん3000安打まで続けていただろう」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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